第18話

 メイドは狙いをつけ、王にトリモチを発射する。それは命中したが、王の動きを止めることはできなかった。

 王は右腕でトリモチを受けると、銃口から糸状に伸びているトリモチを掴み、逆にメイドごと持ち上げ振り回す。


 「きゃああっ!?」


 二回ほど大回転した後、トリモチは千切れてメイドは偶然、玉座の後ろに吊られていた青年と衝突する。

 青年を拘束していた糸はその衝撃で裂け、二人は床へ落ちた。


 「ご、ご主人様……! げほっ」


 メイドがクッションとなり抱きしめ、意識の無い主人の身を守る。しかし強い衝撃に、しばし動けない。

 それでも右手だけは動かした。ポーチの中から、渡したかったものを床に置く。良くなりますようにと、祈りを込めて。


 再開を喜ぶ暇もなく、メイドの身体は王によって持ち上げられた。首元を掴まれたため息も難しい。

 王はそのまま、王の間の脇、テラスへと進む。メイドを掴んだ腕を、宙に突き出した。月は水平線に落ちようとし、真下の広場には、多くのゾンビたちが待機している。


 「痛むのは一瞬だ。もう限りある生に悩まずともよい」


 王の尋常でない膂力を持つ指は、メイドの首から離された。無力な少女はそのまま落下していく。


 (終わり、なの────?)


 メイドの瞳には、夜空と王の顔しか映らない。落ちる彼女の背中側には、彼女を仲間に引き入れようと、ゾンビたちが両腕を空へ伸ばしている。

 銃は王の間に落としてきている。どの道、残弾はゼロで役には立たない。聖なる油瓶も、最後の一つは無駄にしてしまった。どうやってもこの数のゾンビたちは倒せない。


 (まだ、まだだ……! まだ私は、ご主人様の力になれるはずなのに……!)


 ここで終わったとしても、誰も彼女を責めることはない。

 悪夢の始まりからここまで、長く苦しい旅をしてきた。彼女自身もまた、臆病で情けない自分が、よく頑張ったと思っている。


 それでも諦める気にはなれない。最後まで生き残る道を探す。

 これはメイド自身気付いていない長所だったが、彼女は相当に諦めが悪い。人一倍の不運を持ちながらも、それに挫けない強い意志を持っていた。

 あの日もそうだった。他の誰もが死んだ世界を見つめながら、彼女は、少しでも長く生きようと足掻いたのだ。


 ゾンビの海に、生贄が捧げられる。彼らの腕が、牙が、メイドに襲い掛かる。

 波にもみくちゃにされ、メイド服が破かれた。露になった素肌にゾンビは口をつけようとしたり、元から剥き出しの脚に爪を立てようとしたりする。


 「ご、主人、様ぁっ……!」


 デッキブラシは奪われ、ポーチやホルスターもゾンビたちの手により剥がされる。だが、最後の武器は既にメイドの手中に。

 首に噛みつこうとしていたゾンビの動きが止まった。獲物から逆に、自らの首元に針を打ち立てられていた。緑色の肌のは元の色に書き換わる。


 手当たり次第に針を振り回し、ゾンビに刺していく。針の一撃を受けたゾンビは硬直し、人間になって倒れていった。

 他のゾンビは突如として人間が増えたことに困惑し、動きが鈍っている間に、メイドはゾンビたちを押しながら群れの中から飛び出す。


 行き先は無い。広場は閉ざされている。テーマパークを囲う城壁の外へ出ることも、不夜城の中へ入ることもできない。

 メイドは固く閉ざされた城壁の門へ走るも、距離を半分も詰められぬうちに転んでしまう。


 (だ、駄目だっ……! 死ぬっ!)


 人間へと変わった仲間のことなどもう気にすることなく、ゾンビたとは逃げ出そうとする少女を追いかける。

 メイドは地面の上を這いながら、自分を飲み込もうとする大波を見た。今度こそ終わりだ。起き上がることもできぬまま、生という名の死に取り込まれる。


 少女は考える。この状況から生きて逃げられる方法を。

 ────無理だ。恐怖によりまともな思考はできない。両脚は震え、顔は引き攣っている。


 少女は考える。今まで自分が成したことを。

 ────それは走馬灯にも近い。思考するまでもなく、自然に脳裏に浮かび上がる。中身は殆ど、自らの主人のことだ。


 (ご主人様、無事かな……)


