第2話 神のサイコロ


真っ暗闇だった。

察するに船底なのだろうか。


自らの異能を信じるのなら、此処にはめぼしいモノは何も無い。


その気になれば更に詳細な情報は得られるが、処理能力が追いつかない。

生憎、それを補う為の外部記憶装置であったり、補助具の類いは持っていなかった。

素の肉体のみでの能力行使では、これが限界だ。


「退きなさい」


はてさて、と思っていると、女の声が飛んできた。


恐らくは、先に入った俺に何も起こらないかを確認していたのだろう。

そんな卑劣極まりない女の姿が、足の方から衣が剥がれるように現れ始める。


―光学迷彩。


能力としては良くあるものだが、此処までの時間、あそこまでの精度で行える者はいない。


能力というのは、つまるところ身体機能の延長だ。


何キロも全力疾走が続けられないように、この手の物理に干渉する能力は肉体的な、或いは精神的な限界がそのまま限界値となる。


それを、少なくともタンカー潜入の直前から使用していたとするなら、とんでもない能力値だ。


本来ならあり得ない。


それを可能にするのが『補助具』と呼ばれる技術の結晶だ。


外部記憶装置に代表される電脳系のもの、パワードスーツに代表される身体強化器具、携帯型端末類による能力制御系。

未だ理論の段階ではあるが、生命倫理に抵触する技術も存在するという。


この、能力者に取ってみれば生命線にもなり得る補助具だが、生憎、無能力者には何の抵抗もなく装着出来るが、能力者の場合はそうもいかないという大きなデメリットがある。


身体強化器具と演算補助の端末を同時に使用すると不具合が生じるといった具合に、どうにも両立がうまくいかないのだ。


元々の設計段階のミスとも言われているが、現在では『能力』というもの自体が個々人内のバランスで成立しているため、というのが主流の考え方となっている。


そのためか、外部と直接繋げるような電脳系のものに至っては、殆どの能力者に適性がない。


この事情から、能力者は、特に高位になればなるほどワンオフの補助具で自らの能力の補強・補佐を行っている。


それ以外にもあるとすれば、使い捨ての補助具を適時使う場合だ。


使い捨てといえば聞こえがいいが、要するにドーピングの類だ。

例えば、自らのような超感覚能力者が空間把握能力を一時的広げたければ、リミットを外すような薬物を摂れば目的は果たせる。


無論、この場合は、リスクが極めて高い。


素晴らしいかな、貧富の差といつやつだ。

貧乏人は命でも削らねば、他に差し出すものが無い。


そんな益体もない事を思っていると、スーツ姿の女が現れた。


「中には何があるの?」


気の強そうな女が、きつい口調で詰問してきた。

その腕に光る端末が彼女の補助具だろう。

一目でわかる、政府関係者か軍辺りにしか卸されていない最高級品だ。


「・・・わからん」


僻みが口調に出ていたかも知れない。

女の鋭い視線が此方を射貫いた。


「わからん?ふざけているの?」

「そういうわけじゃねぇよ。実際に何も見えねぇんだ」


てめぇで確認しろ、と言わないのは、前に似たような事を言った際、ノータイムで発砲されたからだ。


警告も何も無く、ノータイムで、だ。

神速の抜き撃ちで、だ。


今回もきちんと銃口を此方に向けている。

それを指で退かし、


「わかってねぇみたいだが、俺がわからねぇってこたぁ、此処には何かあるって事だよ」


そうは言ったところで、何一つわからないままというのは、流石に体裁が悪い。


お国に仕えるような崇高な志のない身としても、輩の期待に全く応えないのは面白くはないわけで。

しかもその失望する相手が、如何に粗暴で此方を見下しているとはいえ、べっぴんさんだと余計にだ。


全方位に向けていた意識を前面に集中してみる。

試しに手も叩いて反響でも確かめてみようか。

エコー反射だ。

しかし、それでも本当に、何も見えなかった。

何もわからなかった。


辛うじて壁が分かるが、それだけだ。


自画自賛になるが、それこそこの船程度の広さなら、細部は分からずとも、大まかには全てが『見えた』だろう。

実際、この部屋に来るまでは大体のものは把握出来ていた。

無論、それら全てを処理しきるほど上等なオツムは持っていないから、見落としは多いだろうが-。


この部屋に足を踏み入れた途端に、何も見えなくなった。


酷く気持ち悪い。


分からないというのは実に心細いものだなと思っていると、女の手に光が灯った。

段々と激しさを増す光の球を、前方に向かって女は放る。

程なく光が炸裂し、小さな光の球が辺りに散らばった。


実に幻想的な光景を演出してみせるこの女は事象干渉系の能力者なのだろう。

光を操れるとかそういう類だろうか。

そうなると、あの女の補助具はその『操る』バリエーションを増やす為の代物、演算補助具なのだろう。


一気に船底に光が満ち、全容が明らかになる。

がらんどうの空間の真ん中に、硝子ケースがあった。


その中には、羊皮紙が一枚あるようだ。


「…あれが予言ね。今回は書面のようだけど」


女が進み出し、それに続こうとすると、また銃口を向けられた。


「貴方はそこで待っていて」


有無を言わさぬ口調。

肩を竦めて見せると、睨むように此方を一度見て、女は歩を進め始めた。


(おっかねぇなぁ、全く)


