第16話

 「お前さ、分かってるか? 今日は目出度い席だって説明したよな? それで、運んでいるのが不死王陛下の食器だとも言った。よりにもよって、そこで倒れて全部台無しにするか? このアンポンタン。見ろよこの有様。ガラスと陶器の破片が飛び散って、また掃除しなきゃいけない。お前のせいだぞ。……いや、お前は掃除しなくていい。すっとろいし邪魔だ。部屋の隅っこで立ってろ。後で不死王陛下にゾンビにしてもらえばいい」


 「そ、そんなぁ……」


 メイドは罵倒されしょんぼりとしながら、言われた通りに部屋の一番後ろで目立たないように立つ。新しい職場でも扱いはさほど変わらない。

 少し離れたところで、小蜘蛛二匹が前肢でメイドを指しながら笑っている。立たされている人間を面白いものと思っているらしい。


 (お、おのれ……。私は悪くないのに、多分……!)


 他の大蜘蛛から仲間外れにされたメイドは、ただ部屋でメイドの失態の後始末をする大蜘蛛たちと、構わず舞踏会の用意をする大蜘蛛たちを見ていることしかできない。

 舞台の上の楽器を大蜘蛛の一団が手に取り、それぞれ練習を始める。披露する音楽のリハーサルのようだ。音色は金属を引っ掻いたようなもので、人間の耳には合わない。


 何とかしてここから逃げ出せないかとメイドは考える。こんなことをしている場合ではないのだが、他の蜘蛛の目がある以上、部屋の扉を開けてさよならという訳にはいかないだろう。

 脳裏に浮かぶのは、自らの主人の事ばかり。無事にこの城に入れたのか、体調はどうなのかと気掛かりになる。


 (やっぱり、行かなきゃ!)


 周囲の様子を窺い、できるだけ自然に退室する方法を模索する。

 腹痛でも訴えるか、トイレに行くとでも言えばよいか。廊下の掃除をするというのも悪くない。いや、転がりながら廊下に出れば、またやったのかという体で疑われないかもしれない。


 「ねえ」


 「ひゃいぃっ!」


 不意に声を掛けられ、メイドは上ずった声を出す。大蜘蛛の一匹が彼女に近づいていたことに気付いていなかった。

 思考の中が読まれたのかと狼狽えるメイドだったが、そういうわけではないらしい。


 「暇ならちょっとさ、食糧庫から食べ物取ってきてくれない? 場所は教えるよ。食べ物はそこの空いてるテーブルの上に適当に乗せといていいからさ。こっちで盛り付けるから、お前は運ぶだけでいいよ。それぐらいできるだろ?」


 「はいっはいっ!」


 何を言われたとしても頷く選択肢しかないメイドは、首を何度も縦に振った。大蜘蛛は彼女に軽く場所を教え、言うだけ言って去って行く。

 これは都合のいい仕事だった。食糧庫はこの部屋を出て、廊下を少し進んだ場所にある。不審がられず逃げられそうだ。


 メイドは、大蜘蛛たちがひしめく部屋から抜け出す。廊下で軽くため息をつき、食糧庫とは反対、二階への階段へ向かって歩き始めた。


 「あ、そうそう……ってお前、そっちは違うよ!」


 「んにゃっ!?」


 メイドの背後の扉が再び開いた。先ほどと同じ個体と思われる大蜘蛛が顔を覗かせると、見当違いの方へ向いているメイドに指摘した。


 「場所、教えたじゃないか。反対だよ反対」


 「そ、そ、そうですね……! ごめんなさいぃ!」


 頭を下げるメイドを余所に、大蜘蛛は本題を伝える。まだ言い残したことがあるらしい。


 「もう一つ言っておくよ。食糧庫の奥にミントもあるんだけど、それは取ってこなくていい。ミント以外はなんでも持ってきておいで。たくさんね。全部持ってきていいよ」


 「は、はい。分かりました!」


 メイドは大蜘蛛に見られながら、そそくさと食糧庫へ進む。

 食糧庫の扉を開け中に入ると、額に掻いた汗を拭って座り込んだ。


 「ふぅー……。危ない危ない、逃げ出すつもりなのがバレるところだった……」


 この部屋にはメイド一人しかいない。誰にも独り言を聞かれる心配はない。

 食糧庫はそう小さくはないが、食べ物を満載にした棚が幾つも並び、正確な広さは掴み辛い。壁にもニンニクからソーセージまで、一面を埋め尽くすように何かがぶら下がっている。


