第6話 予感


 エマが俺の教会に来てから、およそ一か月が経った。

 彼女も随分とここでの生活に慣れてきたようで、今では仕事の四分の一程度を任せられるようになっている。

 それも、彼女が勤勉かつ働き者なおかげだ。


 エマは人前に出ることをあまり好まない様で、基本は裏方で頑張ってもらっている。

 だが、それでも決して手を抜くようなことはせず、懸命に働いている。

 その姿はなんとも健気で、愛らしい。


 しかも、こちらが頭を撫でながら仕事の出来栄えを褒めてあげると、花のように素晴らしい笑顔を咲かせてくれるのだ。

 こんなの――いくらでも褒めたくなっちゃうじゃないか!

 ほーれ、おじさんたっくさんエマちゃんの頭を撫でちゃうぞー!


 ……って、誰がおじさんか。

 俺はまだぴっちぴちの二十代だ、出来ればお兄さんと呼ばれたい。


 話が逸れたが、俺もだいぶエマのいる生活に慣れてしまった。

 これではいざ親が引き取りに来た時に彼女を手放せるかどうか怪しいものだ。


 なんなら、ご両親にはこのまま娘さんに教会で過ごしてもらうことを提案してみようか……とも本気で考えてみる、そんな今日この頃。


 一日の仕事を終えて床に就く前の俺は最後に、教会に届いた手紙を蝋燭の灯りの下で読んでいた。


 大半は市民からのお悩み相談だったり、感謝の手紙だったりと大した内容ではない。


 だが、今日はその中にいくつか特別なものが紛れ込んでいる。


「……ふむ、どうしたものか。こいつは困ったな」


 その内の一通は、俺が伐魔官リーパー時代から懇意にしている情報屋からのものだった。


 実は少し前からこっそりと、奴にはエマの親に関する情報を集めてくれるよう依頼していたのだ。


 もちろん、彼女の意に反して親に強制的に引き渡すつもりは毛頭ない。


 しかしそれはそれとして、ご両親も娘がいなくなったままでは不安で夜も眠れないだろう。

 故にこちらで預かっているということを密かに伝えて、安心してもらおうと思っていたのだが……。


 不思議なことに、上がってきた調査結果は、彼女の親らしき人物はこの街では見つからないというものだった。


「あの年頃の少女がいなくなったとなれば、親も血眼になって探すはずだ。しかし、ここには娘を探している親など見つからなかったとある。表立ったものも、裏からこっそりと探そうとするものも……そのような話はどこを探してもなかった、か」


 となれば考える可能性としては――例えば、少女がそもそもこの街の出身ではないとかか?


 街と街とを繋ぐ街道は、野犬や野党が出現するということもあり、少女がその身一つで移動するのは難しい。

 だが、騎士団や俺のような暇人がそういった輩を時折掃除しているため、この周辺に限っては決して無理という訳ではない。


 情報屋には捜索の範囲を広げてもらうよう、新たな依頼文と合わせて追加の捜査費用を送るとしよう。

 どうせ使う暇のなかった前職時代の報酬が有り余っているからな。

 エマのような少女のためになるのなら、いくら注ぎ込んでも惜しくはないとも!


 それに、うまく彼女の両親を見つけて安心させることが出来れば、彼らからの俺への信頼度も稼げよう。

 エマをここまで大切にしてくれる神父様になら……と、このまま彼女を預けてくれる選択肢も彼らの中に生まれるかもしれない。

 そう、これは未来へ向けた投資でもあるのだ。


「くくく……我ながら冴えたものよ」


 エマに苦労をかけるつもりはない。

 彼女にはここでのシスターとしての生活にいつの間にか慣れてもらい、ついでに裏でご両親をひっそりと説得して、そのまま本物のシスターとしての道を歩み始めてもらおうではないか。


