第2話 戻ってくるつもりはなかった

 見慣れた景色だ。戻ってくるつもりなんてなかった。ポケットの中にいる、小さなフェルトのシュザンヌの感触を確かめた。


 本当に、二度と、戻ってくるつもりは、なかった。


 髭が伸びただけで、人相は変わるらしい。数人、顔見知りにすれ違ったけれど、誰も僕に気づかなかった。警戒していた自分がおかしくなった。そう、僕はもう死んでいる。顔見知りが僕をみても、似ているなとおもうだけだろう。少し、気が楽になった。


「テオドール」

少し迷ったけれど、宿の予約では、名を偽らずに告げた。宿の主は特に何も反応しなかった。珍しくもない名前だ。死んだ男と同じだというだけだ。まさか本人とは思わないだろう。


「戻ってくるつもりは、なかったけれど」

胸元からとりだして、指輪を眺めた。シュザンヌ様の瞳と同じ青色の石を見つめる。シュザンヌ様の消息を知りたかった。今どうしておられるか、知りたかった。貴族のお姫様、深窓の御令嬢だ。どこで何をしておられるかなど、平民にはわからない。ただ、お幸せかどうか、それだけでいいから知りたかった。


 窓辺はシュザンヌの定位置だ。フェルトのシュザンヌに、外を見せたところで意味などないとわかっているけれど、ついつい外が見えるように置いてしまう。


 本物の、指輪を預けた猫のシュザンヌが、どうしているかも心配だった。かわいがってもらっているだろうか。少し気難しくて、気位の高い、可愛い猫だった。僕以外にはあまりなつかない、少し我儘なところが、可愛らしかった。あのふわふわの毛並みが、綺麗な尻尾が懐かしい。


 王都に来たからといって、わかるとは限らない。そう思っていたけれど。僕が誰か、気づかれないならば、なにか方法はあるはずだと思えた。

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