第14話 守るもの、従うべきもの


「くそったれめ、何が目的だ照魔官イルミネーターども……!」


 月明かりに満ちる冷たい街を疾走しながら、悪態をつくと共に頭に引っ掛かっていた違和感を整理する。


 好印象を持たれていないはずの照魔官イルミネーターからの救援要請――受け取ったその時は軽く流してしまったが、この時点で感じていた違和感の真実に気づくべきだった。


 街の担当者だけでは対応しきれない、悪魔デーモンの高い発生率。

 それは本来なら、かつては【鉄拳】と呼ばれようと今はしがない一神父である俺なんぞよりも先に、教会の上に相談すべき事態のはずなんだ。


 だと言うのにそうせず、奴らはそれを手が負えなくなるまで放っておいた。

 それは単なる照魔官イルミネーターらの怠慢に過ぎないともとれるが、もう一つ。

 あいつらはそもそもこの事態を見逃すつもりでいた――それか、歓迎していたからじゃないか?


 例えば俺がさっきまで対応していた悪魔デーモン召喚未遂事件だって、下水道の拡張工事なんて大掛かりなことをしていれば、もっと前に動向を掴めていたはずだ。

 いざ儀式を行う前夜になって場当たり的な対処をしなきゃならないなんて、本来生真面目な連中が集う教会の動きとしてはお粗末すぎる。


 恐らく連中は本来ならば、先ほどの儀式も見逃すつもりだった可能性が高い。


 だとしたら、この期に及んで突然それを潰すつもりになったのはなぜか。


 それは恐らく、あそこに集められていた女性の一人が「特別理想的な生贄である」と言った――エマの存在だ。


 儀式の場から逃げたエマを、きっと連中は血眼になって探していただろう。

 そして、見つけたのだ。

 俺、神父レイモンドに庇護されているという形で。


 照魔官イルミネーターの連中は、俺が悪魔デーモンによって強化されたヒグマを素手で倒したことを知っている。


 そんな俺をなるべく長時間エマから遠ざけて、その隙に本来の狙いである彼女を手に入れるつもりで、奴らは今夜の依頼を出してきたんだろう。


「……なんて、こじつけが過ぎるか? だが、そうでもなきゃ俺たちの寝室に連中の徽章が落ちていて、なおかつエマがいなくなっていたことの説明がつかない。まったく関係がないというわけではないだろう……いずれにせよ、納得できるくらいの説明はしてもらうぞ!」


 自分でも、それなりに穴のある考えであることは否めなかった。


 だが、直感が激しく警鐘を鳴らしている――これまでに積み重なっていた違和感の数々は確かに一直線上に並んでいるものに違いない、と。

 そしてこういう時のカンは大抵間違っちゃいないのだと、俺は知っている。


「俺の大事なシスター(候補)に指先一つでも触れてみろ。その時は、生まれてきたことそのものを後悔させることも辞さん」


 なんにせよ、抵抗の跡が残っていた以上、エマの意に反して連れ去られたことはほぼ確実だ。


 既にその鼻っ面をぶん殴ることは決定事項だがな――!





