第13話 されど街は未だ暗く
辿り着いた地下空間だが、下水道にしては中々に広い。
壁の色が途中から違っていることから、恐らくは今目の前にいる連中が密かに拡張工事でもしていたのかもしれないな。
それなりに資金も必要だっただろうに、よくもまあ頑張ったものだ。
「壁にあるのは孔雀を模した紋章……となれば呼び出そうとしているのは百眼の悪魔、未知と千里を見通すと言われるアルゴアルフスか。とんだ大物だな」
アルゴアルフス、別名を蛇舌の悪魔。
伝説では人の求めるがままにありとあらゆる知識を与えて賢者を生み出すと言われているが、その実態はまったく異なる。
奴は事実無根の虚言や耳障りの良いお世辞ばかりを手当たり次第にバラまいて、話を聞いた者たちを頭ではなく舌先だけの肥えた毒舌家にしてしまうんだ。
人々がそのようになった社会はどうなるか?
連鎖的に疑心暗鬼が満ち溢れ、信用や信頼といった心の秩序を保つものが悉く地に堕ち、やがて全てが崩壊してしまう。
過去には一国さえ滅ぼしたという強大な
「そも、そんな都合の良い話を真に受ける人間が賢者になどなれるものか。……だが、ちゃっかり自分が犠牲にならないための悪知恵くらいは持ち合わせているか。下衆だな」
用意された空間の中央には、
そしてその中には、生贄と思しき十数人の女子供が入れられた檻が鎮座していた。
ただでさえ不衛生な環境に置かれ、その上で長時間の監禁によるストレスが祟っているのか、彼女らの顔には強い疲労と絶望が浮かんでいる。
まさに悪魔の所業、許せるものか!
「ふざけたことを、我らが下衆だと!?」
中にいた連中の一人で、なにやらデカい宝石のついた立派な杖を構えたリーダー格らしき男が叫んでくる。
俺にはふざけているつもりなどまったくないんだけどな。
――彼女らはみな、(我が教会のシスターになってくれるかもしれない)大切な人たちだ。
それを害しようなどと、それこそふざけた話だ!
「何が違う。追い求めたいものがあるのなら、自分の身こそを第一に犠牲にしろよ。誰かの平穏を踏み躙って得られる成果なんて、便所の汚れを拭う雑巾にもなりやしない」
「な、なにっ! ……ふん、しょせん神父なんぞに我らの偉大なる大義は分からんか! 神の名の下であればなにをしても許されると思っている弾圧者どもの先兵め! ――よいかお前たち! ついに召喚の儀を明日に控えた今、これ以上誰にも邪魔をさせるわけにはいかぬ!」
奴はその手に持った杖の先端でびしっと俺の方を指して、周囲に向けて叫ぶ。
「敵は一人だ、殺してしまえ! 召喚済みの
完全に聞く耳持たずのリーダーがそう命令すると同時に、控えていた連中のうち五人が呼応して動き出す。
見れば、奴らの影がなにやら見覚えのある動きで蠢き始めているじゃないか。
その中から出現したのは、例によって
どうやら護衛としてあらかじめ呼び出していたらしいな。
加えて他の連中も、鉄パイプなどを手に持って俺に敵意を向けてくる。
「なるほどな、その過大な自信は既に
先行して、翼を生やした三体の
――しかし、こちらは元々
娼婦殺しの時のような偶発的な遭遇とは違う。
対抗手段くらい、当然持ち合わせているに決まってるだろう!
