第94話 見たことある

 けれども結局鶴田は何も史織に問うこともなく、ただ何度かこちらを見るだけだった。聞いてはいけないと思ってくれているのかも知れない。

 もしも、相手の正体がわかって、どうにかかたがついた時にこそ。鶴田にはお礼の言葉と共に事情を話すつもりでいる。

 やがて終業時刻までにきっちりと仕事を終え、史織は職場を後にした。息子のお迎えに行かなくてはならない。



 小学校の門を通り学童の校舎まで歩いていく。

 そう言えば先日のことを思い出し、思わず小学校の方の職員玄関の方を見てしまった。夕方になっても暑苦しく蝉の声が響く裏庭には、いつも通り職員の車がたくさん駐められており、その奥の方に隠れるように職員の出入り口があった。僅かな涼が取れる木陰で、あの女性と少年は何をやっていたのか。史織には知るよしもなかったけれど。ただ、あの少年が息子をいじめていた小学生だったと知った後では、もう見方が変わってしまう。

 ふと、その時、またあの少年が姿を表したではないか。

 思わずさっと物陰に身を隠した。校舎に隣接して立てられた倉庫の影は、裏庭の駐車場からは死角になる。反対の校庭の方からは丸見えだが。

 どこから出てきたのだろう、と不思議に思ったら、駐車場に駐められている多くの車の一つから出てきたようだ。

「・・・あの子、どの車から降りてきたのかな?」

 足早にその場を走り去り、史織のいる場所とは反対側へ消えていった少年はおそらく校舎の逆側から校庭へ出たのだろう。

 少年の姿が見えなくなった頃、駐車場から一台の軽自動車が発進し、駐車場を出ていった。ボディカラーが鮮やかなピンク色の軽自動車は、ちょっとお硬いイメージの教師が乗るには少々ポップすぎる気がした。史織の偏見だろうか。

「あれは」

 別にその車種やカラーが特殊だったわけではない。学校ではなく公道の交差点ならば普通に見かける車両である。けれど、史織はもしかしたらあの車をどこかで見たことが有る。どこでだろう。

 いや、どこにでもある普通の車両だから、たまたま目にしたものが同車種だっただけかもしれない。

 何故か妙にそれが気になって仕方がなかったけれど、息子が学童で自分の迎えを待っているはずだ。倉庫の影にいつまでも佇んでいるわけにもいかない。

 スマホの時計を確認して、慌てて学童の出入り口へ歩き出した。すると、子供の声が聞こえた。学童なのだから当然だけれど、その声は、仲良く楽しく遊ぶ子供の歓声とは違う。

「何すんだよ、返せよ。やめろ!」

 悲鳴のようなその高い声は、峻也のものだ。

 史織はハンドバッグを抱えて駆け出した。




 

  

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