第2話 何かのまちがい

 その日はまったくと言っていいほど仕事に身が入らなかった。朝に発見した夫からのメールの内容が頭から離れない。上の空もいいところで、仕事中失敗ばかりだ。社会人として情けなかった。

「須永さん、今日はどうかしたの?調子悪い?」

 同僚で同じ仕事をしている鶴田彩奈つるたあやなが、心配そうに声を掛けてきた。本当に心配している様子が、その口調や表情からもわかる。

「ちょっと、寝不足で。」

 他に言い訳のしようもない。

 心配してくれる同僚に嘘をつく罪悪感に、軽く胸を痛ませながら困ったように苦笑する。

 今朝見たメールが、何かの間違いであって欲しい。

 ひたすらそれを願いながら一日を過ごして、家に帰る。

 夫の洋輝は営業マンだ。ルート営業は勿論、飛び込み営業もこなす外回り営業で、毎月のノルマに押しつぶされそうになりながらも、どうにかここまでやってきた。だから、終業時間も毎日違うし、基本的に夜遅く帰ってくるし午前様も珍しくはない。

 だが、夫が売っているのはあくまで商品である。自分の時間を切り売りするようなホストではない。あんなメールが営業であるはずもなかった。



 心ここに在らずのままに帰途につき、近所のスーパーで夕食の買い物をする。よほどぼんやりとしていたのだろうか、冷蔵庫に眠る鶏もも肉があるのに、さらに500グラム買い足してしまっていた。醤油もストックがあるにも関わらず、買い物袋から出てきた。

 大きなため息をついてダイニングテーブルに両手をつく。

 こんなところで落ち込んでいる暇はない。学童保育へ息子を迎えに行かなくては。

今夜も息子と二人きりの夕食と、お取り置きの夫の分の夕食を作る。

 夕食はほとんど家族一緒に取ることがないから、朝食だけは一緒に取ろうと決めていた。だから、朝だけは一時的に家族三人が食卓に揃う。

 けれど、明日の朝どんな顔をして夫に会ったらいいのかわからなくなりそうだった。



 外回りから戻って自分のデスクに着くと、ノートPCを起ち上げる。現在の仕事の進捗やらスケジュール、上司の指示や定例会議などの確認など、疲れた目元を指先で押しながら眺めた。

 洋輝はオフィスをぐるりと眺める。その視線は、誰かを探している。

 小柄で、ショートボブの髪型の女性を視線で追っていた。彼女は派遣なので、職場の制服ではなく私服姿だからすぐに見つかる。

 中田結月なかたゆづきがここに来て三年近くなる。

 洋輝の視線に気付いたのか、彼女がこちらを見て、軽く会釈した。

 その人懐こい笑顔は、とてもただの職場の同僚という親しさではない。ナチュラルメイクに見えるそのあどけない顔で、にこりと微笑まれると悪い気はしなかった。

 

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