 ぐぅ、と腹の音が鳴った。メイドは今気づいたことなのだが、空腹だった。最後に口にしたものは、昼間に食べたカステラとお茶。疲労は空腹を呼び、抗いがたい欲を覚える。

 つい、棚に置いてあるチーズを手に取る。発酵した乳の匂いが漂う。干された肉も、壺に入った漬物もある。メイドは溢れる唾を飲み込んだ。


 「美味しー!」


 一度快楽を知ると、すぐには止められない。大きな塊のままチーズを貪り、ソーセージを千切って食べ、ドライフルーツを掴んで口に入れた。

 ビスケットもジャムもある。指でジャムを掬うと、ビスケットに塗って食べた。壺の中にも手を入れ、中のキュウリのピクルスを摘み上げてこれも噛み砕く。


 食器は持っていなかったため、全て手づかみだ。粗野だが、三つ編みのメイドにとってはナイフやフォークよりも馴染むやり方だった。

 礼儀など誰も見ていなければ不要だ。貧民窟時代の食事は、炊き出しの料理以外は食器など使わない。


 「むむ?」


 口元に食べかすを残しながら、メイドは食糧庫の奥で不思議なものを見つける。それは銀色の輝きを持つ、丸くて硬い金属の物体だ。大きいものは中を調べる手段がないが、小さい物には取っ手のようなものが付いていた。

 今まで見たことのないものだが、食糧庫にあるのなら食糧の一つなのだろう。メイドは試行錯誤しながら、小さい容器を開けようとする。


 「これは……っ!」


 取っ手を一度押し込み、指で引き揚げると蓋が開いた。中には茶色い液体に浸された、魚の切り身のようなものが入っている。

 見知らぬ容器から現れた、未知なる食材。味噌の匂いが胃を刺激し、食欲と好奇心をさらに煽り始める。メイドは我慢など到底できず、やはり手づかみで切り身を掴んで食べた。


 「んん~~~! なにこれぇ!」


 咀嚼しながら、その美味しさに舌鼓を打つ。これまでの暴食の中でも、最も印象に残る味だった。

 肉は柔らかく味付けが濃い。だが、他の保存食にありがちな過剰な塩味も、顔をしかめる酸っぱさも無い。ともすれば、日常で食べている料理よりも味が勝る。

 骨まで食べられるその保存食の名前など、メイドには知る由も無かったが、これは他の食糧とは一線を画すものだということは分かった。容器も中身も、とても珍しい。


 (もしかしてこれ、とんでもなく高いものだったりするのでは……?)


 メイドは一瞬、不安に駆られた。


 (……ま、いっか! ご主人様のものじゃないし!)


