0.01mmのすれ違い

ミソネタ・ドザえもん

第1話

 コンビニバイトを始めたのは、ただの遊ぶ金欲しさだった。商品の陳列、レジ打ち。それらの仕事は高校生の俺からしても難しくなく、駅から近いコンビニともなればそれなりに時給も弾んだから、悪くない仕事だった。

 将来も続ける気は毛頭ない仕事。ただの遊ぶ金欲しさ。だけど、俺は出勤日の度、真面目に業務に当たっていた。お金を貰うには相応の対価が必要だと思ったし、汗を掻いた上で貰うお金を使うひと時は、それなりに気分が良かった。


 監視カメラ見てるわ、と早々に奥に消えた先輩を尻目に、俺はさっき搬送されてきた惣菜やおにぎりを棚に陳列していた。楽な作業だったが、そろそろ夕暮れ時、サラリーマンの帰宅に向かう時間の商品陳列は、物量で俺に迫ってきた。


 せっせと商品を陳列していた頃、自動ドアが開く音が聞こえてきた。


「いらっしゃいませー」


 そう言って、先輩がレジに向かってくれないかと思ったが、どうやらその気は早々ないらしかった。以前みたいに転寝を掻いているのかもしれないと思って、俺はため息を吐いた。

 仕方なく、一旦商品陳列を止めてレジへと向かった。


 その途中、俺は入店してきた客の姿を捉えた。

 俺の通う学校の制服を着た女子だった。


 俺の学校は、俺の家の近所にあるこのコンビニからは電車で約三十分。そんな立地故、この区に住む同じ制服の生徒だなんて、俺は一人しか知らなかった。

 やはりそうだった。

 先ほどコンビニに入店してきたのは、俺の隣の家に住む……俺の幼馴染だった。


 アイツとは、小さい頃からずっと一緒だった。

 両親が仲が良かったこともあるが、異性にも関わらず俺達の馬は合った。だから、かけっこをしたりかくれんぼをしたり、子供の時には一緒にお風呂に入っていた時期だってあった。


 言ってしまえば、俺はアイツの体をスミズミまで知っていることになるし、アイツも俺の体をスミズミまで知っていることになる。

 ただ……アイツは高校に入り随分と、成長をした。今では同学年の男子から告白されただなんてことをチラホラ聞く。


 未だアイツとは良き友人関係のまま。

 だけど……なんだか随分と遠くに行ってしまった気がするのは、気のせいだろうか。


 レジで、俺はアイツを待った。

 アイツは……端から見て、怪しい素振りでコンビニ内をうろついていた。あたりを気にして、なんだか緊張気に日用品の棚の傍をうろついていた。


 さすがに、俺もアイツに声をかけようかと思った。アイツが犯罪者になるだなんて、寝覚めが悪すぎると思った。


 でも、まもなくアイツは、足早に一つの商品を手にレジに駆けこんできた。


 カタッと音を立ててアイツが置いた小さな箱には、大きく0.01mmと書かれていた。

 中身はゴム。

 普通、ゴムだなんて厚い方が束ねやすくて利便性が高そうなのに、そのゴムは何故か薄さに商品価値を見出し、そしてそれなりの収益を見出すような画期的な商品だった。


 俺は正直に言って、戸惑っていた。

 アイツは頬を真っ赤に染めて、緊張していて、こんなものを買うつもりなのに、店員が俺であることに気付いた素振りはまるでなかった。


 頭は真っ白なのに、覚えた仕事は忠実にこなす自分に……少しだけ俺は尊敬の念を抱いた。

 袋、要りますか?

 そんなことを言う間もなく、お金を置いたアイツは商品をひったくって、コンビニを出ていった。


 ……アイツが成長していたことはわかっていた。

 でもまさか、俺より先にアイツが大人になっていただなんて。


 商品の陳列に、俺は戻った。

 でも頭の中では、アイツのさっきの姿がこびり付いて離れなかった。


 頬を染めて俯いていたアイツは……買った品物のことも相まって、随分と扇情的に見えた。

 心臓がバクンバクン、とわかりやすく高鳴っていた。


 でもまもなく、俺は気付いた。


 アイツが、あれを買った意味を。

 アイツにはどうやら……あれを使うような相手がいるらしい。


 真っ先に思い出していたのは、小さい頃とのアイツとの思い出だった。


 小さい頃、俺達は仲が良かった。両親からも微笑ましい笑顔で見守られながら、俺達はスクスクと仲睦まじい幼少期を送った。

 アイツと一緒にいる時間が好きだった。

 いつか俺は、その気持ちを正直に吐露した。気恥ずかし気に言った時、アイツも微笑みながらあたしもと言ってくれたことを思い出すと、未だに心の奥底が温かくなるような気がする始末だった。


