第15話

 ゾンビは城壁に衝突した勢いのままに、大きな川の流れとなって城壁の上の道を伝っていった。

 恐ろしい呻き声を響かせ、こちらに手を伸ばしながら追ってくる肉塊の濁流を背に、メイドは目に涙を浮かべながら走る。


 銅鑼はとっくに呑まれて消えた。トリモチは一瞬だけ勢力を押しとどめた後に千切れた。聖なる油瓶を投げたが、ゾンビの手に当たって弾かれ、割れぬままに広場へと落ちて行ってしまった。

 デッキブラシは役に立たない。金の針も使えない。できることは、走ることだけ。メイドはスカートの両端をつまみながら、不夜城の二階へと戻って来た。


 思い付きで、壁際に並んでいた鎧を引き倒す。鎧は強固な障害物となり、ゾンビの群れの勢いを多少だが削ぐ。

 その間にゾンビと距離を取り、メイドは廊下の角を曲がった。

 視界から消えた少女を追い、ゾンビの大群も同じ角を曲がる。メイドの姿は無い。足音も消え居場所が掴めなくなったが、それでも堰を切った流れは止めることできず、ゾンビたちは廊下を進んで行く。


 「んん~~~っ!」


 メイドの言葉にならない声は、天井の方から放たれた。

 廊下の真上では、メイドが白い糸にぐるぐる巻きにされながらぶら下げられている。辺りには脚を含めた全長が、人の背丈ほどもあるような大きい蜘蛛たちが逆さに天井を這っており、その口元の牙を動かしていた。


 「人間が、どうしてこんな場所にいるんだぁ~?」


 「知らない顔だけど、どーすんのこれ」


 「好きにしていいんじゃないか? それよりもほら、早く質問に答えろ!」


 メイドはもがもがと口を動かすも、糸に身体を繭のように丸められ、口元も動かせない。それどころか、鼻元すら糸で覆われている。呼吸すらままならない。

 なんとか床に下りれないかと身体を揺らすが、糸は強固で、千切れることを期待することは難しい。酸素を取り込めず、メイドの顔色がどんどんと白くなっていく。


 「何か、弱ってない? キツく縛り過ぎなんじゃないの?」


 「馬鹿! 顔まで糸を巻くからだよ、死にかけてんだ!」


 蜘蛛の牙により糸の一部が断ち切られ、鼻と口が解放される。暗きに遠のきそうだったメイドの意識が戻ってきた。


 「げほっ、げほっ……! ぜはっ、ひゅぅ……」


 外気をふんだんに取り込み、ひとまずの命の危機は免れた。メイドは今の状況を改めて観察する。

 空中に吊られた身体は、完全に拘束されている。指の一本さえ動かすことはできない。背中の糸が天井とくっついているようだ。

 大蜘蛛たちは全部で五匹ほど。紫に黄色の縞をした、あまり触りたくない体毛の模様をしている。八本の肢体はしなやかで、先端には鋭い爪が。牙は大きく、カチカチとぶつかり合って硬い音を出していた。


