第5話 ――【拳坤一擲】!


 俺はエマを連れて、巨大ヒグマが目撃されたという街外の森へやってきていた。


 見れば、他の街へと続く道には一定の感覚で狩人ギルドの面々が置かれている。


 誰も彼もが頬を引き締めており、雰囲気がピリついている――それは、慣れ親しんだ戦場いくさばの気配だ。


「失礼、神父のレイモンドです。貴方たちの仲間に求められて巨熊を狩りに来たのですが、よろしければどのあたりに出現したのか教えてもらえますか?」

「は? 神父がなんだってここに……あっ、狼殺しウルフスレイヤーのレイモンドか! なるほど、あんたなら大丈夫か」

「……?」


 適当に話しかけた相手は自分の担当区域外の人間だったようで、始めは神父がやってきたと聞いて訝し気な顔をする。


 しかし彼は運よく俺のことを思い出してくれたようで、ぽんと手を打って納得したような素振りを見せた。


 ちなみに、彼が言った呼び名は俺がこの街に来てすぐに起きた出来事に由来する。

 エマへの軽い説明も含めて、俺はその時のことを振り返った。


「懐かしい話ですね。……エマ、実は前に狼の群れに囲まれていた商隊を一つこの近くで助けたことがあってね。詳しいことが知りたければ後で話そう。それよりも、熊は何処に?」

「それならあっち、森の西側だ。やっこさん、最初に見つかったところから移動して、森に一つしかない湖の傍にひとまず寝床を構えることにしたらしい。そっちに続く足跡を辿っていけば、やがて会えると思うぜ」

「了解しました、では行くとしましょう。エマもはぐれないよう気を付けて」

「お、おい。そんな小さな娘まで連れてくつもりか? 危険だぞ!」


 エマの手をにぎにぎして街道から森に入ろうとする俺たちに、狩人が忠告の声を上げる。


 だが、その心配は無用だ。


「なに、熊程度に失態を演じるようなら僕はとうに死んでいますよ。あの手この手でこちらを仕留めようとする悪魔デーモンどもに比べれば、ちょっと大きな獣なんて可愛いものですから」




 エマと一緒に森の中を進んでいくと、少しして、やや大きめの獣道に出た。

 どうやら例のヒグマが踏み鳴らしていったばかりのようで、そこかしこに真新しい痕跡が残っている。


 そのうちの一つ、木の幹に深く刻まれた三つの爪痕を俺は見上げる。


「ふむ、確かにこれは中々に大きい個体みたいだね。腕の高さが最低でも僕の頭より上にあるなんて、よっぽど餌に恵まれた場所で育ったか。……もしくは、悪魔デーモンに改造でも施されたか」


