第63話 悲鳴しかない

 翌日は学童を休むように言うと、峻也は少しだけ安堵したように見えた。

「お留守番出来る?お母さんお仕事休めないの。」

「出来るよ。」

「そっか。」

 不憫でならないけれど、今すぐ出来ることは休ませることくらいだろう。

 ごめんね、と何度も言って、もう一度息子を抱きしめた。



 夕食を済ませ、息子を寝かしつけると、リビングのテーブルの上に、件の手紙を置いた。

 唾を飲み込み、ゆっくりと手に取る。

 端をペーパーナイフで切り取って、中の方を覗き込んだ。

 なんだか、黒っぽいものが見える。影になっているだけだろうか。それにしても、この妙な膨らみはなんだろう。

 紙片も入っているが、その紙の質も以前とは違う。やや厚手な気がした。

 先に、紙の方をするすると引っ張り出す。三つ折りになったそれは、紙がしっかりしているせいか開くのが楽だ。

「・・・ひっ!」

 赤黒い文字が、乱雑に紙の上に載っている。

 もしも印刷だとしたら、実にリアルな印刷だ。掠れやインクの小さな泡立ちまでもがきちんと写っている。最近の印刷機は、かなり性能がいいのだろう。


”次はスマホじゃない。もっと大事なものを奪う。”


 なぐりがき、という書体があるのならば、これだろうと思われた。

 鮮血のような赤と、それが凝固したような黒っぽい赤色がグラデーションのようになっている文字は、今までの文体よりも遥かに文字も大きく、荒っぽく、迫力がある。見た瞬間に、思わず息を呑んで紙から手を離してしまうほどだ。

 まさか本当の血文字ではないだろうとしても、史織の精神を削り取るには充分すぎる演出だった。

 身体全体に悪寒が走る。全身の毛が逆立つ気がした。

「・・・っはぁ、・・・っはぁ・・・」

 呼吸が浅くなる。

 まずい、過呼吸になってしまう。理性を総動員して、必死で呼吸を整えた。今倒れるわけには行かないのだ。そう思って自分を奮い立たせる。そう考えられるまでになった自分は強くなったはずだ。大丈夫、大丈夫。己に言い聞かせながら、両手で胸を押さえた。

 紙片を裏返しにしてテーブルに置く。見えないように。

 そして、膨らみの正体がなんなのか見ようと封筒に手を伸ばした。奥の方まで指を入れて中身を引っ張り出す。つるつるして滑りがいい。どうやら紙ではない。しかし、やけに歪つな気がした。

 その黒いものが目の前に出てきた時、

「ぎゃぁぁぁあ!!」

 史織は大きな悲鳴を上げて両手を上げ、それを手放した。

 目を見開いて、座ったまま後ずさる。

 史織が放り出した黒いそれは、ぽすん、と軽い音と共にカーペットの上に落下した。

 どうやら、それは、生きてはいないらしい。

 史織がもっとも苦手な黒い生き物。それは、ゴキブリ。

 それの、真空パックされたもの。

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