 が、メイドは気にしないことにした。もう食べてしまったのだ。今更どうすることもできない。

 味の濃いものを立て続けに食べ、喉の渇きを感じる。メイドは何か飲み物がないか探し、棚に大量の瓶が刺さっていることに気付く。


 一本を引き抜いてみると、それは緑色をした太い瓶だった。中には液体がたっぷりと入っている。アルラトでは一般的に飲まれているワインだ。

 コルクで栓がしてあるが、ワイン棚に栓抜きもぶら下がっている。これは丁度いいと、メイドは覚束ない手つきでワインを開ける。


 そこからは完全に止まりようがない。干し肉を齧り、ワインを瓶の口から直接呷り、チーズを頬張り、またワインを飲む。

 空いた腹を満たす満足感、好き放題に食事を貪る幸福感、酔いが回ってぼんやりと楽しくなる酩酊感。このような楽しみは、人生に何度得たことがあるだろうか。


 花畑で踊るような彼女の脳内に、警告を発するメイドと欲望を優先するメイドの二人が現れた。


 『ねえ、もう十分じゃない? 早くご主人様を探しに行こうよ』


 『でも、食事は必要だよ。たくさん食べておかないと動けなくなるし』


 白い羽の生えたメイドと、黒い尾を生えたメイドは言い争う。前者は柔和な表情を、後者は相手を嘲笑するような薄ら笑いを浮かべている。


 『お腹いっぱいにまでなる必要はないでしょ! ご主人様の危機なんだよ!? 薬を届けるんでしょ!? 食べてる場合じゃない!』


 『えー。そう言われてもさ、ほら。気持ちいいじゃん。こんなに食べられる機会なんて、次は一生ないかもしれないよ? 幸せ感じるよねー』


 『この……馬鹿! 我ながらどうしようもないやつ! 貴女はメイド! もう掃き溜めに巣くう蟲じゃない! 貴女はどうして生きいられているのか、それをもう一度思い出して!』


 黒い尾を揺らすメイドは、思いのほか相手が強気なことにたじろぎ、一歩後ろへと距離を取る。

 このままでは目が醒めてしまう。それはいけないと、最後の手段を使った。


 『うるさいなぁ! これでも喰らえ!』


 『きゃぁ~!?』


 突如、大水が流れ込み花畑がどんどん浸水していく。紫色の水は、ワインだった。濃密な酒香が充満する。

 白い羽を生やしたメイドは溺れ、助けを叫ぶも口からは泡しか出ない。黒い尾のメイドも共にワインの洪水に沈むが、余裕そうな顔をしてにやりと笑った。




 「おいっ!!」


 「はっ!!」


 背後から大きな怒声を浴びせられ、夢うつつのままに涎を垂らして項垂れていたメイドは、急速にその意識を覚醒させる。

 足を開いて地べたに座り込んだメイドの周囲には、散々食い散らかされた保存食と、空っぽになったワインの瓶が転がっていた。


 「いつまで経っても戻ってこないと思えば……。盗み食いまでするなんて、とんでもない役立たずの人間だね! お仕置きが必要だこれは!」


 大蜘蛛は完全に怒り心頭だ。牙を激しく打ち鳴らし、未だ呆けた顔をしているメイドに襲い掛かる。


 「ご、ごめんなさいぃ~! 美味しそうだったんですー!」


 メイドは釈明しながらも、足元に転がっていた香草を大蜘蛛の顔面にぶつける。それは乾燥させたミントであり、また大蜘蛛の嫌う弱点でもある。

 それのニオイを嗅がされ、大蜘蛛は大きくのけぞった。メイドがさらにミントをぶつけると、嫌がるように脚を動かし仕置きどころの話ではなくなる。


 「や、やめ……やめないか! こら! オイ!」


 動けなくなった大蜘蛛を後目に、メイドは食糧庫から抜け出した。連なったソーセージがスカートのポケットから飛び出ている。

 二階への階段を目指し走り出す。自らの主人と早く会いたいが、どこにいるかは分からない。ひとまずは二階で、コックの男と合流したかった。


 舞踏会の準備をしている部屋の前を通り過ぎ、廊下の角を曲がったところで、急にメイドの足が止まる。

 白いエプロンの下に着ている、黒いワンピースの後襟が真後ろに引っ張られている。原因は不明だが、誰もいないのに強い力が加えられていることを感じられた。


 「な、なに、これっ……!」


 前に進もうとしてもつんのめる。身体を揺らしても、見えない力を振りほどくことができない。

 手を首の後ろに回すと、何かとても細い、張り詰めたものが後襟から伸びていることが分かった。これは、糸だ。あまりにも細く透明に近い色合いの糸が、メイドの服にしっかりと張り付いていた。


