第8話 現場視察


 さて、これまでの事例に倣えばあと九日の内に新たな娼婦が犯人の毒牙に掛かってしまうという訳だ。


 善は急げとの格言に従い、俺はイシューを見送ってからすぐに犯人の手掛かりを得るために一人で殺害現場の視察に出かけた。


 エマ?

 もちろん自宅待機に決まっているだろう。


 俺自身は悪魔デーモン関連でロクでもない現場を幾らでも見慣れているから良いのだが、彼女は違う。

 エマはまだ、親を求めて寂しがるような幼い女の子だ。

 そんな子の心に血生臭さの残る光景を残してしまうなんて、俺は許さないぞ!


 なお、もちろん一人にさせてしまう詫びとして、お高いフルーツケーキを土産として買って帰る所存である。

 ……彼女ならそれで許してくれる、と思う。


 許してくれますよね、エマさん?


「どうされました、神父様。そんな難しそうな顔をして。……やはりこの凄惨な現場を見て気分を悪くされましたか」

「ああ、いえ。お気になさらず。ただ神に仕える者として、このような犯罪を為した相手に対してふと憤りを覚えてしまいまして」


 危ない危ない、つい余計な思考を悟られる所だった。

 

 こちらの様子を怪訝に思った騎士に声を掛けられて、俺は改めて今いる場所を俯瞰する。


 ここはつい先日殺害されたばかりの娼婦の自室だ。

 そして、犯行が行われた現場でもある。


 そこにはいたる所に血の飛び散った痕跡がべっとりとこびり付いており、正気の人間であれば到底直視できないような中々にスプラッターな光景が広がっていた。


「……悲しいことですね、人が死ぬというのは」


 ここには確かに、つい昨日まで一人の女性が生きていたのだ。

 だが、もう彼女が戻ってくることはない。

 その空虚感が、寂しく俺の肌を撫でる。


 だが、生憎と俺の隣にいる現場保存を任された分厚い甲冑を纏った騎士にはその感覚が分からないようだった。


「なるほどお優しいことですな、娼婦風情・・にも憐れみの心を持ってさしあげるとは。このエルガルド、敬服いたします」


 ……このとんちき野郎が、その口を今すぐに潰してやろうか。

 人が死んだ現場で平然と被害者を見下してんじゃねぇよこのダボが――なんて、こちらから余計な騒ぎのもとを作ったら俺もこいつと同じに堕ちてしまうな。


 とにかく、俺はこの邪魔な鈍感騎士をいったんここから退かすためにも、普段の神父スマイルを彼に向けた。


「そのように持ち上げていただかなくても結構ですよ。それよりも、しばし一人にしていただけませんか? 考えを纏めたいので」

「よろしいでしょう。私としても、あまりこの場にはいたくないのでね。なにしろ甘ったるい、女の腐ったような臭いと、血の臭いが入り混じって気持ち悪い。神父様も長居されぬことをお勧めしますぞ。では、これより玄関にて見張りの任に戻りますので」

「ええ、よろしくお願いします」


 そうして体よく追い出されていった騎士のことは忘れ、俺は再度現場を観察する。


「……さて、情報を再度確認しようか」


 元々は戦闘職と言えど、最低限の現場検証スキルは身につけている。

 照魔官イルミネーターらの分析班を待っていれば消滅してしまう、特別な証拠などを確保しておくためだ。


 その上で俺は、ここまでに得られた手掛かりを改めて指を立てながら確認する。


「一つ、犯人は娼婦と言う存在に大きく怨みを募らせている」


 壁どころか、天井にまで飛び散っている血痕。

 それは犯人が、殺した相手に対して如何に大きな激情を抱いていたかを示している。


 発見された死体は誰もが等しく鉈のようなもので身体をズタズタに引き裂かれており、人と判別することも難しい状態にされていた者もいたという。


 血が部屋一面に飛び散るような勢いで以て刃物を振り下ろす……そこまでの殺意は、並大抵の理由からは生まれないはずだ。


 強い執着、怒り、悲しみ……犯人の抱く娼婦への負の感情が読み取れる。


「一つ、犯人は客として訪れた男性である可能性が高い」


 娼婦たちは誰もが自身の部屋で殺害されている。


 だが、彼女らの部屋へと続く道や階段には暴れて抵抗したような痕跡が一つも残っていなかった。


 恐らく娼婦たちは、自らの意志で犯人を部屋へと――自宅兼職場でもある犯行現場へと招き入れたのだ。

 娼婦がそのように振る舞う相手と言えば、客か友人以外には有り得まい?