だが、別に見ないに超したことはないか、と思い直す。

そもそも、確かにこの予言に興味を持ったことは事実だが、知りたかったわけではない。


あんなもんを見てしまえば、後の生活は地獄だ。各国から狙われるなんぞ御免被る。

マップでも作って売れば十二分に儲かる算段だった。

いやそれ以前に、実存するかの確認だけでも儲けに繋がるだろう。


そう思って情報源に会いに行ったのが間違いだった。


恐らくは能力を察知する輩でも使って網を張っていたのだろう。

奴らは、『眼が良い奴』が欲しかった。

それにむざむざ引っかかったのだ。


慎重に歩みを進める女の周りに眼をやれば、銃火器の『影』が見えた。

そこにあるが、そこに無い。

光が差すまで影としても姿を現さなかった。

かなり希少な現象ではあるが、存在を消す類いの能力の痕跡だろう。

希少だろうが何だろうが、見えてしまえば理解出来る。


この眼はそういう能力だ。


今現在、確認されている能力は『木火土金水』と『陰陽』とされている。


それに当てはめれば陰の能力の残滓だろう。

それに最も対抗出来るのは陽、つまりは目の前の女のようなタイプであり、陰陽どちらも含まれる己のような能力者ということだろう。


そこまで思うと、思わず嘆息も漏らした。


なんという事は無い、此処は既に見つかっていたのだ。

陰に属する罠でも有り、この船の人員は飲まれでもしたのではなかろうか。

それに対応する人員を集める罠にむざむざと嵌まってしまった、と。

全てを見透す眼を保つ者としては、何とも情けない限りだ。


女の手が硝子ケースに触れた。

一瞬、周囲の光量が下がったが直ぐに元に戻る。


どうやらお先にいらした連中を襲った陰の罠というのは、硝子ケースに触れるなりした場合に発動したらしい。

今回はそれを女が自らの能力で中和したようだ。


ケースを外し、羊皮紙に。


途端、ぞわりと悪寒が走った。


「…っ!おい!」


手を伸ばす女の対面に、別の人影が見えた。


いや、厳密には違う。異様な雰囲気だ。


それが人影という形になって見えたのかもしれない。

呼び止められ、女が振り返る。

だが、その表情を見る前に、女の姿は忽然と消え失せた。


ひらりと、羊皮紙が床に落ちた。


幾ら眼を凝らそうとも、感覚を研ぎ澄まし能力の範囲を広げようとも影も形も感じられない。

本当にこの場から消失している。


「冗談じゃねぇ。災厄級もいいところじゃねぇか…」


関わっていられるか、と背を向けると、いつの間にか閉じられていた扉に、羊皮紙が貼り付けられていた。


「っつ!」


思わず眼を閉じても、分かってしまう。

見覚えの無い字。文様。そしてー。


「あれ、見える人?」


声が聞こえた。

いや、聞こえたと言うよりも、頭に響いている。


「へぇ。今はこういうタイプもいるのね。あれかしら、波長が近いとか?特化型かな」


よいしょっと言いながら、真っ黒な衣を纏い、真っ白な長髪を靡かせた女が現れた。


…現れたでいいのだろうか。


恐らくは目の前の空間にこの女はいない。

頭の中に入り込んできたような感じだ。


「まあそれで間違いないわ。居るとか居ないとか、私たちには関係がないもの」


まるで思考を読んでいるように女は語る。

いや、思考を読むというよりー。


「そう、思考を読むっていうか、私は貴方でもあるから。そういうものなのよ。誰でもあって誰でも無い。どこにも居ないのにどこにでも居る」

「それはそれは…」

「そんなに怯えないでよ」


カラカラと女は嗤うと、ぐっとこちらに顔を向けた…ようだった。


「ふうん。なるほどねぇ。どおりで都合良く貴方が此処に来たのねぇ」


眼をのぞき込まれているような気分だった。

怖気がする、全てを見透かされそうな眼。

この感覚には覚えがあった。


それもごく最近に。


「あんた…この前会ったよな?」


そう問うと、女はまた嗤った。

実に愉快そうに。

そして、閉じられた掌を差出し、ゆっくりと開く。


そこには、三つの六角形のダイスがあった。


「これは神のサイコロ。私たちは振らないけど、貴方たちには必要なもの。私はこれを与える為にいる」


怖気の走る笑みを共にそう告げると、女は姿を消した。


ゆっくりと眼を開くと、閉じられた掌の中に違和感を覚えた。

何があるかは見ずともわかる。

だが、目下の問題は別だ。


「待て待て、俺は何もしてねぇぞ?」


言葉が部屋を揺らすのと、勢いよく開かれた扉から幾つもの銃口が向くのは、ほぼ同時だった。

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