第72話 探偵さん。
ほとんど味のしないうどんをただただ咀嚼しながら、じっと器だけを見つめた。
味覚障害になったときも、結月は一緒に付き添ってくれた。その後心療内科にかかるのなら、自分も一緒に行くとまで言ってくれた。夫の休日を、隠し撮りしてくれた。夫の職場のことを報告してくれた。結月は色々と、史織のために骨を折ってくれているのだ。まさか、結月が不貞の相手だなんて。
そんな馬鹿なことがあるはずがない。
けれども、もう理屈の通らないことばかりで、頭が混乱してきている。
「須永さん。」
「・・・えっ、あ、うん。」
「何度も呼びかけたのに。もうすぐ昼休み終わっちゃうよ。いつまで食べてるの?」
鶴田の声が唐突に聞こえてきた。
「あ・・・、ごめん。もう、終わりにする。」
慌てて箸を置いた。もうそんな時間なのかと、壁掛け時計へ目をやった。昼休みが終わるまであと6分しかない。
「もしかして、誰も信じられなくなってる?人間不信?」
「えっ」
まるで、史織の心を見透かしたように。
鶴田は軽く鼻の頭を掻いてから、少しだけ考えたように腕を組んだ。肘からお弁当箱の入った巾着がぶら下がっている。やがて、大きく息を吐いて、ポケットに手を突っ込んだ。ふたつ折りの財布が出てくる。
彼女が取り出したのは、名刺だ。
それも、それもなんだか少しくたびれている紙。
「・・・今でも仕事やってるかわからんないけど、廃業したとか聞いてないからもしかしたら頼りになるかもしれない。ちょっとお金はかかるけどね。わたしは当時この人にお世話になったの。」
指先で受け取った名刺には、”探偵業”の文字があった。
鶴田からもらった名刺を、まじまじと見つめる。
探偵などという職業は小説や映画の中だけのものだと思っていた。現実にあるなんて、信じられない。
「確か、一律で時給制という珍しい形式の探偵さん。当時は一時間につき五千円とかだったかな・・・今はもっと値上がりしてたりするかも。探偵っていうか、なんでも屋さんみたいな感じ。相談料も調査料も全部同じ時給プラス実費。元夫の不倫の証拠とか全部この人が揃えてくれたのよ。わたしから紹介されたって言ってもいいから、一度相談してみたら?スマホの事とかもいい知恵くれるかもしれないし。」
「鶴田さんも、この探偵さんに頼ったの?」
「だってさ、証拠が取れないと慰謝料も財産分与も出来ないと思ったの。わたし一人ならどうとでもなるけど、子供が二人もいるのに、無一文で放り出されるわけには行かなかった。自分で調べようにも、まだ娘たち手がかかる年頃で、とてもとても無理だったからさ。」
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