 そう、寝る前にも関わらずいっそうの気合を入れていると、ふと執務室の前に小さな気配が一つ。


「……?」

「ああ、エマか」


 迷い込んできた気配の正体は、ピンクの寝間着を着たエマだった。

 彼女は先に眠っていたはずだが、どうやらトイレに起きた後にでも、未だ明るさを保っている俺の部屋に目が惹かれてしまったのだろう。


 とろんと寝惚けた瞳で見上げてくる彼女の足取りは、眠気でふらふらとしていて危なげない。


 俺は彼女の傍へ寄り、両手を肩においてその身体を支えてやった。


「ほら、部屋へお戻り。良い子はこんな遅くまで起きていてはいけないよ」


 身体を反転させて執務室から寝室へ向かうよう誘導するも、なぜか彼女は俺の腕を掴んで放そうとしない。


「どうかしたのかい?」

「……」


 その眼は、こう語っている――一緒に来てくれないの、と。


「すまないね。ただ、僕ももう少ししてから行くよ。だから、先に待っていてくれないかい?」

「……(こくり)」


 そう言うと、彼女は素直に戻っていった。


 ――そう、俺と彼女は寝室を、というかベッドを一緒にしているのだ。


 下手をすれば少女性愛者として訴えられそうな光景だが、それは断じて違う。


 なにしろ彼女はいくら立派な働きぶりを見せようと、未だ八歳から九歳程度と幼い。


 そのためか、一人で寝させようとすると、人肌を求めてか、いつの間にか俺のベッドまで潜り込んでくるのだ。


 恐らくは親がいなくて寂しい、と言う気持ちもあるのだろう。

 彼女の年齢はまだ、親離れをするには早すぎる。


 だからこそエマが本能的にそうしてしまうのも仕方ないと思えて、彼女の感じている心細さを無視するわけにもいかず、俺は止むを得ず彼女を同じベッドに迎え入れているという訳だ。


 例え子供特有の温もりが逆にこちらに伝わってきたり、ミルクのような甘い匂いが鼻に届いたとしても、やましい気持ちを抱いたことは一切ないとここに断言しよう。


 神父レイモンドはロリコンではない。

 俺はシス(ター)コン(プレックス)なのだと!


「……いや、誰に弁明してるんだ俺は?」


 いったいなにを慌てていたのか、自分でもよく分からない。

 一日の疲れが溜まって、そろそろ頭がうまく回らなくなってきているのかもしれないな。


 ともかく、少女を不安にさせないためにも残りをさっさと読み終えてしまおう。

 急ぎ俺は、机の上に残されていたもう一通の特別な手紙を開いた。


 それは教会から、正確には先日発生した巨大ヒグマの後処理を任せた照魔官イルミネーターからのものだった。


「拝啓、レイモンド殿……ふむふむ」


 ……どうやら先日の一件は、あの近辺を根城とする野党が悪魔にそそのかされて引き起こしたものだったらしい。

 発見した彼らの根城には悪魔召喚儀式の痕跡が残されていたようで、その内容によれば、野党ども自体は既に悪魔にその血肉を捧げて死亡していた。


 そしてとうの悪魔も、あちらの手駒によって既に処分を終えたとのこと。


「神父レイモンド殿におかれましては、どうぞ安心してご自身の職務に専念されたし……ははっ、どうやら嫌われてしまったみたいだな。残念だ」


 文面そのものは柔らかいが、要するに彼女らは「これ以上この事件に手を出すな」と俺に言っているのだ。


 まあ、あちらで対処してくれるなら俺としても文句をいうつもりはない。


 以前は昼夜を問わず悪魔の気配があれば虱潰しに巡回していた俺だが、今や一教会を預かる神父なのだ。

 腰を据えて自分の仕事に取り組めと言われたのなら、そうするだけだ。


 ――だが、そうだな。


 もしエマとの幸せな今を邪魔しようとする輩がいたとしたら。

 その時はこの【鉄拳】で以て、如何なる相手だろうと挽肉になるまで磨り潰してやろう。


「……(ひょこっ)」

「なんだ、まだいたのかい。いや済まないな、今行くとも」


 扉の隙間から半分だけ顔を出したエマが、こちらを覗いてくる。


 そんな乞うような目で見られては、これ以上待たせるわけにはいかないな。


 俺は今読み終えたばかりの手紙を蝋燭に近づけ、燃やしてしまう。

 悪魔関連の資料はなるべく一般人の眼に触れさせないために、必要が無くなれば早急に処分することが義務付けられている。


 燃える手紙をすっかりそれ専用になった灰皿の上において、それが完全に灰となる姿を見届けてから、俺はエマを連れて寝室へ向かうのだった。






 ――しかし、本当にこれで終わりと思って良いのだろうか。


 伐魔官リーパー時代に培った直感、とでも言うのだろうか。

 実際に悪魔が打ち倒されたところを見ていない以上、どうにも嫌な感覚が首筋を冷たく撫でる。


 ……そしてその予感が気のせいではなかったのだと、俺は近い内に知ることになる。




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