第11話 休日


 神父だって人間なのだから、たまにはゆっくりと自分の時間を取らなければ精神が参ってしまう。

 そういう理屈で以て、本日の教会はお休みとさせてもらっていた。


 もちろん事前にお知らせを配布した上で、門には「本日休業 ※急用の方は鈴をお鳴らし下さい」との案内を掲げているので、評判が下がるようなことにはならないだろう。


 なにしろ、思い返せば今日この日に至るまで俺はこの教会に来てから働き詰めだったのだ。


 俺は実に久しぶりとなる休日を、存分に満喫していた――。


「――百五十三、百五十四、百五十五……」


 陽の光が差し込む暖かい裏庭にて、俺の掛け声が威勢よく響く。


 そう。

 自由な時間を得た俺は今、清々しい気分で――肉体の鍛錬に汗を流している。


 教会周りのランニングに始まり、柔軟体操、腹筋、背筋にダッシュと順にこなしてきて、今は腕立ての真っ最中だ。


 ただし、その内容は通常の腕立て伏せとは少しばかり異なっている。


 なにしろ悪魔デーモンに肉弾戦で対抗するためには、生半可なトレーニングでは負荷が圧倒的に足らないという事情があるからだ。


「……(ぽけーっ)」


 隣では既に腕立て伏せの限界に達したエマが、大の字になって日向ぼっこをしている。

 上下の逆転した・・・・・・・その光景を傍目に、俺は全身を支える・・・・・・ために左手の五指を強く地面に食い込ませ続けながら、ぐぐっと上腕の筋肉に力を込める。


 俺が今行っているのは、ただの腕立て伏せではない。


 片腕、それも利き腕ではない左腕での逆立ち腕立てである。


 悪魔デーモンとタメを張るには、片腕で全体重を支えるくらい出来なくてはな!


 本来ならば、付け加えて真っ直ぐに伸ばした足の裏で仲間に立ってもらうんだ。

 相手にとってはバランス感覚を養う良い修行になるし、こちらとしても重石を得られてちょうどいい感じになる。


 とはいえ、かつて主にその役割を担ってくれていた伐魔官リーパー、後輩のアイリはここにはいないので、そこまでは出来ないが……仕方がない。


「――百九十八、百九十九……二百っ、と!」


 ちょうど二百回。

 エマも退屈していそうだったので、いったんここで一区切りにするか。


 最後に腕で身体を跳ね上げて天地を元に戻すと、俺は設置されている井戸を使って冷水を地下から汲み上げる。


 それを思いっきり頭から被ると――汗と疲労が一気に吹き飛ばされて、実にさっぱりとした気分だ!


「ふぅ、すっきりしたな。……む?」


 ぶるりと身体を振るわせて適当に水を飛ばそうとすると、視界の端にエマがいつの間にか立っていたではないか。


「……(すっ)」」


 そして、彼女はどこからともなく真っ白なタオルを差し出してきていた。


 これで身体を拭けと言うことか、助かるな。


「ありがとう、エマ。ちょうど欲しかったところなんだ」


 彼女の温情に従って身体を拭いていると、ほど良いお日様の香りがする。


 そう言えば、今日の洗濯物を干していたのはエマだったか。


「よく乾いてるな。君が良い仕事をした証だ、誇っていいぞ」

「……(にこっ)」


 ――あ゛あ゛あ゛、可愛いなぁエマは!


 そのシスターの格好で照れくさそうに微笑む顔はまさに、我が教会の崇める女神に負けず劣らずの素晴らしい表情だとも!


 ああ、ちょうど今ここに腕の良い似顔絵師がいないことが悔やまれる。

 もしいたとしたら、大金を積んででも今の笑顔を永久保存しておくというのに!


 始めは遠慮の見えていたエマも、徐々にこうして心を開きつつある。

 そしてそれを見られるのは、彼女の世話を焼いている俺だけだ。


 ふふふ、羨ましかろう?


「君も大きく動いて疲れただろう。今日のところはこれでお開きにしようか」

「……?」

「僕のことかい? それなら気にしなくていいよ。いきなり前みたいなペースに戻すのは厳しいからね、今日はもうこれ以上は動けなさそうだ。だから、一緒に休もうか?」

「……(こくり)」


 俺たちは庭に設置してあったベンチに腰掛けて、一息つく。


 久々に鍛錬をしたが、やはり筋肉が少なからず衰えていることを実感したな。


 これからは一日に少しずつでも、トレーニングの時間を取り入れていった方が良さそうだ。

 ただでさえ短期間に悪魔関連の事件に立て続けに遭遇しているのだし、二度あることは三度あるという。

 念には念を入れて損はないからな。


 ちなみにエマだが、俺の予想を大きく超えて動けていた。


 一応俺に続く形で一通り鍛錬に付き合わせてみたところ(もちろん逆立ちなどの応用は取り入れずに通常の形式でだ)、同年代の子どもたちをかなり上回る身体能力があることが判明した。