 いつか、俺はアイツと一つの約束を交わした。


 結婚しようね。

 そんな大層な約束ではなかった。俺達は、そんな約束を交わす程、性根が真っすぐではなかった。


『隠し事はなしだよ』


 それは……俺が小さい頃、アイツに黙ってアイツのアイスを食べて、アイツに顔を三発殴られた末に言われた台詞だった。

 それから俺達は、アイツの尻に敷かれながら今でも仲睦まじい毎日を送っていた。


 でも口では、俺はたまにアイツのことを疎ましく思っているような発言をしていた。


 アイツが、他の男に靡いたのは、きっとそのせいか。


 ……そして、アイツが過去の俺との約束を破ってでも隠し事をしたのは、そのせいか。


 アイツは、俺に似て性根は真っすぐではない奴だったが……それでも約束は破らない奴だった。

 先月、アイツに誕生日会を開いてもらったのは良い思い出だ。二十歳になるまで互いの誕生会を忘れずに行うことは、俺達が過去に取り決めた約束事の一つだった。


 それなのに……アイツは。


 ……今、どうして俺はアイツとのこんな過去を思い出しているのか。


 ああ、そうか……。


 俺はアイツのことが、好きだったのか。


 傷心したまま、俺はバイトを終えて家へと帰宅した。

 今頃アイツは、自室か……はたまた彼氏の家でか、愛を紡いでいるのだろうか。


 内心に沸いた感情は、はっきりと口に出来た。


 これは、嫉妬だった。


 好きだった女子と、どこかの男が体を寄せ合う姿を想像するのは、身が引き裂かれるかと思うくらい辛かった。


 ……でも、わかっていた。

 アイツとは、隠し事をしないと誓いあう程の仲だった。

 アイツとは、これまでほぼずっと一緒だった。


 チャンスは何度もあった。

 それをフイにしたのは、俺だった。


 悪いのは全て……俺なのだ。


「ただいま」


 未だ割り切れない気持ちがある。

 でも、それを口に出してヘソを曲げるだなんて、そんなことが出来る程、俺は子供ではなかった。

 でも、ならばアイツのことを諦められるのか、と言えば……。


 リビングでは仲睦まじげな声がした。

 母と……そして。


「おかえり」


 リビングにいたのは、アイツだった。

 どうしてここにいるのか。そんな問いは口から出なかった。ここでそのことを言えば、どうしてそんなことを気にしたのか。引いてはコンビニで見たアイツとのやり取りを口に出さなければならなくなる。


