第5話 転生、或いは変容
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身じろぎも出来ないまま、六道は思考する。
現実とは何か。
理の事実として存在している事柄であり、状態。
現実とは何か。
想像や虚構、可能性ではなく、現に成り立っている状態。
ありのままを受け入れる。
文字にすれば容易なこれを、文字通り行える者は少ない。
人とは、そういう生き物だと六道は痛感している。
見たい物を見て、見たくない物は見ない。
見ない物は見えず、見えない物は存在を否定する。
これは、好みの問題でも無ければ、成熟未成熟の問題でも無い。
意識や自覚で万全に防げるものでもない。
そうでなければ破綻してしまうからと、進化の過程で得た技能だと解釈すべき代物だと思う。
それ故に、この機能自体は実に自然に、齟齬無く機能している。
物忘れを、見落としを、ある程度のレベルならば異常な自体では無く、通常のものとして人々は受け入れている。
それらを補う為のツールも、過不足無く実現していると言える。
だが、『超感覚能力者』とは。
この進化の過程で得た、『重要な機能を捨て去ってしまった存在』である。
まずその機能を棄て、そして、更に『見る』・『聞く』・『知る』・『覚える』・『考える』といった機能を極端なまでに強化されたもの。
それが、超感覚能力者と定義されている。
人は遠くを見る場合、手元が疎かになる。
それは、『遠く』を見ると『近く』を見るということを両立するのが困難なためだろう。
しかし、超感覚能力者はそれが出来てしまう。
それも、否応なく、出来てしまう。
人が進化の過程で棄てた機能の復元。
それに飽き足らず、強化まで施された結果は、情報処理能力の破綻であった。
人としての限界の超越。
その打開策として、一般人には機能を強化するための補助具を、能力の制限に用いる事で超感覚能力者は平常を保っている。
そう、何らかの対処をせねば平常心を保てず、ありのままでは狂うのが『超感覚能力者』なのだ。
良くて発狂、悪くて狂い死に。
これこそが限界を超えた代償。
そして、代償はもう一つあった。
ありのままの現実という情報の洪水に晒される『超感覚能力者』は夢を見ない。
夢をみるゆとりも無く、未来を夢想する余力はその頭蓋の中には無かったのだ。
嘘のような超感覚を持つが故に夢見ることを禁じられ、その禁を破れば人で無くなる。
これが超感覚能力者が差し出した代償であった。
人は夢を見ることをやめられるのか?
その答えは、後天的超感覚能力者の生存年数は半年から3年という形で明らかになっている。
夢とは超感覚能力者にとっては猛毒に等しい。
故に超感覚能力者として生きることが出来た者は、強烈な現実主義者が大半を占めている。
しかし、それでもなお―『超感覚能力者』だからこそ、現実と夢の、境界の揺らぎを感じることがある。
先程の奇妙な空間がまさにそれだ。
あそこは見知った現実では無い。だが、確かに『在った場所』だ。
極めて厄介なことに、それを超感覚能力者であるからこそ断定でき、逆に超感覚能力者であるからこそ、あの場が異常であったと断言もできる。
不可思議な出来事があったと断定できるが、理解は出来ない。
故に溢れる思考を制御し、強く思う。
己の存在は、確かにあそこにあり、今は此処にある、と。
己の命を護るために。心を保つために。
思考を切り上げ、六道は感覚を広げた。
程なくこの場の全体像が把握出来る。
どうやら此処は病院のようだ。
だが、あの夢のような病院では無い。
もっと簡素な…これは野戦病院だろうか。
幾らか意識がはっきりしてきたからか、四肢に力を込めてみれば動きは出来そうだ、出来そうだがー。
左腕が無い。
それだけではない。
未だ眼は開かないが、脳内に浮かぶイメージでは、身長や体格もこれまでのものとは若干、異なっている。
そこから想定出来るのは-。
己が何者かに成り代わっているという事だろう。
突飛な出来事ではあるが、それも今更ではある。
初めから人の身には過ぎた力を得ているのだ、こうなっている以上、そうなのだろう。
此処は戦場ないし、それに準ずるところであり、自分は負傷し、治療中である。
どういうわけか、この体に意識が移っている。
能力は失っていないが、この体の記憶は現段階では継承されていないと考えるべきらしい。
現実的ではないが-今この状況で現実的も何も無いが-脳みそを載せ替えたようなものだろうか。
成程、状況は最悪に違いないが、把握出来ないレベルではない。
元々がよろしくない状況だったのだ。
最悪のパターンが変わっただけだ。
そう思おう。
ろくでもない家に産まれ、頭の狂い易い能力を持ち、国からの援助も得られずに、ずるずると悪党の道にのめり込んだ。
そんな先の見えない人生から、予想のつかない人生に変わっただけだ。
そう思っていないとやってられないだけなのだが、とりあえずはそうしよう。
そう。
頭の狂い易い能力を得ていたからこそ現実をありのままに受け入れられ、だからこそ取り乱さなかったわけでもある。
何事もプラスに考えよう。
自己肯定感の高さは幸せの高さと関係するという。
実際には逆だとエビデンスが示されていた気もするが、些細なことだ。
目下の問題は-この御仁の記憶がない事だろう。
都合よく二人分の記憶が混同せずにある事も幸運なのだろうが、しかしながら、さてどうしたものかと考えていると、何者かが近づいて来ているのに気がついた。
寝かされている病室は、野戦病院内では数少ない個室。
扉の前にも護衛らしい者達がいる。
護衛達が退き、誰かが病室内に。
女…のようだった。
しかし、何とも違和感がある。
ああ、と女が近づくにつれ膨らんでいた違和感の正体に気がついた。
足音が無いのだ。
そういう能力ではなく、これは-。
思い当たるや否や、思い切り体をひねり、ベッドから転がり落ちた。その直ぐ後に短刀がベッドに突き刺さる。
落ちた衝撃からか、漸く眼が開いた。
同時に無いはずの腕が酷く痛んだが、それに構っている余裕はない。
(全く、ご勘弁願いたい!)
そう叫びたかったが、この声は出なかった。
追撃の一手を防ぐために、未だ霞む視界を無視し、ベッドをひっくり返した。
急激に酸素が巡ったのが功を奏したのか、漸く霞の取れ始めた視界。
頭の中に浮かんでいた人影に、色がつき始める。
明確に人の姿になっていく。
返り血を浴びた服と髪。
手には無骨な短刀。
兵隊とは思えない、華奢な体つきだ。
纏めている金糸のような髪も、解けば腰程までの長さだろう。
あの神もどきのような幻想的な美しさはないが、現実的な美しさがある。
スタイルの良さや顔立ちの凜々しさはモデル顔負けだ。
―まあ、どちらにせよ、戦場には似合わないが。
「若様」
ぽつりとそう言葉を零し、女は短刀を力強く握りしめた。
(若様…?)
恐らくは此方を呼んだであろう言葉にどう返答したものか考えている内に、女の目から大粒の涙が滝のようにこぼれ始めた。
「ご、ご無事で何よりですぅぅぅ」
もはや絶叫。
美しさも何も無く、鼻すらも啜り始めた女。
かける言葉も見つからず、六道は久しぶりに混乱の極みに叩き落とされていた
無論、混乱に陥った理由は女の態度も理由の一つだが、それより何より。
目の前の女は、タンカーで消えた女、まさにその人だったからであった。
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