第25話 ぶつかる

 洋輝が欠伸をした。

 眠いのだろう、時間が時間だ。あるいは、欠伸が出る程度の話題だったのか。目に涙を浮かべた夫の顔を見てなんだか何もかもが面倒くさくなった。

「新しい鍵は受け取ったの?」

「あ、ああ勿論!家族の人数分くれたんだ。峻也の分はまだいらないから、史織が持ってて。」

 話題を変えたからなのか、夫は急に機嫌良さそうに立ち上がり新しい鍵を取りに部屋を出た。

 隠し事だのなんだのと揉めるのが嫌なのはわかる。史織だって揉めたいわけじゃない。だからと言ってうやむやに出来るような問題でもない。けれども、史織自身もとても疲労を感じている。嘘をつく夫の顔を見ているとその疲労がさらに蓄積する気がするのだ。明日も普通に仕事が有り峻也は学校だし夫も会社に行くだろう。これ以上言い合ってもなんの益もないと思った。



 それから一週間が過ぎた夕方、史織はいつものように仕事から戻ってすぐに学童へ息子を迎えに行こうと慌てていた。戸締まりを確認し、きちんと施錠して部屋を出て、管理人室にも一声かけてからマンションを出る。空き巣の事件があったので、住人はみんなピリピリして神経質になっている。その事を管理人もよくわかっているのだろう、申し訳なさそうな顔で会釈してみせた。

 近くのスーパーで買い物を済ませて行こうと買い物かごを手にひっかけて店内に入った。その瞬間だった。

 がしゃんっと言う音がして床の上に何かが広がったのだ。

「・・・えっ・・・!!」

「・・・あっ・・・!!」

 卵のパックが床の上に落ちて、割れてしまった。買い物かごがぶつかった拍子に、相手が手にしていたそれが落ちてしまったのかも知れない。

「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?お召し物汚れませんでしたか?」

「大丈夫、わたしは平気ですけど。ごめんなさい、わたしのせいですか?落としてしまったのは。」

 史織はぶつかった相手の顔を見上げた。

 ショートボブの髪型に柔和なやわらかい顔立ち。どこかで見かけたことがある。

 周囲の客が遠巻きになると、すぐに店員が駆けつけてくれた。

「お客様、大丈夫ですか?拭きますので、どうぞあちらへ。お買い求めになったのは卵の10個入りパックでしょうか?」

「そうですけど、大丈夫です。自分が不注意だったんですよ。」

 店員に対して丁寧にそう答えた女性は、史織の方を向いて少し困ったように笑う。

「ごめんなさいね、お靴を汚しちゃいましたね。」

 

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