第17話

 不夜城は静かだった。呻くゾンビの声も、大蜘蛛たちの演奏も、二階からは聞こえない。

 メイドは一人、不夜城の二階を歩いた。コックの男も、自らの主人も見当たらない。焦げたような床や砕かれた壁などは見受けられるが、全てとっくに終わった後らしい。


 「ご主人様ー……?」


 呼びかけには応じる者はなく、メイドの足音だけが反響する。

 そして、廊下の脇に、縄でぐるぐるに縛られた二人組を見つけた。


 「お、のれ……。私たちをこうも簡単に……」


 (だ、誰……?)


 倒れていたのは袈裟を着た大男と、薄い布を身に纏った褐色の女だった。怪我をしているうえに拘束され、既に戦う力はない。

 メイドは警戒しながら、その横をそっと通り過ぎる。


 「だが、単身王の間へ進むとは……。あの白銀の男も、これで終わりよ……ぐふっ」


 「え?」


 小さな声でぼそぼそと喋っていた褐色の女は、それきり動かなくなった。最後に、メイドの興味を惹く言葉を残して。

 王の間はこの城の三階であることは確認している。白銀の男は、該当しそうな人物は一人しか思いつかない。


 「ご主人様……!」


 メイドは三階への階段を探し始めた。

 ようやく会えるだろうと、笑顔の花を咲かせながら。




 王の間は広い。赤いカーペットが部屋の奥の玉座まで伸び、その玉座の両脇には燭台が立っている。

 銀髪の青年は玉座のさらに奥、天井に近い壁に、白い糸を巻きつけられて宙づりにされていた。まるで十字架に磔にされたかのような、両腕を水平に伸ばした姿勢で。


 玉座には、上半身裸の大柄な男が座っていた。長い黒髪に王冠を頂くその姿は、彼こそが不死王なのだろう。玉座の前は少し段差になっており、必然的に、この場にいる者は全員が王を見上げることになる。

 髭を生やしていないこともあってか、年齢は若く見えた。何よりも特徴的なのは、緑色の肌をしつつ血の気が多いようには見えないことだ。雰囲気は落ち着いている。


 天井には大蜘蛛が何匹か這っているが、それだけだ。この王の間には、彼らと三つ編みのメイド、それだけしかいない。


 「ご主人様!!」


 最も敬愛する人物を見た途端、メイドは声を上げる。しかしそれは届いていないのか、反応は無い。

 白銀の青年は意識がないようだ。その身体もボロボロであり、服の一部が破れ血が流れている。


 「お前は……誰だ? 名を名乗れ」


 王の口が開く。重い言葉だった。


 「わ、私は……ご主人様のメイドです。名前を知って頂く必要は、あり、ありません!」


 気圧されないよう、正面を、王の顔を見据えて言う。

 強がりは簡単に見透かされ、王は少し笑ったように見えた。


 「余は不死王。この夜より、アルラトの地を支配する者である。許可なしの謁見とは無作法な者だが、よい。許そう。お前は何をしに来たのだ?」


 「決まっています。ご主人様を解放してください! あ、あと謝罪とか……もです!」


 「ほう……。お前の主人とは、この男のことか?」


 王は座ったまま、僅かな頭の動きと目線で、後方の男のことを指した。

 メイドは頷き、玉座へと続くカーペットの道を進む。


 「あ、あなたのすること、少しだけ聞きました。誰もが不死になった世界を支配するって。どうしてそんなことをするんですか! 私もご主人様も、そんな世界は欲しくない!」


 「……………………」


 玉座の肘掛けに頬杖を突き、王はしばしの沈黙の後に口を開く。


 「悲劇とは、何だと思う?」


 「……え?」


 突拍子もない質問に、メイドはすぐには答えられない。

 王はメイドの返答を待たず言葉を続ける。


 「小石に躓くこと。職を失うこと。失恋すること。不運なこと。人から嫌われること。怪我をすること。道を見失うこと。目的を果たせぬこと。────違う。何れも悪しき事象ではあるだろうが、それらは最も深い悲劇ではない」


 王の目はメイドを見ていない。どこか遠くの星を見つめている。

 メイドは恐る恐る口を開いた。


 「わ、わ、私にとっての悲劇は……。ご主人様が、その、死んでしまうこと。ただそれだけ、です」


 小さいながらもその言葉は王の耳へ入ったのか、王は意外そうな顔でその目をメイドの顔に移す。


 「そうだ。人の一生というスケールにおいて、悲劇とは死だ。それは自らの死ではない。愛する者、隣にいて欲しい者との永遠の別れのことを指す。その年にして、よく理解している」


 「あ、はい……。ありがとうございます……?」


 急に褒められ、メイドは困惑する。目の前にいるのは、この悪夢の夜を引き起こした張本人のはずだ。

 それなのに、向こうから敵意を感じない。あるのは慈愛のような静かな温かさ。メイドの主人が持つ雰囲気にも近い。


 「余は、この世界から悲劇を消したい。余は、余の妻を昔に亡くしてから、ずっと死のない世界について考えてきた。その結果が、集大成が、これだ。死を覆すことはできぬが、死を消すことはできる」


