第91話 新しい携帯

 夫が帰宅したとき、小さなメモを見せる。

”言われたとおりにしてきたぞ。”

 それは、佐島からの指示を史織から夫に伝えたものだった。

 ありがたいことに、夫はそれに黙って従ってくれている。

”ありがとう。助かる。”

 史織も、小さく付箋紙に書いて見せた。

 あちーあちーと言いながらダイニングの椅子に座った洋輝が、鞄から薄い冊子を取り出してテーブルの上に乗せた。

 史織も椅子に腰を下ろし、その冊子に視線を落とす。

 洋輝の指が冊子のページを開き、その商品を指で示した。新しい携帯電話のカタログだ。スマホではなく、携帯電話を選んだのは、そもそも洋輝はそんなにスマホに興味がないからだった。

 盗まれたのか失くしたのか未だにハッキリとしない彼のスマホはいまだに手元に戻ってこない。しかし、営業の彼にとってはそれは余りにも不便なので新しいものを用意することに決めた。

 史織は黙って頷く。夫の選んだ携帯電話は主にスマホを扱うのが苦だという年配者向けのそれだけれど、彼の用事はそれで十分事足りる。 

「夕飯にするわね。食べてないでしょ?」

「食べてない。頼むわー。でも、その前に一杯アイスコーヒー欲しいんだけど。」

「いいよ。ミルク砂糖前入れ?」

「そー。こってり濃いやつに氷入れてくれ。」

「了解。」

 下戸の洋輝はこんな時もビールよりもジュースやコーヒーだ。よくこれで営業が務まるなと思うけれど、案外、これはこれでうまくやれるらしい。

 立ち上がった史織はキッチンへ立って、夫のアイスコーヒーと夕食を準備する。

 明日は佐島と落ち合って、情報の確認をする予定だ。



 探偵さんが今度指定した場所は公立図書館の会議室だった。探偵さんだけあっていろいろなコネをお持ちなのだろうか、10名程を収容できる小さな会議室を予約している。

「こんにちは。どうぞ、お座りください。」

 躊躇しつつも会議室のドアを開くと、小柄で神経質そうな彼が立ち上がって挨拶してくれた。会議用の長いテーブルには、パソコンとモニターが置いてある。

「こんにちは。お世話になります。」

 ゆっくりと入室し、用意された椅子の方へ足を進める。

 そして、ショルダーバッグの中から、ペットボトルの冷たいお茶をそっとテーブルの上に置いた。

「下の自販機で買ってきました。よかったらどうぞ。暑かったでしょう。」

「これはありがたい。エアコンで室内は涼しくなってますが、やはり乾きますからね。嬉しいです、頂きますよ。」

 佐島の快い返答を聞いてから、史織も椅子に腰を下ろした。


 

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