第29話 視線の先
こうしていれば、とても妻や子供を裏切っている男とはとても思えなかった。
それに今のところは、結月の定例となりつつある報告にあやしい点はなかった。
例の手紙はいまだに史織のショルダーバッグの奥底にしまわれている。あれを見せたら何某かのことはわかるかもしれない。さすがにあの写真を見れば、夫だって言い訳のしようがないことくらいわかるだろう。
けれども、その勇気がなかった。
もしかしたら偽りかも知れないこの家族を、家族ごっこを続けたくて。やめたくなくて。平凡で平穏なこの関係を壊したくなくて。
余計なことを考えるのは止める。明日は早朝に起きてお弁当作りだ。峻也の晴れ姿を、夫と二人で見るのだから。
「峻也ー、がんばれー!」
「おい、史織の声がもろにビデオに入っちゃうんだぞ。」
「応援くらいしてもいいじゃない。」
「あとで、ビデオ見る時恥ずかしい思いするのはお前だからなー。」
校庭のコースのゴール付近に陣取って、三脚をセットしカメラを構える。夫はレンズを覗いたり肉眼で位置を確認したり撮影の準備に余念がない。
妻はとにもかくにも息子の姿を探したかった。息子のクラスは30名ほどだ。一応コースと順番は予め知らされているけれどやっぱり本人の顔を見て安心したい。
スタート付近に児童が縦列にならんでいる様子が見える。順番とコースから見れば居場所はわかるはずなのだが遠すぎてはっきりしない。
そんなことをやってるうちにスタートの鉄砲音が聞こえ、徒競走が始まった。
峻也は5番めのインコース。あっという間に走り出してあっという間に終わってしまった。結果は2位だった。昨夜、本人は、一位を取るんだと息巻いていたけれど。
「・・・一位取れなかったなー。悔しがるかな、峻也。」
カメラから顔を離して、洋輝が呟いた。
「ちゃんと最後まで走りきったんだから、それでいいの。がんばったわ。」
「だな。」
二年生の保護者は移動する。ゴール前にいつまでもいるわけにはいかないから、慌ててカメラと共に動き出した。次の学年の児童が走るから、場所を次の学年の保護者へ譲る。
バタバタと保護者の群れが動いた。顔見知りのママ友や、息子の同級生の保護者と軽く挨拶を交わした。観戦するには届けがいるが、厳しい検問があるわけではないから、なにげなく卒業生らの姿もちらほら見える。児童の兄妹や従姉妹も来ているのかも知れない。
そして、ふと、洋輝の視線が止まった。
その視線の先には、若い女性の姿があったのだ。
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