 救うことは叶わなかったにしろ、薬は置いた。自力で飲んでくれるかは分からない。しかし、メイドはやれるだけのことはやった。

 怪我もしているようだった。傍にいてあげられないことが、彼女にとっては悔しい。主人が手を、足を怪我しているのなら、自分がその代わりになれるのに。


 『──ああ、やっと見つけた。生きていてくれたんだね。今、温めてあげよう。ほら、これをお飲み』


 『君を、俺の屋敷で雇ってあげよう。メイドとして働いてくれ。ああ、嫌ならいい。だけど君には、もう居場所も無いはずだ』


 『うん、似合っているよその服。随分と汚れていたから分からなかったけど、綺麗にしたらよく分かった。君は結構、美人だね』


 心に溢れる言葉の数々。一言一句誤りのない、メイドの主人の言葉だ。

 彼女は自分に対して言われたこと、これまでの全てを正確に記憶していた。

 記憶力が良いわけではない。ただ、特別な瞬間というのは意識せずとも記憶に残るものだ。メイドにとって、主人の発言は特別な瞬間に値する。


 (もう、お世辞ばかり……。私のことを美人なんて言ったのは、ご主人様だけですよ)


 死の直前に想うことではない。あまりにも場違いなその感想は、しかし大切な思い出を引っ張り出した。


 『君に名前を付けてあげよう。特別だ。君の瞳は夜の闇より暗い。だから、そうだね。君の名前は──────』


 (……ああ、ありがとうございます。ご主人様から貰ったもののお陰で、私は今まで生きています。どれほど怖いときでも、どれほど嫌な日でも、私の月はこの胸にあるのです)


 メイドは、金の針を固く握った。目の前の敵に対してはあまりにも貧弱な武器だが、他に選択肢はない。

 彼女の本当の武器は、心である。主人のため生きることを誓った彼女は、その決意を再び滾らせた。信じるものを想うとき、彼女は何にも負けぬ力を持つ。


 そして、立ち上がろうとするメイドの左腕に何かが当たった。




 『メイドちゃん! 無事か!? 今から突っ込む!』


 ゾンビの群れの中、地面に落ちて踏みつけられたポーチの中から誰かの声がする。ゾンビの幾人かがそれに気づき、辺りを探すも誰も見つからない。

 その声はメイドには届かなかったが、代わりに重く響く重低音が空気を震わせ、何かが来るということを知らせる。


 「え、ええっ!?」


 “それ”は、とても大きな音を出していた。テーマパーク不夜城の正面門、その向こうから真っすぐに近づいてきているのだろう。音量はさらに大きくなる。

 思い切り金属同士がぶつかる音がして、門がひしゃげて吹き飛んだ。煌々と暗い夜を照らす明かりが二つ、メイドとゾンビの群れに向かって突進していく。


 四つの車輪を持つ、金属の箱。メイドもゾンビも、そして城の三階、テラスから一部始終を見ている王ですら、その名前を知らない。

 まるで目のような二つの光をもち、獣が威嚇するかのような音を放つ。さらに、とても動きが速かった。


 「おわあああああっ!?」


 フロントガラスの内側で、運転手は叫ぶ。そこにメイドがいるとは思っていなかったのだ。

 急いでハンドルを切ってブレーキを踏む。鋼鉄の箱は横転しながらも、メイドに接触ギリギリの隣で止まった。


 地面と鋼鉄が擦れ合う激しい音は消え、そこには動かなくなった箱だけが残る。メイドもゾンビも、唖然としてその箱を見つめている。

 運転席の扉、空に向かっている方が開き、白衣の腕が伸びた。中から橙色の髪をした女性が姿を現した。


 「メイドちゃん、遅くなった! ほらこれ、受け取ってくれ!」


 中から出てきたのは博士だけではない。大仰な刃を持った機械を両手で箱から引っ張り出し、倒れたままのメイドの隣に置く。

 刃も箱状の本体も全て金属でできているそれは、持ち手が付いていた。どうやら両手で扱うものらしい。刃の先の金色が目に付いた。


 「は、博士……」


 「うむ! ……って、随分とボロボロだな君は。しかもゾンビの群れときた。よし丁度いい、この新兵器を使うんだ! 対ゾンビチェーンソーとでも名付けようか、この持ち手を握ってトリガーを引き給え!」