 しかし、友人と言う可能性は除外して良いだろう。


 殺人が起きれば当然、捜査関係者はまず被害者の利害関係を徹底的に洗う。


 何人も娼婦を殺していくとなれば、当然その中で誰とも関係を持っている相手が浮かび上がってくる。

 そうして尻尾を捕まえられることは、まだまだ娼婦を殺し足りないであろう相手からしてみれば避けたいことだからな。


 それに、一々親密度を上げて部屋にお邪魔させてもらうよりは客として訪れた方が手間が無くて済むし。


「一つ、娼婦たちは誰もが妊娠していた」


 これは初めに娼婦ギルドを訪れた際に教えてもらった事実だが、彼女らはひっそりと堕胎薬を購入していた履歴があるようだ。

 それを必要としているということはつまり、妊娠している、もしくはその傾向があったということだ。


 そして、それが被害者全員ともなれば……犯人は娼婦の中でも、妊娠している者に対して特に執着があるということだ。


「となれば、例えば犯人は……娼婦の子供として生まれながらも、確かな養育がなされずに満足のいく生活を送れなかった子供。なんて可能性が考えられるな」


 まあ、確かなことは犯人を捕まえない限り何も言えないけどな。


 俺が現状考えられるのは、こんなところか。


「おや、もう出てこられたので。それで、調査の結果はどうでしたかな?」


 用の済んだ部屋を出ると、入り口に立っていた先ほどの騎士に声を掛けられる。


「――さて、私にはさっぱりですね。いやはや、頼られたものの門外漢の仕事は難しいものです」


 今の俺はただの神父だし、こういった事件とは関わりのない身として通っているからな。


 あっちから暴いてこない限りは、普通の神父らしくしているつもりだ。


「でしょうな。神父と言えば説法、このような犯罪捜査は我々の仕事でありますし」

「いやまったく。……とはいえ、このままお手上げというわけにもいきませんからね。私は私なりに、色々と手を尽くしてみますよ」

「で、ありますか。熱心な事でありますな……それともお暇なのか」


 ……ほぅ?


「騎士殿はお忙しい方が好みなのですか?」

「む? それはもちろんでしょう。騎士たる者、主と民のために粉骨砕身働くのは義務であり名誉でありますが故」

「なるほどそれは立派な心掛けですね。……ですが、貴方のような立場が忙しいということはそれすなわち、街の皆さんの中に困りごとが溢れてしまっているということでもあります」


 なにを言い出すのか、と兜の隙間からじろりとした目線を向けてくる騎士。


 やだなぁ、もう。

 俺は別に、喧嘩をふっかけたりしようとしてるわけじゃないんだぜ?


 ただ、これまでの態度がちょっとばかし見過ごせなかっただけさ。


 これは俺のお仕事だよ、あんたの言った通りのな。


「騎士が人を救う名誉を得る行為の前には、必ず誰かの悲しみがある。私の仕事も似たようなものです。それを好ましいと語るのはさていかがなものかと、そう思っただけですよ。――我々のような者は、暇であるくらいが良いのではないでしょうか? それこそが、世の中がうまく回っていることの証なのですから」

「うぐっ……」


 そこで騎士は初めて、ここまで見せていたようなえばった・・・・態度を引っ込めて低い声で唸った。


 覚えておくんだな、誰かを見下すってことはいちいち相手の逆鱗を逆撫でしてるってことを。


 相手が大人なら笑って流してやるところだが、その内取り返しのつかなくなるくらい痛い目を見ることだってあるんだ。


「それでは私はこれにて失礼いたします。騎士殿におかれましては、どうぞこれからもお仕事を頑張ってくださいね」

「む、むぅ……うむ」


 ぶすくれたような声で頷いた騎士を置いて、俺は娼婦の部屋のある裏通りの建物から表へと戻る。


 そこには人々の賑やかな姿が、これまで通りに広がっている。


 この昼の平和も、そして夜の平穏も。

 どれもが等しく尊い、俺たちが守らなければならないものだ。


「さて、一度ギルドの方に戻ろうか」


 今回の事件、犯人の尻尾を追う役はこれまで通り騎士団に任せるとしよう。


 俺は――俺なりのやり方で以て、犯人をぶちのめす。


 そのためには娼婦の女性たちの協力が必要不可欠だ。


 その約束を取り付けるのと、ついで女の子が好む流行りのお菓子について尋ねるために、俺は娼婦ギルドのある方へ足を向けるのだった。


 やはり女の子のことは女の子に聞くのが一番だからな、うん。


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