 辿り着いたのは、街の中央区にある教会本部だ。


 東西南北に位置するこの街の支部を統括し、中央とのやり取りを一手に担う俺たちの大本。


 照魔官イルミネーターたちは悪魔デーモン関連など、一般人には秘匿されるべき機密情報を扱うために通常この警備が厳重な本部に腰を据えている。


 その周囲は石を積み上げた上に鉄柵を配置した城塞のような造りの外壁に囲まれており、唯一の出入り口は正門である巨大な鉄扉のみ。


 そちらに回ると、そこには何人かの人影がカンテラを掲げて立っていた。


 すわ待ち伏せかと思って、足音を殺しながら近づく。

 と、そのうち一人がばっとこちらに振り向いた。


「――あ、先輩!? どうしてこんなところにいるんっすか!」

「その声……アイリか? お前こそ、どうしてこんなところにいる?」


 そこにいたのはもう二度と顔を合わせることはないだろうと思っていた、伐魔官リーパー時代の後輩であるアイリだった。

 よく見れば、その背中には彼女の代名詞でもある大鎌が今夜もきらりと輝いている……相変わらずおっかない連中だよ。


「ちょうど良かったっす、先輩がいれば百人力、いや千人力っすから。なんでもいいんで、あたしたちに手を貸してくんないっすか?」

「それは……いや、その前に俺はここの連中に用事があってな。それの後なら話を聞いても良いが」

「ふーん、ちなみにそれってぶっ飛ばし案件か聞いても?」

「場合によるな。まずは奴らの話を聞かなきゃならん」


 もしかしたら俺の想定した全てが間違っていて、実は奴らがエマを庇護下に置こうとしていた――なんて可能性も捨てきれないからな。

 問答無用で襲い掛かるなんてそんな、野蛮人でもあるまいし。


 愛の拳を振るうのは、言い訳を聞いてからでも遅くはない……そうだろう?


「ならちょっと待ってくださいっす。もしかしたら同じ案件かもしんないんで、先にあたしたちがこの街に来た理由を聞いてください。……先輩、実はこの街の教会なんすけど、万魔懲滅会――【万の悪魔を懲戒し、撲滅せしめる会】の一派なの知ってます?」

「いや、初めて聞いたな」


 【万の悪魔を懲戒し、撲滅せしめる会】。

 通称を万魔懲滅会という彼らは、俗に教会内の過激派のうち一派を指す。


 この世に顕現した悪魔デーモンを還すのみならず、やがてはあちら側へ攻め込んで人を冥府魔道に誘う連中の全てを撲滅すべきだとまで主張する連中だ。


 俺としてもそれが実現すれば良いなーとは思うのだが、いかんせん、連中はとかく主張が強すぎて気に食わないというか、性に合わないんだよな。


 だって、出会うたびにやれ悪魔を滅ぼせ殺せみなごろすのだとやかましいし。

 伐魔官リーパーをやっていた当時は、奴らを見かければ顔を逸らして無視を決め込んだもんだ。

 一度絡まれたら悪魔デーモンの悪辣さについて何時間も説いてくるお前らの方がぶっちゃけ厄介だよ、と何度面と向かって言いたくなったか。


 そんな凶信者めいた連中がこの街にいたとは初耳だが、それがどうかしたのか。


「それがですね。信じられないことに、連中の一部がまさかまさかの悪魔デーモンの召喚を試みてたって言うんすよ。この街はその実験場の一つ、って扱いだったみたいっす」

「……はぁ? んな阿保な、悪魔デーモンをこれでもかと忌み嫌ってる連中がなんでまた自分から奴らの手先になろうとしてるんだよ」

「そんなのあたしが知りたいっすよ。とにかく証拠もあったってんで、あたしたちはそれを防ぐためにここに来たんす」


 そう話すアイリの様子に嘘を語っている様子は見られない。

 詳細は分かっていないようだが、実際に動いている以上は動かぬ証拠を掴んでいるのだろう。


 しかし……どうやら、こいつらが来た件も少なからずこちらの事情に絡んでいたみたいだな。

 やはり俺の想像は少なからず的を射ていたようだ。


「なるほど。それならさっさと中に入るぞ。ここの連中を片っ端から捕まえてとっちめる。口の堅い奴は二三発殴って、足りなければ四五発殴って吐かせよう」

「そこなんすけど、それがそうもいかないんすよ先輩」


 アイリは首を振って、急ぎ鉄扉を押し開けようとした俺を止めた。


「何故だ。悪魔デーモンについては速戦即決見敵必殺、それが俺たち……いや、お前たちのモットーだろうが」

「それは変わっちゃいないんすけどね。……なにしろ今回の件、連中の後ろ盾は司教のアルビゲイオスっす。やっこさんがそれなりにお偉いせいで上は今交渉の真っ只中、まだ踏み込んじゃ駄目ってお達しが出てるんすよー……」