 我が家でそんな話をするのは、アイツにとって公開処刑に近かった。そんな非道な真似、俺には出来そうもなかった。


 違和感を覚えつつ、夕飯を三人で食べた。父はまだ残業中だった。


「ごちそうさまー」


「お粗末様」


「ねえ、あれの最新刊買った?」


「ああ」


「じゃあ、読ませてもらうね」


 アイツはそう言って、さっさと俺の部屋と向かった。

 ……彼氏がいるのに、どうしてそんな無警戒に俺の部屋になんて行けるんだ。俺なんて、男とすら見ていないってことか。


 俺は、……狂ってしまいそうだった。


「あんた、全然夕飯進んでないわね」


「え?」


「……具合、悪い?」


「うん。少しね」


 さすが母だと思った。

 完璧に体調を見抜かれて、一層食欲のなくなった俺は、夕飯を残して自室へ戻った。


 自室では……制服のまま、スカートをヒラヒラとたなびかせ、アイツが俺のベッドに仰向けに寝転び、漫画を読んでいた。


 楽しそうに、読んでいた。


「あっ、これ面白いね」


 こちらに気付いたアイツが、微笑んだ。


 ……無防備なアイツの姿に。


 今なら、なんでも出来る気がしていた。




 でもそうしなかったのは、俺の中に残る僅かな良心のせいだった。




 でも、頭の奥底にちらつく。

 0.01mmのゴムを恥じらいながら買うアイツの顔が……ちらついて仕方なかった。


「ねえ」


 俺の邪推にも気付かず、アイツが話し出した。


「あんた、今日具合悪いの?」


 ……アイツの言った言葉は、家族である母くらいにしか見抜けない俺の体調のことだった。


 気付いた。

 気付いてくれた……。


「……ああ」


 家族である母と同じくらい、俺達の関係は色濃いものだった。

 アイツのことが好きだった。

 それくらいの時間、一緒に過ごしてアイツの良さを知って。悪さを咎めて。咎められて。


 そうして、アイツのことを一層好きになった。


「何かあった?」


「お前のことが、好きなんだ」


 アイツに告げた言葉は、恋人のいるアイツからすれば迷惑に違いない言葉だった。

 言い終えてから、そう気付いて俺は……困惑した。言わないつもりだった。なのに、我慢が出来なかった。


 でも言い終えてから……不思議と後悔は、なかった。


「何それ、告白?」


「ああ」


「へー」


 アイツは漫画をベッドに置いて、上半身を起こした。

 どうやら、応えてくれるらしい。


 俺の気持ちを、清算してくれるらしい。


 アイツは、答えを勿体ぶっているようだった。

 俺にはもう、アイツが何て応えるか、わかっていたのに。


 いやもしかしたら、だからこそ、どんな言葉を告げるか……迷っているのか知れない。


 どうすれば、俺を傷つけずに振れるのか。


 そんなことを、考えているのかもしれない。


 ……アイツは、


「じゃあ、付き合おっか」


 俺に最後通告を、ってあれ?


「今なんて?」


「付き合おうかって」


「……なんて?」


「は? 耳壊れたの?」


 ぶっ壊れてるのはお前の倫理感だよ。

 内心でフツフツと怒りが沸いてきた。


 俺なんて、キープってか。


 そういうことなのか。


「……あたしも、好きだよ。あんたのこと」


 しかし、さっきゴムを買う時と同じくらい恥じらいながら……こちらに目を合わせようともせず、そう歯切れ悪く伝えてきたアイツを見て、俺は疑問を抱き始めた。

 なんで、こんなに初々しいのだろう?


 アイツには彼氏がいて……行いをするような関係があって……男の扱いにも、慣れているのではないのか?


 なのに、なんでそんなに……?


「お前、さっきコンビニでゴム買ってっただろ?」


「えっ!???」


 ボッとアイツの顔が赤く染まった。


「ど、どこで見てたのっ?」


「いやレジで。俺、あそこでバイト始めたんだよ」


「はあ? なんで黙ってるのよ!」


「なんでって……校則でバイトは禁止だから、バレたらまずいなあって」


「昔、隠し事は禁止って約束したでしょっ!!!!」


 ……そうでしたね。

 隠し事をしてたのは、どうやら俺も一緒だったらしい。


 俺の中には申し訳なさと……それにも勝る喜びがあった。

 アイツが過去の約束を覚えていてくれて、嬉しかった。


「何喜んでるの? キモ……」


「悪い悪い」


 俺は、苦笑した。


「で、なんであんなの買ったの? 俺てっきり、彼氏が出来てその……するのかなって」


「……は? そんなわけ、ないじゃん」


 直前まで俺を責めていた態度はどこへやら。しおらしく、アイツは続けた。


「……財布に入れると、お金貯まるって言うでしょ?」


「え?」


「だからっ。財布に入れてたらお金が貯まるって言うでしょっ!!!」


「言うけど……?」


「……将来、色々とお金かかるじゃない。結婚資金。引っ越し資金。学費。……あんた、一人であたしとあたし達の子供のこと、養っていけるの?」


 ……それって。


「……アハハ」


「な、何笑ってるのよ! こっちは真面目に考えてたのに!」


「……ごめんごめん。愉快な奴だと思ってさ」


 お前も。


 ……そして、俺も。


 そうだよな。

 アイツとの過去も。

 アイツと交わした約束も。


 俺が未だにそれを大切にしているように、アイツだって……。


 一瞬でもアイツのことを疑うだなんて、本当に、俺はなんて愉快な奴なんだ。


「……肩透かし」


 アイツが目を細めて言った。


「何が?」


「……さっき買ったゴム、一つ財布に入れた」


「そっか。お金貯まるといいな」


「……あと、これだけ余ってるよ?」


 アイツは鞄から、封の開いた箱をこちらに寄こした。


「……それ、どうしようか?」


 どうしようかって……そりゃあ。

 扇情的に微笑むアイツに、俺は苦笑した。


 俺はこれからも、アイツの尻に敷かれた人生を歩むらしい。

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