「その散り様に添えてやる、死して目に焼き付けろ――我が聖装、【
一体目。
羊頭の顎をアッパーでカチ上げ、天井に半身が埋まるまで突き上げる。
二体目。
ふさふさの毛皮に隠れた鳩尾にストレート、からの連打で壁へめり込ませる。
そして三体目。
股下を潜って背後に抜けてから翼を掴んで引きずり落とし、頭部に拳骨を落として地面に強制的に伏せさせる。
「なっ……! だ、だがその程度で
「それはどうかな?」
一瞬の攻防に、頬を引き攣らせながらも余裕を保とうとするリーダー格の男。
その目の前で、遅れて奴らの身体が一挙に崩壊し塵と化した。
「な、な、なっ……!?」
混乱するリーダーとその他の連中を尻目に、俺は己の拳を見下ろした。
そこにはこの陰鬱な空間においても燦然と輝く白銀の籠手――
元々俺が
もう使わないだろうと手入れを怠っていたせいか輝きがやや鈍いが、それでも十分手に馴染む。
「どうした、先ほどあれだけ回っていた舌が止まっているぞ?」
「く、くっ……まだ、まだだ!」
続けて、ドスドスと地に足を付けて駆けてきた残る二体の
それを含有する武器で攻撃すれば、たった数発与えるだけで容易く奴らの元居た場所に送還することが出来る。
そうして、続けて残っていた二体も同じように消滅の道を辿った。
それを見てようやく彼我の戦力差を悟ったのか、連中の数人が逃げ出そうとするが――。
「
「あっ、あっ、あっ……や、やめっへごふっ!?」
背中を見せて走る連中などカモでしかない。
俺は一人残らず奴らを丁重に気絶させていき、残すは舌の回らなくなっていたリーダー格の捕縛のみとなった。
だが奴は卑しくも、まだ己が運命を素直に受け入れられないでいるようだった。
「っ、こやつらがどうなっても良いのか!? 貴様は神父と言ったな、ならばこやつらを助けたいだろう! 儂を逃がさなければ、こやつらを殺すぞ! それでもいいのか!」
「……清々しいまでの悪役ムーブだな。今どき三流の小悪党でももう少しマシな台詞を吐くぞ」
檻の中から手繰り寄せた一人の子供にナイフを突きつけながら、脅しをかけてくる。
そういうことを躊躇いなくやるってことは、やっぱり最初に下した下衆って評価は間違ってなかったようだな。
「それが嫌ならその籠手を外し、その場に跪いて――」
「まったく、仕方ないな……そら」
俺は言われた通り籠手を外し、そのまま奴目掛けて勢いよく投げつけた。
「なにっ!?」
しかし、コースは絶妙に狙いを外したものだ。
なぜって?
万が一にも籠手が奴のナイフに当たったりして人質になった子供を怪我させてしまったら、悔やんでも悔やみきれないからな。
だが奴はいきなり飛んできたものについて、例え当たらないと分かっていたとしても反射的に目を瞑らざるを得ない。
その隙をつく。
「ど、どこに消えた!?」
「どうも、レイモンドさんです。今あなたの後ろにいるの。なんてな」
「な――がっ!」
俺は素早く奴の背後に回り、ナイフを奪って子供の安全を確認してから、振り返ってきた男の驚愕に満ちた顔面をいつものようにぶん殴った。
それで男は崩れ落ち、ぴくぴくとしながらも動かなくなった。
「こんなところか。逃亡した連中は無し、
「……へ、へえ」
檻の中に声をかけると、一人の女性が顔を上げる。
随分と訛りの強い喋り方だな。
この辺りは王都に近いこともあって標準語に近い話し方をする人が多いが、そうでないということは彼女らは遠い地方の出身ではないのか?