 悪魔デーモンはこの世に依り代たる身体を作る材料として、人の悪感情を喰らう。

 その一種である恐怖や怖れといった感情を回収するために、奴らはたびたび凶悪な動物――俗に、そのような個体は魔物と呼ばれる――を作り上げては、人々に嗾けるのだ。


 まあ、自然発生にしろ悪魔が作ったにしろ、倒してしまえば同じことだ。


 そして俺は、そういった類の敵をこれまでに幾度となく倒してきた。


「……(くいくい)」


 エマが、俺の袖を引っ張る。

 その眼には心配そうな光が浮かんでいた。


 彼女の視線の先では、熊によって薙ぎ倒されたであろう巨木の残骸が転がっている。

 どうやら俺を心配してくれているのか――なんて健気な娘なんだ。


 そんな彼女に応えるために、俺は揺るぎない声で宣言する。


「大丈夫だよ、僕は負けない。自分の身長を越える敵は何度も倒してきたからね。ただ図体が大きいくらい、大した脅威にもならない」


 続けて、俺は目の高さをエマに合わせた。

 くりりとした黄金の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えてくる。


 それを真っ向から見返しながら、俺は彼女の頭にぽんぽんと手を置いた。


「――それに、君みたいな可愛いシスターに見られてるんだ。僕には既に勝利の女神がいる、そう思えば負けるなんてあり得ない話だろう?」


 ……ちょっとばかりクサかっただろうか。


 自分でも言ってからちょっと恥ずかしくなったが、彼女に格好悪い所をみせるつもりは毛頭ない。

 この勢いで熊に勝とう――その思いで、俺は急ぐべくぽかんとしていた彼女の小さな体をそっと片腕で抱き上げた。


 服越しに伝わる暖かさを落とさないよう気を付けて、俺は獣道を突っ切っていく。


 薙ぎ倒された草木は常に一つの方向を示しており、その先へ。


 ――ほどなくして、俺たちは開けた場所に出た。


「……あれか」


 辿り着いたのは湖の畔だ。

 その奥に、のそりと動く巨大な毛むくじゃらの黒い影が見える。


「エマ、君はここで見ていなさい」

「……(こくり)」


 彼女を適当な木の上に腰掛けさせて、俺は一人、影の下へ近づいていく。


 徐々に強くなる、獣の臭い。


 ぱきっ……足元の小枝を俺が踏んだ音に、奴が気づいた。


「ぐるっ……?」


 むくり、と小屋一つほどのサイズもある毛皮の塊が動き出す。


 中から現れた、図体に半比例して小さく見える獣の顔が俺を見て――唸り、涎を垂らし始める。


 新たな餌の出現に歓喜を隠せないのか、奴は小さく息を吐き散らしながら、ゆっくりと力強さを見せつけるような動きで立ち上がる。


 そして両腕を上げ、太陽を背に負った奴の身体の影が俺をまるごと覆い尽くし――熱くむわっとした、生臭い吐息がこっちに降りかかる。


「俺を食うつもりか、熊公」

「ぐるるるおおおぉぉぉ――おおおぉぉぉんんんっ!」


 雄叫びを上げて、熊はこちらを威嚇してくる。


 だが、その程度で及び腰になるのは二流だ。


 本意ではないが何度も戦いの場に立ってきた俺のような人間にとって、それはそよ風のようなもの。


「だが、あいにくと俺にはまだ手に入れていない夢があってな。後ろで見ている少女に、格好いい所をみせたいんだ。だから――お前こそが俺の糧となれ。お前が俺を喰らうんじゃなくて、俺がお前を喰らうんだ」

「――ぐおおおおおおっ!」


 その言葉を熊が理解したのかどうかは分からない。


 ただ、それを聞き終えると同時に奴は吠え、その体勢から俺を捕まえようとして覆い被さってきた。

 その極太の幹のような腕に掴まってしまえば、ひとたまりもなく潰されてしまうかもしれない。


 だが――その熱烈なハグを交わすように、俺はしゃがんで身を縮めた。


 頭の上で、熊の腕が空を切る音が聞こえる。


 そして、俺の目の前に見えるのは、ろくなガードのない熊のふところ。

 その一部へと慎重に狙いを定め、俺は拳を握り締めた。


 弓に矢をつがえるように、腰を捻りながら拳を脇の下まで引き絞る。

 それが限界にまで達するまで、僅か一秒。

 力をため終えた後、俺は立ち上がる脚の勢いを合わせて、そのまま拳を一直線に打ち出した――!


「秘拳が参――【拳坤一擲けんこんいってき】!」


 放たれた拳が狙うのは、熊の下腹部から背中へ斜めに抜ける線。


 その入り口たる腹部に拳が衝突するや否や、その勢いが熊の皮と肉を貫いて、内部を抉りながら進んでいく。

 それは肋骨を圧し折ってなお直進を止めず、その奥に潜んでいる心臓へと到達。


 不意の衝撃を受けた心臓はショックのあまり不整脈を引き起こし、そして段々と動きを止めてしまう。


 血の流れなくなった対象はやがて、意識を失って死に至る。


 これが俺がかつて潜ってきた死闘の中で作り上げた技の一つ、【拳坤一擲けんこんいってき】だ。


「終わったな」


 その衝撃に空気は震え、熊の巨体は勢い余ってひっくり返った。


 仰向けになって倒れ伏したヒグマ――その獲物に飢えた瞳から光が消え、ぐるんと裏返る。


「が――が、ぐるっ……」


 最後に小さな断末魔を上げて、熊は少しばかりがくがくと震えた後、動かなくなった。


「――さ、これにて一件落着だ。さあ、エマ。今そこから下ろしてあげよう」


 脇を抱きかかえて木の上から静かに下ろすと、エマは恐る恐るといった足取りでもう脅威ではなくなった熊の傍へと近づいていく。


 だが、彼女がどれほど近づいても、熊が動くことはもうない。


「熊は死んだ、もう誰も困る者はいない。……な、大丈夫だっただろう?」

「……」


 エマは死んだ熊の顔を、しばらく何もせずに見下ろしていた。


 ――なにかしら彼女なりに思う所でもあったのだろうか?