 今、不死王を名乗る男にとって、それは悲願だった。夜空に向けた届かないはずの手は、星を掴んだ。

 星は、本物ではないのかもしれない。それでも構わなかった。求めた世界は、確かに実現したのだから。


 「悲劇を……。でも、どうして? こんなことをしても、あなたの奥さんは帰ってこない……。今更誰も死なないようになったからって、あなたに関係あることなの?」


 メイドは疑っていた。不死王の言い分は大したことだが、それは建前ではないのかと。

 本当は全く別の目的であり私利私欲。住人が全てゾンビとなったアルラトを、王として支配するという行為こそが目的なのではないか。

 でなければ、こんな大きな事件を引き起こすはずがないだろう。自らに益のない行いをする者は、メイドはただの二人しか知らない。


 「ない。最早誰が死のうと死なずと、それは他人事だ。妻以外の命は、余にとっては些事に過ぎぬ。しかし────」


 王は頬杖を止め、真っすぐにメイドを見つめる。


 「大切な者を失う気持ちを、これ以上誰にも味合わせたくはない」


 自分は思い違いをしていたと、メイドは確信した。この王には、一分の欲もない。本当に善意で、誰もいない王の間の玉座に座っている。


 「メイドよ。お前の、最も愛する者はこの男か? 親は、恋人はいないのか?」


 「愛する……っていうのはよく分かりません。でも大切な人は一人だけいます。私は自分の親の顔も分からない捨て子です。私のことを好きになってくれる人なんて、全然いません。だから、だから私にはご主人様しか……」


 「では、聞こう。この男は死ぬ。ここではなくとも、ゾンビにならねばいつかは死ぬ。年の差を考えれば、ほとんどはお前より早く死ぬだろう。その時、お前はその悲劇を受け止められるか?」


 メイドにとってそれは愚問だ。考えるまでもなく、答えはとっくのとうに決まっている。


 「ご主人様が死んだとしたら、私はその場でこの首を切り、後を追います」


 死後の世界があるかどうか、メイドは知らないし興味もない。ただ、自らの主人がいない世界に生きる理由は無く、もし死後の世界があるならば、ついて行く以外の選択肢はない。

 彼女の即答に、王は驚いた顔を見せる。


 「そうか……。終わりまで自らの主人に尽くすか。それもよい。しかし、そもそも悲劇を生まぬのが一番だ。主従共々、ゾンビとなれ。永遠の生を以て、悲劇無き世界を楽しめ。それが余の願いである」


 王は玉座から、右腕を階下のメイドへと差し出した。


 「お断りします。私は、絶対にゾンビになんてなりません」


 再びの即答。メイドははっきりと、自らの意志を表明する。

 普段は控えめで、周囲に流されがちな彼女でも、譲れないものはあった。即ち、己の忠義である。


 「ゾンビとなれば、私の意識はどうなるんですか? 他のゾンビたちに、自分の意志があるようには見えません。……あなたは、特別みたいだけど」


 「ゾンビ化の呪法は、代償としてその者の自我を溶かす。余は王であるから、自我を失った者らを導く責務がある。そのため、意識を残す術を組んだ。残念ながら、民の全てには与えられぬ術だが」


 「それは……あの工場長みたいに、ゾンビを操れるってこと……ですか」


 ぴくり、と王の眉が動いた。


 「術者である余は、術を掛けられた者を支配できる。……ふむ、工場長か。あの者も確かに、他人を操る特異な力を持っていた。王となる余の像を頼んだのだが、未だ届かぬか……。まあ、よい」


 一夜のうちに、男の願いは世界を変えた。誰もが死を恐れることはなくなり、終わりなき生を謳歌する時代が来た。これこそが最も望ましい世界であると、王となった男は思った。

 男の理想を否定し、戦いを挑んで来た者もいた。その青年も倒れ、今や行く手を遮る存在はない。男は確信した。夢は叶ったと。


 「永遠だぞ。お前と、お前の主は、いつまでも共に生きられる。どこに不満があるというのだ。メイドよ、余の力を受けよ」


 王の誘いに、メイドは少し考えて答える。


 「……あなたは、もしかしたらいい人なのかもしれません。ゾンビだらけの世界で、一人だけ意識を保ったまま王になるなんて、それは普通の人じゃ耐えられない……でも」


 侮っていたことを否定はできない。だが、仕方なくもある。誰が見抜けようか、男の前に立つメイドが、その細い身体にこれほどの意志を隠していようとは。


 「やっぱり、無理です。ゾンビになってこの意識を、ご主人様に対する想いを忘れることなんてできない! 永遠の命なんてこれっぽっちも欲しくない! あ、あなたの善意はただの押し付けで、迷惑です! ご主人様を……返してっ!」


 メイドは、大きな声で叫んだ。そして、左腰から銃を引き抜く。

 狙うは王。その支配に異を唱える反逆だ。


 あの雪の日、少女は貧民窟で、新たな生を受けた。名を貰った。この記憶は、抱いた想いは誰にも汚すことはできない。

 彼女の持つ全てがそこにある。あの一日を自我と共に失えば、それはもう、死と変わりがない。永遠の生はその目的を失い、解けぬ呪いへと転化する。

 メイドは戦うことを決意した。自らの主人のため、自分のため、無謀と思える敵にも抗うことを。正しい生と死が在った、かつての世界を求めて。


 「…………では、仕方あるまい。無理やりにでもゾンビとなってもらうしかないな」


 王が、玉座から立ち上がった。ゆっくりと段差を下り、メイドに向かって歩く。

 だがその顔は険しいものではない。王はただ、悲劇なき世界を望んでいるだけだった。誰に否定されようとも。

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