第57話 家
洋輝が恐れていたのは妻の逆鱗に触れることではなく、その不貞相手の脅迫に屈することだった。
そして、本人は不貞した覚えはないと、きっぱりと言い切っている。ただ、それはどこまで信じていいのかわからない。こんな証拠らしい写真まで撮影されては、関係していないという証明をするほうが逆に難しい。
意気消沈しているのか、俯いている夫になんと声をかけるべきかわからなかった。夫の態度は、あきらかに被害者である。
ただ、被害者ぶっているのとは違う。正直に知っていること覚えていることをただ話しているだけ。そう思える。伊達に何年も一緒にいるわけではない、そのくらいのことは妻として理解できた。
「それで・・・その人は、会社で何か言ってきたの?」
史織が声を出してくれたことに勇気を貰ったのか、洋輝が顔を上げた。
「それが・・・それ以来なんの音沙汰もなくて。職場で顔を合わせても、まったく普通で、特に何か言うでもなく・・・するでもなく以前とまったく変わらない態度なんだ。まるで、あれは悪夢でも見てただけなんじゃないかっていうくらいに。」
「二人きりの時には、脅されたのに?」
「うん。写真とかその子は保存しているんだろうけど。一切なにも言ってこなくて。上司に言いつけたようにも思えなかったし・・・。誰も何も言ってこないし。あれは一体なんだったんだろう・・・。そう思ってたのに、まさか、史織に送りつけてたなんて・・・!!」
「洋輝を脅して、何をさせようとしていたのでかな、その人。」
「・・・その、か、関係を持て、って言われた。」
「つまり、誘われたってこと?」
「まあ、有り体に言えばそう。そう、だと思う。でも、でも俺は、本当に何もしてないんだ。拒否したら、脅すから、その場だけわかったって言った。ただ、今日じゃなくてもいいだろって言い訳して。ホラ、この日俺凄く疲れてたし、とても無理だって言ったんだ。そう言ったら・・・凄く悲しそうな顔をしてさ、部屋を出てっちゃって。何をしてたのかはわかんないけど、俺が寝てた部屋に荷物も服も鍵も全部あったから、最悪、靴なんかなくても、裸足だって歩けりゃいいって思ってとびだしたんだよ。ご丁寧に、靴は玄関に並べてあったし。」
「本当に?」
「本当だよ!!ちゃんと家にだって帰っただろあの日。・・・っても、帰宅した時は史織は寝てたけどね。・・・寝顔を見て、凄く安堵したの覚えてる。」
その日の事を思い出し興奮したのか、洋輝が胸を押さえた。
家に辿り着いた時、どんな顔をして家族に会ったらいいかわからなかった。自分の身に起きたことが、なんだか現実味がなくて、怖かった。
けれど、史織と峻也の寝顔を見て、安堵したのだ。ここが、自分の家だと。自分の日常に帰ってきたのだと。その日に起こったことは、非日常で、現実ではなかったのだと、そう思えた。
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