第7話 花売りの主と脅し


 今日も今日とて、神の家は悩みを抱えた迷い子たちを受け入れる。

 ――この世に生を受けし者は須らく神の寵愛を受けており、それ故に神の愛を伝える俺たちは、訪れた相手を貴賤などで差別することなく受け入れなければならない。

 というのが神父になる際の講習で触れられた心構えの一つである。


 だが、此度の来客はそんな信条建前を胸に誇る敬虔な御同輩でさえも、者によっては嫌悪の表情を露わにするであろう珍しい相手だった。


「お邪魔するよー、神父サマ。今のお時間は大丈夫かね?」

「ええ、神の家の門戸は何時でも開かれていますから。と、貴女は……」


 最初にその姿を見た時、俺は少なからず驚いた。


 訪れたのは、童貞の眼にはやや眩しい姿の女性。

 彼女は肌色を惜しげもなく晒し、おまけとばかりに紫色の薄手の布地を纏った煽情的な装いをしていた。


 そして、煙草を燻らせながら、蠱惑的な目つきで俺の方に近寄ってくる。


 その正体を俺は知っていた。


 この街における花売り・・・の少女たちを統括する人間――すなわち、娼婦ギルドのマスターだ。


「お久しぶりです、イシューさん。お会いするのは赴任した時のご挨拶以来ですね。それで、この度は貴女のような偉い方が直接足を運んでまで、どのようなご相談でしょうか?」

「ふぅー……まあまあ、そう焦りなさんな。まだ若いのにそう生き急ぐもんじゃないさ。よっこらせ、と……」


 彼女は礼拝堂に並べられている長椅子の一つに腰掛けると、ゆったりとした動作で足を組む。

 側面に切り込みの入った薄い絹の生地と、その隙間から覗く艶めかしい生足のコントラスト……その暴力的なほどに性欲を刺激する光景が、さらりと展開された。


 既にイシューの年齢は五十近くにもなるはずだ。

 しかし、不思議とその外見には一切の衰えが見られない。


 対面している俺の眼には、彼女の肉体は二十代後半から三十代前半のものに映っている。


 その魔性の如き美貌の虜になっている男性も未だ多いのだとか。


 ――そんな彼女が、いったいこの俺に何を求めようとしているのか。


 思考を巡らせながら彼女の真正面に腰掛けると、こちらを見る顔がにやりと笑った。


「……ふぅん、慌てる反応の一つも無しとはね。普通あんたくらいの年頃なら不躾な目線の一つや二つくらい寄こしてくれるはずだが、いやはや神に仕える奴はどいつもこいつも堅物でつまらんねぇ」

「プライドを傷つけたなら謝罪します。ですが、僕にだって一応人並みの欲はありますよ。イシューさんのことも、もちろんお美しいと思います。ただ、少し僕の好きなタイプと外れているというだけで」


 残念ながら、俺の好みは基本的に清純かつおしとやかな女性なのだ。


 彼女のような色気を隠そうとしない女性ももちろん嫌いではないのだが、どうにも積極的な女性は前の職場の連中と重なって、愛らしい子猫と言うよりこちらを捕食しようとする獰猛な虎に見える。

 そのような女性もいずれは我が教会のシスターに迎え入れるつもりではあるが、やはり大本である清楚なイメージはなるべく崩さない方向で行きたいところだ。


「言ってくれるじゃないか。そういう生意気な男をオトすのもあたしらの仕事の醍醐味なんだけどねぇ。ふふっ、これは食指が疼いて仕方がないねぇ……」


 ちろり、と蛇のように舌なめずりをするイシュー。

 ほらやっぱり、中身は肉食獣だったじゃないか。


 俺を堕としたいのなら、まずシスターになってから出直してくるんだな。

 そうなったらもう、確実にイチコロされる自信があるぞ!

 ……なんて、そんなことは間違っても口に出さないけどな。


 神父レイモンドは皆の頼れる誠実なお兄さん、と言うのが売りなのだから。


 それはともかく。


「まさか僕を顧客にするために来たわけではないでしょう。貴女のような方に求められるのはやぶさかではありませんが、それよりも他に本題があるのではないのですか?」

「はいはい、分かったよ神父サマ。それじゃあ話させてもらおうかね……事の始まりは、先月の初めに街娼の一人が部屋で腹を掻っ捌かれたのが見つかったところからさ。それだけならまあ、こういうことは言っちゃあいけないがよくある話さ。あたしの商売柄、怨みもそれなりに買いやすいからね」


 そこで一度話を切って、煙を重く吐き出してから、イシューは続ける。


「だが、それで昨日六人目がやられた。十日に一人のペース、それも、どれも同じ手口さ。ここまで来たら流石にあたしも重い腰を上げて動かなくちゃいけない」

「娼婦を狙った連続殺人事件、ですか。しかし、それだけ派手にことを進めているなら既にこの街の警備機構も動いているでしょうに」

「そりゃまあそうだけどね。今回の捜査を任されたのは騎士団の第二部隊って話さ。だけどあいつらがニブチンだってのが、昨日でようやく身に染みたよ。二月経っても犯人の足跡一つ掴めないなんて、頼りに出来るかい? しかも騎士ってのはクソお堅い連中なもんで、あたしらみたいな水商売とはとことんお近づきにはなりたくないらしいのさ」

「というと?」


 イシューは苦虫を噛み潰したような顔で、捜査の中で騎士に抱いた印象を漏らした。


「所詮は金で男に抱かれるだけの安い女だとか、淫乱だの尻軽だのとね。来るたびにウチの娘たちにネチネチいうもんだから、もう最近のギルドの空気は悪いったらありゃしない。ったく、どうせ皮が剥けたこともない素人童貞どもがいい気になって……あれで品行方正に清廉潔白だのを謳ってるとは、とんだお笑いものさ」