 メイドは言われた通りにチェーンソーを持ち上げる。重く、メイドの腕力では扱いにくい。だが金の針で戦うよりはいいだろう。

 トリガーを引くことでモーターが作動し、刃が高速で回転を始める。作動させたメイド自身が驚くも、使い方は理解できた。


 「それは金の針の仕組みを利用して、それぞれの刃の先端に同質の金を使用してある。そのチェーンソーでゾンビを斬れば、一瞬で人間に戻せるはずだ!」


 「ありがとうございます……!」


 人間が一人増えたことを歓び、ゾンビたちは再び雪崩のように殺到する。メイドはチェーンソーを携え、一歩前へ踏み込んだ。

 夜は、じきに明けようとしていた。




 「でええええええいっ!!」


 メイドが金の刃を振り回す度にゾンビが倒れ、血の代わりに金色の火花が散る。

 どれほど集まったゾンビも、今や一人の少女には勝てない。触れることさえできずに、人間へと還っていく。


 「りゃああああっ!」


 メイドが武器を振るう、というより、武器にメイドが振るわれているようにも見える。チェーンソーは重く、腕力ではなく遠心力で振り回されているようなものだ。

 それでも、ゾンビに対しては最強の力に違いない。これまでの鬱憤を晴らすように、金色の火花は闇夜を明るく染め上げた。


 形勢は逆転した。このままでは広場のゾンビたちに勝ち目はない。

 王はテラスで不満げに口を曲げると、その場から地上へ飛び降りた。


 「メイドよ。お前は、余の想像よりずっと強いようだ」


 土煙の向こうから声がする。メイドはチェーンソーを落とすまいと握りしめた。


 「諦めればずっと楽になれるものを。それが、お前の忠義というわけか」


 王の動きは速かった。メイドの反応は間に合わず、王の腕がメイドの腹部に強烈に食い込んだ。

 そして十メートルほど後ろに宙を舞い、メイドは何が起こったのかも理解できず、いつの間にか夜空を見ていた。


 「げほっ! ごほっえほっ! うぉえっ!」


 耐え切れずに嘔吐する。息と共に、食糧庫で盗み食いした色々なものが飛び出てくる。

 身体中の酸素を吐き出したような感覚と、強烈に痛む腹部。メイドはチェーンソーこそ離さずに持っていたものの、少しも身体を動かすことが叶わない。


 「ゆけ、我が臣民たちよ。余の理想の素晴らしさを伝えてやれ」


 不夜城の一階、閉ざされていた正門が開け放たれる。内側からゾンビの大群が増援としてやってきた。一度、メイドを追いかけた軍勢だ。

 彼らは無慈悲に、王の命のままにメイドを襲う。動けない彼女に噛みつき、引っ掻く。複数個所に傷をつければ、その分ゾンビとなる速度は早まる。ついた傷は、ゾンビとなれば簡単に回復するだろう。


 「あ、あああああああああああああああああああああっ!!」


 メイドは痛みに涙を流し、苦悶の叫びをあげる。

 チェーンソーを振り上げようにも、ゾンビに押し込まれて動かせない。実際の時間の何倍にも思える時間、一方的な暴虐を受け続けた。


 彼らの目的はメイドの殺害でも捕食でもない。ただゾンビにするためだ。そのため、いくら痛くとも死ぬことはない。

 ゾンビの怪力で骨のいくつかにヒビを入れられようと、その顎と歯で肌に深い傷を負わされようと、メイドは殺されない。喉が枯れるほどの絶叫は、虚しく夜の闇に吸い込まれる。


 「メイドちゃん……!」


 遠くから微かに、声が聞こえる。博士は、あの王冠を被ったゾンビの異質さに気付いた。あれこそがゾンビたちの王なのだと理解したのだ。

 ゾンビの群れに取り囲まれ、悲鳴しか聞こえなくなったメイドに手を伸ばす。それはあまりにも遠すぎ、届かない。


 乗って来た車のクラクションを鳴らそう。そうすればゾンビたちはこっちに来るはずだ。そう思った博士は車に戻ろうとする。

 だが、既にゾンビの群れの一部が博士の元へと向かっていた。この場の人間を一人残らずゾンビとするために。


 「クソッ!」


 博士は急ピッチでチェーンソーの改造を進めていたため、自衛の手段は持っていなかった。金の針も、トリモチの銃も、全てメイドにあげたもの一点きりだ。

 つまり、襲われれば為す術無くゾンビになる。車内に入る余裕すらない。


 自我の無い亡者に集られるメイド、今にも襲われそうな博士、それらを見つめる不死王。

 予想外の珍客が入ったが、これで全て終わりになる。不死王は月を見上げた。


 地平線に沈む月は美しい。常より大きく見える。

 ここまで辿り着くのに、実に三十年以上の時間を擁している。男の妻が死んでから、それほどの時が経った。

 三十年で不死を実現できたのだから、短いと思えるかもしれない。それも、不死王の意志に賛同する仲間がいたからこそだ。


 先導のドクタス、真言の無道、烈火のサタト、彼らはいずれも呪術のエキスパートだ。三十年の間にそれぞれを仲間とし、ゾンビ化の術を完成させた。

 侵入者を全てゾンビへと変えた後は、彼らを残すのみだ。不死王は不夜城の正門を通り、城内へと帰ろうとする。


 その時、大きな銅鑼の音がテーマパーク中に響き渡った。

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