「なんだと? 司教だからどうした、証拠があるんだろう。だったら――」

「あたしらだって歯痒い思いをしてるんす。でも、そういうわけにいかないのは、ほら。先輩だってご存じでしょ?」

「……」


 俺だって、彼女の言いたいことが分からないわけじゃない。


 状況はいつだって水物、いちいち上の判断を仰がずに現場の判断で柔軟に動くことも重要だ。


 かといって、なんでもかんでもそれで済まされるわけにはいかない。


 教会の暴力装置たる伐魔官リーパーにそれを自由に許せば、やがて暴走すら招きかねないからだ。


 そうして現場の独断専行を無暗に許容し続けた結果、悪しき結末を迎えたという事例はどれほどでも歴史という悠久の教科書に転がっている。


 ――しかし、しかしだ。


「……ふざけるなよ」

「……先輩?」

「アイリ、聞け。今回ここにいる奴らが喚ぼうとしてるのは恐らく【百眼の悪魔】アルゴアルフス――その生贄になろうとしてるのはエマ、俺が教会で保護してた年端も行かない少女だ。儀式は明晩、それまでにお話し合いにカタが着く確証があるのか?」

「それは……」

「ない」

「っ」


 言い切った俺に、アイリはごくんと唾を呑んだ。


「お前たちの言いたい組織の道理ってやつも、確かに守らなきゃならん代物だ。……だが、現実を護れないその道理に何の価値がある。俺たちが守らなきゃならないのは理屈じゃない、たった今目の前で失われようとしている少女の命だろうがよ」

「それは、そうっすけど……でもっ」

「今回その道理を通して守られるのは、万魔懲滅会の面子だけだ。違うか?」

「……」

「そして、お前たちは上官殿の命令に従わきゃならないとその通りに足を止めてる。――だが、本来お前たちが守らなきゃならないのは、従わなきゃならないのはそんなちゃちな・・・・ものか?」


 止めようとするアイリの手を振り切って、教会の鉄扉の前に立つ。


 それは俺の身長の五倍を超える高さを誇り、分厚さも生半可なものじゃないだろうことが軽く見ただけでも伺える。


 まさに、教会に攻め入る邪悪な敵から神の教えを守るための聖なる牙城。


 だが、今回の敵はその内側に潜んで幼気な少女を我欲のままに貪ろうとしている。


「俺が従うのは今も昔も、女神様の教えと俺自身の正義だ。そして俺が守るのは、助けを求める誰か。―――お前たちは、違うのか?」

「先、輩……っ!」

「待機したければしていればいい。お前たちの信じる正義がそれ・・ならな。だが、俺は行くぞ」


 いつも通り拳を固く握りしめ、構えを取る。


 これから撃ち抜くのは、俺が信仰する教えの入り口だ。


 だが、これは決して背信などではない。


「……許せ、我が女神よ。これより為す我が蛮行は、汝の威光に隠れようとする卑怯者どもをブチのめすためのもの。許さぬと言うなら、いずれこの身を地獄に送るが良い。そんな覚悟など、とうに出来ているからなっ!」


 深く息を吐き、眼前を塞ぐ神の威光を前に。


 俺は己が熱を拳に宿し――祈りと共に振るう。


 ――ズガアアアァァァンンンッッッ!!!


「……マジ、っすか」

「大マジだ。では、先に行く。お前たちは好きにしろ」


 ひしゃげ、吹っ飛んだ鉄門扉の破片を越えて先へと踏み出す。


 向こう側からは不寝番の叫ぶ敵襲の声が響き渡るが、そんなものは無視だ。


 ――待っていろエマ、今お前を助けるからな!





 残される形となったアイリは足元に散らばった鉄扉の残骸を見て嘆息する。


 だがその顔に浮かんでいるのは、レイモンドの暴挙に対する諦観ではなかった。


「……変わらないっすね、先輩は。勇往邁進、独立自尊。鉄の意志で権力も巨悪も纏めて砕く【鉄拳】――まーた上を胃薬中毒にする気っすか?」

「あの、どうしますかアイリさん。あの人行っちゃいましたけど」


 慌てた様子の部下を傍目に、彼女は笑顔で・・・己が背負う大鎌の柄を握る。


「決まってるっすよ……こうなりゃヤケっす。どうせ先輩は全員ブン殴っちゃいますし、あたしたちの待機命令も実質パーになったようなもん。あーあ、待ってた時間が馬鹿みたいっすねぇ。……ええい、お上の胃薬の一つや二つ増やしたところで変わんないっすし、こっちも鬱憤晴らしに暴れるとするっす!」

「では、僕たちも参戦するということで?」

「そうっす、あんたたちは討ち漏らしを捕まえるっすよ。あたしは先輩のカバーに回るっすから。――【月鎌】のアイリ、今先輩のお傍に馳せ参じるっすよー!」


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