「なるほど。しかし僕のところ教会も、一応そういう謳い文句を掲げてるつもりなんですけども。それでよくこちらに相談に来られましたね」

「まあね。けど、以前ウチの娘が一度あんたに相談して心が楽になったって聞いてね。娼婦なんぞに親切にしてくださる神父様がいるってその話をつい思い出したから、なんとなく興味が湧いて来ちまったのさ。……それに」


 きろり、とこちらを見据えるイシューの灰色の瞳が妖しく輝く。


「こんな職分だと、色んな客の相手をするうちに自然と目が肥えてくるもんでね」

「なにが言いたいのですか?」

「あんた、ただの神父じゃないだろう」

「……」

「あたしの眼はこう言ってる、あんなズブの騎士様たちより、あんたの方がよっぽどこの件……荒事に向いてるってね。仮にもギルマスにまで上り詰めた身だ、人を見る眼はそれなりにあるつもりさ。――それで、受けてくれるかい? 娼婦殺しのクロを捕まえてくれってあたしの依頼。報酬はあんたのを誰にも明かさない、ってことで」


 ……ふむ、なるほど。


 どうやらイシューは俺に脅しをかけてきているつもりのようだ。


 俺の隠している前職伐魔官時代を深堀りしない代わりに、娼婦たちを無条件で犯人の魔の手から救えと。


 ――だが、そんな下らない挑発に俺が容易く乗ると思うのか?


「もちろん、良いですよ。お困りの方を助けるのが僕の職分ですから」

「は?」


 あっけらかんと答えた俺に、凄味を見せていたイシューは思わず煙草を取り落としそうになっていた。


 ははっ、悪役染みた顔が一瞬で崩れて変な顔になってやんの。


「いや、そんな……あっさりと話に乗って良いのかい?」

「話に乗るも何も、助けが必要なんでしょう。だったらそこに微力を尽くさせていただくだけですよ」


 恐らくイシューは長らく騎士団の反応に晒されていたせいで、俺の話を聞いていたとしても、今回の相談がうまく行くか半信半疑だったのだろう。


 だが、冷静に考えてみて欲しい。


 ――遠方の異文化には、かつて神に仕える巫女が公娼として働く習わしがあったという。


 神に仕える巫女、すなわちそれはシスター。


 つまりこの国における彼女ら娼婦と言うのも、ある意味では俺の好きなシスターに近しい聖なる存在であると捉えるのはおかしいことだろうか?

 いいや、断じてそれは違う。


 なる技術で以て相手をばせる女性たちシスター/娼婦……つまり彼女らもまた、形は違えど俺がこの身を賭して守らなければならない存在なのだ!

 たぶん! きっと! 恐らくは!


「発散するあてのない性欲を鎮めることもまた、公に必要とされる立派なお仕事です。それを持て余した男性が暴れるのを防いでいてもらえると考えれば、皆さんもまた尊敬すべき隣人の一人ですから」


 俺はそれらしく恰好のつくことを言って、イシューに対し神父の微笑みを向ける。


 そう、脅しなどなんの意味もないのだ。

 なにせ俺は元々拒否するつもりなどさらさら無いのだからなぁ!


 それに伐魔官リーパー時代のことを探られても、ぶっちゃけ後ろ暗いことをした覚えはないし。

 ひたすら悪魔デーモンとか悪魔崇拝者サタニストどもを殴り続けてきた記憶しかない。

 ……自分で言うのもなんだが、ホント虚しい過去だよなー。


「なんだい、その達観した目は……。でもまあ、そう言ってくれるかね。こっちを見下してる感じもない。……へぇ、さっきは面白半分だったけど、ちょっとだけ本当に興味が湧いてきたよ」


 すすすっ、と滑らかな動きで俺の正面から隣に移動したイシューが、いつの間にかこちらの身体にその手を蜘蛛のように這わせてくる。


 膝から太腿、お腹から胸元へ……彼女は的確に俺の敏感な所を指でなぞり、くすぐってくる。


 側に近づいたその口元は肉厚で瑞々しく、濃縮された蜂蜜のような香りが漏れてきて――そのまま俺の本能を己の巣に絡め取ろうとしてくる。


 だが残念なことに、俺の童貞は純正シスターに捧げると決めている。


「でしたら貴女も我が教会の一員シスターとなってみますか? そうすればもっとお近づきになれると思いますよ」


 そう言うと、彼女は小さく笑って手を離した。


「ははっ、そいつは御免だね。あたしは今の仕事が気に入ってんのさ、そいつと天秤にかけるにはまだあんたはまだ軽すぎるかな。残念だけど、そのお誘いは受けらんないね。ま、それならよろしく頼むよ。ウチの連中にはうまいこと言っとくから、聞きたいことがあったらギルドまで来ておくれよ。……お仕事だけでなく、私用でもね。そしたら私自らお相手して差し上げようじゃないか」


 肩を竦めて立ち上がり、イシューは悠然とした足取りで去っていった。


 しかし、と俺は思う。


 ……あの刺激の強い姿で平然と表通りを歩けるとは、ヤバいな。


 俺の興味を引きたいのであれば、もう少し隠すということを覚えてもらいたいものだ。


 まあ、逆にえちえちさを隠そうとしないサキュバス的なシスターも大有りなんだけどね?


 そういった色物枠はほどほどにしておかないと、ほら。


 いずれ取り返しのつかない(性癖の)闇に、呑み込まれてしまいそうだろう?


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