「聞こえていたかもしれませんが、自分は神父のレイモンドと言います。皆さんをそこから出したいのですが、どうやら鍵がかかっているようでして。もしかしたらどなたか、連中の中でここの鍵を管理していたのに心当たりはありませんか?」
「そいなら……あーたが今ブン殴ったそいつだべさ」
「なるほど。では辛いでしょうが、もう少しだけお待ちくださいね」
倒れ伏した男のポケットをまさぐると、確かに鍵が入っていた。
鍵穴にそれを差して回せば、特に問題が起きることもなくガチャンと開く。
「では皆さんはどうぞ外へ。落ち着ける場所に案内しますから」
「んだ。……みーな、出るべ。こん神父様が助けに来てくだすったぞ」
幸いにも歩くくらいの体力は残っていたようで、彼女らはぞろぞろと檻の外へ出ていく。
そうして空っぽになった檻の中に、気絶した連中を突っ込んで鍵を閉め直す。
これまで彼女たちをずっと自分たちの都合で閉じ込めてきたんだ、俺が皆を地上に送っていくまでの間くらいは我慢できるだろう。
「それでは皆さん、私についてきてください。まずは私の教会へ、そこでしばし休んでいただいてから、後日故郷までお送りいたします」
「……それはありがてぇ話だべ。だんけども、神父様。そん前にいっこ、お願いがあんだけど……」
「なんでしょうか。私に出来ることならもちろん、微力を尽くさせていただきますが」
「実はあーしらだけでのーて、もー一人ちっこいのがおったんで。ちぃっと前に奴らの隙ついて逃げてったんじゃが、今はどこにいんのやら……無事やといいんやけども、出来ればそん子も探してはもらえやさーせんか?」
その言葉に、俺はピンとくるものがあった。
「もしやその子は女の子で、灰色の髪をした、私の腰くらいの背の子ではありませんか?」
「んでさ! 知ってんで!?」
俺の示したエマの特徴に、女性は強く反応する。
――どうやら、彼女は
これは思わぬ収穫だったな。
「ええ。彼女なら私が保護しています。これから向かう先にいますので、すぐにまた会えますよ。もっとも今頃はもう寝ているでしょうし、お話ししたければ明日まで待ってもらうことになりますが」
「問題ないべさ! あんがとーごぜぇます、なんでもあん子はあーしらん中でもいっとー理想的ってんで、おらんくなった時に連中が大騒ぎしとったんで。無事なら安心したべさ」
「いっとう理想的? ふむ、確かに
なんにせよ、この事件はこれで終わりだ。
思えば中々に大きな案件だったが、結果として
時間もそれほどかからなかったし、エマにもそれほど寂しい想いをさせずに済んだ。
これにて一件落着、大団円の大勝利ってやつだな。
それから上機嫌の俺は彼女らを引き連れて教会まで辿り着き、ベッドが足りないのでひとまず礼拝堂の長椅子を代わりにしてもらうようお願いした。
そして、彼女らの分の毛布を出してくるついでに、眠っているエマの様子を確認しようと、寝室に向かったのだが――。
「――なに?」
エマは、寝室にはいなかった。
それだけではない。
部屋には荒らされたような痕跡が残っており、枕元のランタンが倒れ、花瓶が落ちて割れている。
「まさか、誘拐かっ」
急ぎベッドを確認すると、既に冷えている。
とすると彼女がいなくなったのはだいぶ前、それこそ俺が教会を立ってすぐか?
「誰だか知らんが、やってくれたな……ん?」
めくれたシーツから手を引っこ抜くと、同時にちゃりんと何かが床に零れ落ちる。
拾ってみると、それはペンダントのようで、蓋が開閉可能な造りになっているようだった。
中を見てみると、そこには太陽を模したマークと、我らが女神の横顔が重なるように彫られていた。
――あまねく闇を照らす太陽の光と、その中に潜むものを見つめる神の顔。
それは本来ここに落ちているはずのない、
「――そういうことか!」
好印象を持たれていないはずの、
生贄として集められた者たちの中でも、特別理想的と言われていたエマ。
本来有り得ない頻度の、
それ以外にも散りばめられていたヒントが電撃的に俺の中で結びつき、一つの解を導く。
「すみません皆さんはもう少しここで待っていてください、毛布はそこで、飯は保存食が隣の部屋にありますので! ――待っていろエマ、今行くからなっ」
彼女らを教会において、俺は再び闇に未だ満ちる街の中へと飛び出す。
この直感が正しければ――エマが、危ない!
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