無個性愛者
涙墨りぜ
無個性愛者
僕はマネキンが好きだ。
顔の凹凸がほとんどないものほど気に入るし、一番好きなのは首のないマネキンだ。僕自身が異性愛者の男なので、必然的にこの感覚を抱くのは女性型のマネキンになる。
今日も僕はデパートの、女性ファッションのコーナーにいて、こうして装いでしか自分の個性を主張できない女たちを見ている……なんとも言えない高揚に身震いしそうになるのを堪えながら。
女性に向けた服ばかりの売り場をひとりでうろつくのはわりと勇気がいることだが、一度来てしまうとなかなか離れられない。
「きれいだよ」
一体のマネキンに近づき、口の中でそっとつぶやけば、心臓の鼓動が少し速さを増すのがわかる。誰も周りにいないのを確かめているにもかかわらず、小さな声すら絞り出せないのは、単に人目が怖いからではないだろう。
……よし、この階の女性のマネキンは全員見たな。
どれも流行の服に身を包み、すらりとした四肢を誇らしそうにして立っている。だが顔を見れば皆表情などなく、目鼻立ちの凹凸はあるが僕と目を合わせることはない。
「楽しかったよ」
再び口の中だけでそう言って、僕は上の階へと進んだ。
エスカレーターをのぼった先の、あるブランドの売り場では、僕の一番のお気に入り、首から上がないマネキンに服を着せている。
足を踏み入れれば、期待通りすっぱりと首から上が切断されたような白いマネキンたちが出迎えてくれた。ビシッとキメたわけでもなく、かと言ってただ突っ立っているわけでもないような、曖昧なポーズで飾られている。
首の断面にあたるであろう箇所は、ただ真っ直ぐに白い面があるだけだ。触るとさぞ冷たくすべすべとしているのだろうな、と思いながら売り場を歩く。すると、全部で五体ある首なしマネキンのうち一体に、特に目がいった。
「美しいな」
清楚な印象のブラウスに、大人びた膝下のスカート。羽織ったカーディガンの色も、首から下げたアクセサリーの趣味まで完璧だ。
甘すぎず、かと言って女性らしさを損なわないコーディネートに、僕は感嘆の息を吐いた。
その『彼女』があまりにも好みだった。僕は店内の他のマネキンや商品には一切目もくれず、ただその首のないマネキンを見つめていた。
「完璧じゃないか」
このセンスは最高だ。もちろん、首がないことも含めての『完璧』だ。
心臓が煩い。
顔が熱いような気もする。
ああ、僕を視認もしなければ、かりそめの視線すら向けない君の、なんと気高くうつくしいことか!
「何かお探しですか?」
男一人でいるにもかかわらず、怪しむそぶりも見せず女性の店員が声をかけてくる。ああ僕が会いに来たのはお前じゃない、放っておいてくれ、という言葉を飲み込み、僕は笑顔で答える。
「あ、プレゼント探してて。でも、まだ考え中なんで」
「そうですかー。何かございましたらお気軽にお声かけていただければ」
「はい」
正直、このマネキンの着ている服ワンセット、全部買って帰りたいくらいだ。いや、むしろこのマネキンごと買いたい。幾らですか。僕は『彼女』が欲しいんです。
とてつもない恋情に駆られてそう口走ってしまいそうなのを堪える僕。首のないマネキンはその横で曖昧なポーズをとったまま、ぼんやりと佇んでいる。
欲しい。『彼女』が欲しい。できるなら今すぐ攫ってしまいたい。どうせ次のシーズンになれば服は着せ替えられるのだ、そうしたらもう君に会えない。
『君』は、そのときにはどこにもいなくなってしまうのだ。
「すみません」
狂おしいほどの感情を押さえつけ、僕はマネキンから視線を外す。名残惜しくはあるが、ここにずっといては幾らなんでも不審者だ。僕はさっきの店員を呼び、マネキンがつけていたペンダントを指さした。
「これ、ください」
『彼女』を買って帰る訳にはいかない。せめて服一式、という気持ちも捨てきれないが、値札を見ればとても手持ちが足りない。小さな袋に入れられた、花をかたどったシンプルなペンダント。それを胸のポケットに入れて、僕はデパートをあとにした。
「ただいま」
「おかえりー」
帰宅した僕を出迎えるのは、最近同棲をはじめた恋人だ。
「おみやげ」
「え?」
さっき買ったペンダントの入った小さな袋を渡すと、恋人はそれを開けて中身を取り出した。次の瞬間、満面の笑みが僕を捉える。
「かわいい」
君は違う。確かに可愛くて愛しい、大事な僕の恋人だが。そんな風に喜怒哀楽を表現する時点で、あの『彼女』には遠く及ばない。
「あげる。……たまにでいいから、つけて」
「ありがとー」
こうやって恋人に贈った安物のアクセサリーはこれで八個目。恋人がそれらを身につけるたびに、僕の中には淡い恋の思い出が蘇る。
僕は今まで何度も恋をした。そしてきっとこれからも、何度でも恋をするのだろう。装いを変えれば個などない、首のない『彼女』たちに。
無個性愛者 涙墨りぜ @dokuraz
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