 俯く形になる少女の表情を、俺は見ることが出来ない。


 だが、それを無理に中断させるのは良くないことだと不意に思った。

 どうせ時間は有り余っているのだから、俺はそのままエマが納得するまで待っていようとして――。


 がちゃがちゃと、金属の擦れる足音が俺たちの来た道からやってくる。


「無事か、レイモンド!」


 現れたのは鎧を着込んだ、この街の騎士たちだった。


 彼らはエマの足元に倒れ伏す熊を見て足を止め、そのうちの一人が兜を上げて俺の傍へ近寄ってくる。

 その顔に俺は見覚えがあった――同じようなことをしている内に知り合いになった相手だ。


「どうも、騎士アレン。問題の熊ならとうに倒してしまいましたよ。せっかく張り切ってやってきたところ、役目を奪ってしまって申し訳ありません」

「……いや、遅れた我々にケチをつける権利はないさ。早く倒される分だけ被害は減るのだからな。今回も済まんな」

「そう言ってもらえればほっとするよ。――それで、君たち・・・の眼から見てこの熊はどう見える?」


 続けて俺は、騎士たちの中に混じっている、明らかに戦闘向けではない黒衣に身を包んだ者たちに声をかける。


「壮健そうで何よりだ、【鉄拳】」

「おかげさまでね。――エマ、すまないがいったん離れてくれ」


 彼らは騎士ではなく、俺と同じ教会所属の人間だ。


 悪魔の使う手口や呪いなどを分析、研究する者たち――照魔官イルミネーター


 彼らは熊の遺骸に近づくと、手早く血を採取してそれを試験管に落とす。

 その中にあらかじめ封入されていた試薬の変化を各自で確認し合って、改めて俺と騎士たちへ向き合う。


「間違いない。この獣からは悪魔デーモンの残滓が確認された。以後、遺骸の取扱いは我々の所管となる。よろしいな」

「僕の方は異議なしだよ」

「我々の方にも異論はない。ただ、上の者への説明のため、一人寄こしてくれ」

「では彼が」


 騎士たちの方に、黒衣の者たちの中から一人がするりと歩み出る。


 あとは彼らに任せておけば、そう遠くない内にこれを仕掛けた相手の尻尾を掴むことが出来るはずだ。

 そうなれば古巣の連中が対象を討伐し、事態は完了する。


 どうやら俺の出番はここらで終わりのようだな。


「話はまとまったなので、僕たちはもう帰りますね。……しかし困ったな。せっかく功労者として右腕の肉でももらえるかと思ったのに、研究対象になるんじゃ食べられやしないからね」


 熊の手は珍味として知られている。


 せっかくだしエマにも食べさせてあげようと思ったのだが、その願いは叶わなそうだ。


「正気か【鉄拳】? 魔物の肉には悪魔デーモンの力が宿っている。そんな邪悪なものを一欠けらでも口にしてみろ、腹を壊すぞ」

「そうですかね? 悪魔デーモンとはいえこの世界で奴らの力となるのは人の悪感情、つまり僕たち人間から生まれたもの。本来は僕も貴方も持っているんだから、食べたところでなんら問題はないはずさ。それか鍛え方が足りないか、だね」

「我々人間と、汚らわしい奴らの力を平然と同一視するとは……きちがい・・・・め。危険思想だ、やはり貴様は一度解体して隅々まで調べなければならなそうだ」

「教科書にも載ってることさ。それに、人間にだって醜い面があることを忘れちゃならない。清濁併せ呑むのが人間ってでね、もし自分は何一つ闇を抱えることのない人間だっていう奴がいるなら、そいつは一番信用しちゃならない怪物だと俺は思うね」


 一口に教会所属と言っても、その中では幾つもの教義宗派に別れていて、派閥同士のパワーゲームは日々渾沌を極めている。

 俺みたいにちゃらんぽらんな人間もいれば、ちょうど今話している相手のような厳格な人間もいる。


 まあ積極的に悪魔に加担してさえなけりゃ、細かい所はどうだっていいと俺は思うけども。


「ま、こんな下らないことで言い争ってないで、そろそろ互いの仕事に戻りましょうよ。エマー、もう教会に戻るよ。ほら、こっちへ来て」


 俺は離れて死んだヒグマのことを見守っていたエマを抱きかかえて、遺骸を運ぼうとする騎士や照魔官イルミネーターたちと別れて教会へと戻る。


 その背に突き刺さる敵意の視線をひしひしと感じながら、ふと思う――。

 あの照魔官イルミネーター、声からして女の子だったよな。


 素直にとことことついてきてくれる愛らしいエマのようなシスターも良いが、彼女のように敵意マシマシの娘がシスターになれば、それはそれであり・・だと思うのだ。


 という訳で少しばかり揶揄って見たのだが、どうだろうか。

 監視の目的で俺の教会に赴任しててくれたりしないかなー、なんて。


「……う、浮気じゃないからなエマ!」

「……?」


 やべっ、またこの娘の前で口が滑ってしまった。


 前は寡黙な二枚目(自称)で通っていた俺に次から次へと余計な口を開かせてしまう、エマってばまったく罪作りな女だぜ。

 ……べ、別に俺の舌がゆるっゆるってわけじゃないんだからね!




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