 「キキキ……。お前が逃げ出さないようにね、糸を一本付けておいたんだ。舞踏会の邪魔をするってことは、不死王陛下への不忠だよ。到底容認されないぞ……!」


 先ほどの大蜘蛛が、ゆっくりとメイドに距離を詰めてくる。そして、五メートルほどの距離を取って止まった。

 下半身を垂直に持ち上げており、やはり見えないながらも糸が繋がっているらしい。下半身の動きに連動してメイドの首元が引っ張られる。


 「し、知らない! そもそも不死王って誰!? そんな人に仕えた覚えはない!」


 「これからの世界を統べる御方だ。よーく覚えておきな! 不死王陛下はね、この地に住む全ての住人に対し、永遠の命を与えるために玉座に着いたのさ!」


 大蜘蛛は歩きながら、メイドに王のことを語る。優しく、それは我儘を言う子供に諭すように。


 「不死王陛下とその配下の人間たちはね、長い研究の果てに不死へ至る呪法を見出した。それがこのゾンビ。聞いただろう? ゾンビは老いず、傷を負わない。不死王陛下は、このアルラトを永遠の不死の国とすることをお望みだ」


 「どうしてそんな……。あんな、あんなものが正しいやり方なわけない! 不死にしてくれなんて、言ったことも思ったこともない! アルラトの人たち皆、殆どがそうじゃないの……?」


 「個人個人の意思を聞くつもりなんて、陛下にはない。第一にこれは福音だ。どこに断る理由がある? 誰も死なないんだ! これ以上幸福な世界、他にないだろう!」


 不死王への忠誠を込め、声高らかに大蜘蛛は主張する。新しい世界が正しく、美しいものであると信じ切っていた。

 対してメイドには、その心が全く響かない。完全に共感ができなかった。あまりに自分勝手な理論なもので、怒りさえ湧いてくる。


 「……理由なんて、いくらでもある。でも、一番認められないのは、私のご主人様に迷惑を掛けたこと。それはちゃんと、償ってもらうから。その不死王とやらに」


 「お前……ちょっと生意気だね」


 いつの間にか、首元の糸が切れていることにメイドは気付いた。逃がしてくれるということはない。ならば、これが意味するところは。


 「ゾンビなんて勿体ない。お前はここで糸に巻いて、ゆっくりと足から齧ってやるよ。精々叫んで、助けでも呼ぶんだな!」


 大蜘蛛の下半身が動く。糸が出るのだと、メイドは察知した。より強く、多い糸を発射するために、今まで出していた細い糸を断ち切ったのだ。

 どうするべきか思案する。ここで喰われてやるわけにはいかない。かといって逃げたくもなかった。

 自分の主人に会いたい。不死王とやらに文句の一つでも言いたい。ならば、敵から逃げるべきではないはずだ。逃げれば、また遠ざかる。


 スカートのポケットから出ていたソーセージを取り出し、端を握って回転させる。そして、それを大蜘蛛が糸を出すと同時に、自らの眼前へ突き出した。

 勢いよく放たれた糸の束は、振り回されたソーセージに絡めとられる。予想外の防御の仕方に大蜘蛛は驚いた。


 「そんなのアリかぁ!?」


 「アリなんですっ!」


 糸まみれのソーセージを手放し、メイドは背中のデッキブラシを取り出す。両手でしっかりと柄を握り、ブラシ部分で蜘蛛の頭を真上から殴打した。

 鈍い音がして、大蜘蛛は平べったく床に伏せた。一部の脚が動いているものの、意識は無いようだ。


 「か、勝った……!」


 一か八かの作戦の成功に、メイドは心臓の鼓動を高ぶらせながら安堵する。見様見真似の技だったが、上手くいった。

 また追いかけられないように、大蜘蛛の脚をそれぞれトリモチで固定する。残りのトリモチの数はあと一発。


 「ああ、ソーセージが……」


 メイドは蜘蛛の糸で白くなったソーセージを持ち上げ、無念という顔をする。せめて、とばかりに端の蜘蛛の糸が薄い部分を千切り、少し食べた。

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