落ちた髪すら愛おしく

 先程の件でございますが……はい、旦那様のご推察の通りでございます。あの戦闘艦の放ったビーム粒子が、この船にまでわずかながら到達して、保護コーティングを少しずつ剥がしているということです。


 この船の耐久性では到着まで保ちません。酸素・水・栄養の供給には問題ありませんが、このままですと目的地に辿り着く前に宇宙線の影響で旦那様は息絶えてしまうでしょう。


 なんとか手立てがないものかと探してはみました。私たちが出発してから、ここ九百年の技術進歩の支援が受けられれば良いのですが、生憎この航路から助けを呼ぶのには距離が遠すぎるのです。


 ですが、生存の手段はございます。だったら早くやって欲しい、でございますか……少し、落ち着きませんか。話はそう簡単ではないのです。いささか暗い内容を話しすぎてしまいましたので。


 そうです、旦那様、髪を切りませんか? 少々、伸びてきているようです。目覚めてからだいぶ時間も経ちましたし、丁度よいタイミングかと存じ上げます。


 はい、いつものロボットハンドで。理容の道具は一通り揃っております。どんな髪型がよろしいでしょうか。


[髪をかきあげ、撫でる音]


 モヒカンがいいんじゃないか、とは……まさか移住先が世紀末物の作品のようになっていると思い込んではいませんか? ふふっ、相変わらず面白い方ですね。


[髪を切る音]


 向こうは素敵な場所だと聞いております。荒れた大地の環境改善テラフォーミングはまだまだ必要なようですが、食べていくのに困ることはないと。宇宙移民は数千年をかけた大仕事で、常に人不足です。大丈夫、旦那様がないがしろにされることはありません。


 ですから、髪型は無難にまとめておきますね。伸びた分、全体的に重い印象を受けますから、まずは梳きバサミで量を減らします。そうでした、床屋であれば……様子は旦那様の目の前に映しますね。


 チョキ……チョキ……と。後頭部のほうが伸びるのが速いようですね。前髪と比べると一目瞭然です。はい、旦那様のことはずっと見ていますから、髪の毛の一本一本まで……というのは冗談ではありますが、やろうと思えば造作もありません。私を甘く見ないでください♪


[髪を櫛ですく]


 このあたりは……こうすれば良さそうですね。では、気が重いですが話の続きです。旦那様は地上訓練の講義内容を覚えていらっしゃいますか? 緊急時の対処方法に関して。基本、具体的な行動は船内AIが受け持つことになるのですが、最後の手段を行使するためには、移民者、つまり旦那様の合意が必要となります。


 ……違います、もちろん自決ではありませんよ。ただ、ある意味それにも近いような話です。チョキチョキ、と……こうやって私が切っている髪の毛にすら愛おしさを覚えさせてしまう、乱暴なやり方になってしまいます。


 宇宙から飛来する粒子線によって生命が危機に陥る……この種の可能性は予見されたものなのです。そして、唯一の解決策は、あなたの体を機械に置き換えること、つまり全身をサイボーグに換装することです。


 具体的なオペの内容は生々しいので口にはできないのですが、無論、一度換装を行えば、生身に戻ることはできません。


 チョキ、チョキと、これで仕上げ……旦那様、髪型は整え終わりました。いかがですか? ……大変失礼しました。前面に旦那様の姿を映し出しますね。これで……よしと。以前よりも凛々しくなられましたね。もちろん、私の趣味が入っていますっ!


 体を置き換えたら髪も伸びなくなる、でございます。私に切ってもらうこともなくなってしまう。確かにその通りです、旦那様。


 ……肩をお揉みしましょうか。理容店では定番だと伺っております。


[肩を揉む音]


 旦那様、すぐに結論を出す必要はございません。まだ船のコーティングは保ちますから。しばらくは、生身の体で私を感じ取ってください。


 肩は……結構凝っておられますね。運動を一日の中に取り込まないといけませんね、ただでさえ狭い船内ですから、意識的に動きませんと健康を保てません。


 ……ここ、固い。ぎゅっと押していきますね。痛かったら仰ってください……えっ、痛いほうが効いてる気がする、でございますか。確かにその通りかもしれませんが、限度がございます。


 ここも、肩甲骨のキワを指で押しながらなぞって……いかがでしょうか。可動域が増えたのではないでしょうか。


 次は首でございます。首筋のリンパを流しましょう。指でぎゅっ、ぎゅっ……ぎゅっ、ぎゅっ……と……


 首の裏。背骨の一つ一つの筋肉をほぐしていきます。旦那様の骨の形はミクロンオーダーで把握しています。ぎゅ~~~っと押し、さわさわとさすって、緊張を解していきます。


 ぎゅ~~~、さわさわ……、ぎゅ~~~っ


[背中をさする]


 最後に背中をさすります。上から下に流すように、さわさわと……これでよし。


 はい……まだ続けて欲しいということですね。承知いたしました。確かに、もし機械の体に換装すれば、このようなことをする必要はございません。それは私も理解しております。


 ですが、このように旦那様の体をほぐすのは、単に健康を回復するためだけではありません。触れ合うことで心を温めるのです。生身の体を持たない私だからこそ、それが骨の髄まで理解できるのです。ふふっ、もちろん私には骨すらありませんけどね♪


 すみません、とりとめのない話をしてしまいました。とにかく、体が機械になったとしても、このような施術が全く無意味になるということはないということです。それらを勘案して、旦那様が決断してくださればと思います。


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