第64話 不携帯

「はっ・・・はっ・・・」

 再び過呼吸になる。今度は、抑えきれるだろうか、わからないくらいに切迫した。

 いけない、やばい、まずい。目がくらむ、天井が回る。手先がしびれる。

「・・・おかーさーん・・・?どーしたーのー・・・?」

 寝ぼけたような、ぼんやりとした声が息子の部屋から聞こえた。

 途端に、ひゅっと息を吸い込む。

 さっきの史織の悲鳴が大きすぎて、峻也を起こしてしまったのだろう。

 子供の力って凄い。

 今の今まで過呼吸を起こしそうになっていたのに、手先がしびれて動けなくなっていたのに。目眩で世界が回っていたのに。

「あ、はは・・・。ごめんね、峻也。ゴキブリが出たんで、お母さんびっくりしちゃったの。もう外へ出したから平気よ。」

 布団の上に身を起こしている息子へ近寄って、その肩を撫でた。

「ごきぶり・・・かぁ・・・かーさん、虫だめだもんね・・・」

「でも、もう平気よ。ビニール袋に入れてポイってしたからね。」

「うん。・・・そうかぁ。・・・おやすみ。」

「おやすみ。」

 もう一度、息子をそっと寝かせる。

 驚かせてしまってごめんなさい。額に軽く手を置いて、心の中で謝った。

 学童で色々あってきっと神経を使っているだろう。そのせいで眠りが浅かったのだろうか。

 寝入ったことを確かめると、史織は再びリビングへ戻った。

 カーペットの上に落ちている、虫の真空パックを、ティッシュで包んでつまみ封筒へ戻した。目にするのも嫌なのだ。触ったときの感触を思い出して身震いする。直接触れなくても、形がうっすら感じられただけでも気色悪いのだ。

 血文字を連想させる手紙も、一緒に封筒に入れる。

 それから、大きく息をついた。

 夫のスマホを盗んだ人間も、わかってしまった。

 無くしたのではなく、奪われたのだ。

 しかし、本当にこんなことを、夫の会社の女の子がやるのだろうか。

 いささか、というかかなり常軌を逸している気がする行いだろう。

 驚愕や恐怖で曇っていた自分の判断力が、少しだけ戻ってきた気がする。

 そもそも、こんなことをされるような恨みを買った覚えがない。夫も、無いだろう。まあ、厳密には聞いてみないとわからないが、無いと思う。思いたい。

 封書をもう一度見つめる。

 いくら真空パックされているとは言え、今までの手紙のようにハンドバッグに入れて持ち歩くのは嫌だった。


 





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