 それだけ動けるのならば、俺の情報網に引っ掛からないくらい遠くからやってきたという前に立てた推測も正しいのかもしれないな。


 ……そう言えば、そろそろ情報屋から報告が来る頃だな。

 今度こそ、エマについてなにかしらの手掛かりが掴めていれば良いんだが――。


「……(つんつんっ)」

「うひゃっ!?」


 隣に座る彼女について思索に耽っていると、突如くすぐったい感覚が脇腹を襲う。


 なにかと思えば、エマが俺の肌をその小さな指先でなぞってきていた。


 あー驚いた、そのせいで変な声まで出ちゃったじゃないか。

 男のそんな声とか誰が得をするんだ、まったく。


「どうしたんだ、急に?」

「……(じーっ)」


 どうやら彼女は俺の肉体、というより……そこに残されているもの・・について興味を示しているようだった。


「気になるのかい、この傷跡が」

「……(こくり)」


 エマの視線の先にあったのは、俺の身体を走る古傷の一つだった。


 伐魔官リーパーという戦闘職に就いていた以上、当然過去の俺にとって怪我は避けられないものだった。

 故に大小数々の古傷がこの身体には残っているのだが、彼女が触ったのはその中でも二番目に大きなものだ。


 左肩から右の腰へ掛けて袈裟切りされた斬撃の痕……懐かしいな。


「これはね。昔、聖女様っていう教会の中で特に偉い人を守った時に出来た傷なんだ。いわゆる名誉の勲章、というやつかな」


 ――伐魔官リーパー時代の俺は悪魔デーモンの討伐数を稼ごうと、自分から志願するのはもちろん、推薦されたものも含めて様々な教会からの任務に参加していた。


 その内の一つに、【聖女】と言う教会の中でも特に大切な扱いを受けている存在を護衛せよと言うのがあった。


 この傷は、その時に襲撃してきた魔剣の悪魔デーモンによってつけられたものだ。


 なんでも「悪魔デーモンには同じ悪魔デーモンの力で立ち向かえるんじゃないか」と考えた頭のイカれた鍛冶師がいたらしく、そいつが悪魔デーモンを素材にした剣を作ろうとしたんだったか。


 まあ、普通に考えればそんなことはうまく行くはずもない。

 行くはずが、なかったんだが……。


 なんでか偶然にも、実際に悪魔デーモンと一体化した剣が出来てしまったんだよなー。


 更に言うと、それが出来るくらいの鍛冶師の天性の才能が遠慮なく注ぎ込まれていたということもあって、出来上がった悪魔デーモンの剣は非常に鋭く、鉄だろうがなんだろうが容赦なく斬ってしまう特性を持っていた。


 それで調子に乗った奴はこの切れ味に乗じて、敵対する教会に属する聖女を殺そうと襲ってきたのだが、偶然にもその時は俺が護衛の担当だった。


 他の連中が次々に斬り伏せられる光景を見て防ぐのが無理だと判断した俺は、一つの賭けとして、肉を切らせて骨を断ってやろうと考えた。


 俺の身体を切らせてやる代わりに、その斬撃の側面から拳を全力で叩き込む。


 剣と言うのは得てして横からの打撃に弱いもので、加えて切れ味を重視するために薄刃になっていたのが功を奏したのか、魔剣の悪魔デーモンはたった一撃であっけなくぽっきりと折れてしまった。


 いやあ、あれには俺もびっくりしたな。


 まさかそんなうまく行くとは思ってなくて、あと何回かは斬られなきゃならんかなと覚悟を決めてたし。


「結果として守ることは出来たから良かったんだが、なにしろ傷が深くてね。これのおかげで半月は寝込まなきゃならなかった。それはもう窮屈で退屈だったけれど、まあ悪いことばかりじゃあなかったかな」

「……?」


 教会のお偉いさんを見事守り通したってことで、俺は教会の中で最高クラスの治療環境に放り込まれた。

 そこで働くのは当然、患者や教会の秘密を洩らさないという確信が得られる者たちだけ――つまり、そういうことだ。


 俺は滅茶苦茶多くのシスターに囲まれながら、長いようで短い治療期間を過ごしたんだ。


 しかも彼女たちのほとんどは美女であったので、随分と良い目の保養になったものだった。


「それに、聖女様自身も直接お礼を言いに来てくれたからね」


 残念ながら【聖女】と言うのは気軽に姿を晒していい存在ではなく、面会時も分厚いベール越しに声をかけられることになったのだが、俺には声だけで分かったね。


 ――彼女の中身は疑う余地もなく、絶世の美少女に違いないと。


 そんな彼女と一言二言交わせただけでも、もう最高の報酬だったってことよ。


「いつかはエマも、聖女様くらい美人になるんだよ? そのためにはいっぱい動いて、いっぱい食べないとね。それが本当は、君みたいな子供の一番大事な仕事なんだよ」

「……(こくん)」


 頭を撫でてやると、彼女は素直に頷いた。


 うんうん、俺の見立てでは間違いなくエマもまた美人に育つはずだ。


 その時が楽しみだぜ――それまで彼女が俺の下にいてくれるという保証はないのが、ちょっとだけ寂しいけどな。


 ――ごぉーん、ごぉーん……。


「む、正午の鐘か……そう言えば、今日は野菜の安売りの日だ! 逃がすわけにはいかない、急ごうエマ!」

「……!(こくこく!)」


 俺たちの懐事情は寂しいわけではないのだが、それでも無駄遣いをして良いわけではない。


 乾ききった身体に急ぎ上着を羽織った俺はエマを肩に乗せ、今日の市場へ向けて一目散に飛び出すのだった。



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