 「そんで、なんで人間がこんなところにいるんだよぉ~。どーしてゾンビになってないんだぁ~?」


 糸を吐きながら、大蜘蛛がメイドと同じように宙に下がって行く。その前肢にメイドの繭が揺らされ、振り子運動でメイドは目を回す。


 「わ、私はぁ~! ご主人様に会いに来たんですぅ~! 街にゾンビが溢れかえるような事件を~、解決しにぃ~!」


 左右に移動する声は音の調子が安定せず、大蜘蛛に近づくほどに大きく、離れるほど小さく聞こえる。

 滑稽な様子に、大蜘蛛は笑った。


 「そりゃ、無理な相談だ」


 違う大蜘蛛により、ちょきんと天井と繭を繋ぐ糸が断ち切られる。メイドは抵抗できぬままに赤いカーペットの敷かれた床に落下し、一度バウンドして転がった。


 「あ痛ぁ!」


 芋虫のように身体を動かすことで、回転する身体に上下の別をつける。これ以上目を回すことは避けられたが、大蜘蛛たちも床へと降り立つ。

 そして大蜘蛛は、メイドの身体を縛る繭にまた別の糸をくっ付けた。床に擦りつけながら運び、城内を移動する。


 「ちょ、ちょっとぉ! どこに連れて行くの!?」


 「決まってるじゃないか。舞踏会の準備だよぉ!」


 意味が分からないというメイドの顔を余所に、大蜘蛛たちは五匹並んで床を這う。そして、声高らかに歌い始めた。


 「今夜は記念すべき夜♪ 星が歌い月が笑う貴き夜♪ 人の世が終わりを告げ、新たな未来の幕が上がる♪」


 「さようなら苦しみよ、終わらない夢を始めよう♪ 不死王のお慈悲を受け取ろう♪ 素晴らしき生の始まりだ♪」


 「人はゾンビへ、不死なる器へ♪ 悩み事は消え、今日の食事にも困らない♪ 聞くべきは不死王のお言葉のみ♪ 儚き陽光よ、二度と降り注ぐことなかれ♪」


 「痛みは無い♪ 憂き目も無い♪ 誰かとの離別も、残酷な運命も♪ 伴侶はあたなの傍に、永遠に♪」


 「宴だ宴、踊って騒げ♪ 古き不幸を忘れ、久遠の明日へ想いを馳せろ♪ 万古不易の王国よ、不死王の偉業を語り告げ♪ 常しえの夜よ、決して開けることなかれ♪」


 五匹は、順に王への賛美を続けた。実に楽しそうに、それぞれが身体を揺らしながら。

 メイドは引きずられながら、ただその歌だけを聞いた。意味を考えながら、廊下の窓の外の月を眺める。


 (綺麗だな……)


 元来、メイドは月夜が好きだった。温かく眩い日差しは、自分にはとても似合わない。薄く暗い月と星の灯りこそ、自分に相応しい。

 だが自然の美しさに感嘆している場合ではない。メイドの自由は奪われ、行く末は大蜘蛛たちの気分に委ねられた。生きるか死ぬかも彼ら次第だ。

 それでも、月を見てそう感じた。恐怖で疲れ切った精神に、月を美しいと思う心が残っていたのか。それとも現実から逃れるための一時しのぎか。


 月は少し、落ちかけていた。全部落ちれば、次は日が昇る。

 メイドは、自分が朝日を拝められるかどうかすら確証を持てない。一秒先も分からぬ夜に怯えながら、せめてご主人様には会いたいと、慎ましく祈った。




 階段を下り、城の一階の大きな扉を開く。そこは大きな宴会場だった。

 奥にはステージがあり、客席には椅子やテーブルなどが並んでいる。ステージの脇には、大きな楽器群も見えた。

 大蜘蛛たちが忙しそうに会場を這いまわっている。その数は実に二十匹近い。それぞれが掃除や食器の配置を行っていた。


 客人のもてなしをする予定がある日のメイドたちみたいだと、本職のメイドは思った。

 彼女を連れてきた大蜘蛛の一匹によりメイドの繭は解かれ、彼女はようやく立ち上がることが可能になる。


 「働きな! 蜘蛛手は足りてるけどね、人手がないんだ。ゾンビ手は今いっぱいだし、人間にはここを手伝ってもらおう!」


 「この肢じゃ上手くできないこともあるんだ。ほら、そこにある食器をテーブルの上に乗せろ」


 「え、えぇ~……」


 大蜘蛛たちに命じられ、メイドは渋々了承する。部屋の隅に並んだ食器の山から、必要な分を盆にのせ、それを各席へ置いて行く。

 食器の配膳ぐらい、何度もしたことはある。ただ、それはメイドがメイドとなってすぐの頃だけだ。

 時が経つにつれ次第に、配膳は頼まれなくなった。同僚は皆、三つ編みのメイドがどのような人物かを知ってから。


 「きゃははは、舞踏会だ~!」


 「きひひひ、楽しみだなぁ~!」


 小さな蜘蛛が数匹、盆を持つメイドの前の床を横切って行く。

 大蜘蛛の子供なのだろうか。小蜘蛛の大きさは手のひら程度と、大蜘蛛よりははるかに小さい。それが二匹いた。


 「こらこらガキども。うろちょろして邪魔すんじゃねぇぞ」


 大蜘蛛は子供を脚で散らすと、メイドを先導した。


 「そら、こっちだ。祝いの席なんだから、サボらずしっかり働け」


 「ど、どこが祝いなんですか……? 最悪の日ですよ……」


 メイドは、彼女に指示を与える大蜘蛛と話しながら一席ずつ食器を並べる。席に座るのが誰かも知らないが、ナイフやフォーク、空のグラスを配置した。

 盆の上を空にしたら、また次の食器を取りに行く。その繰り返しだ。


 「はぁ? 何言ってるんだお前。人間にとってはこれ以上ない日じゃないか。だって、もう死ぬことがないんだぞ。多少の傷はすぐに治るし、寿命も無い! ああ人間だけが祝福を得られるなんて、羨ましいぜ」


 「大丈夫、不死王は我らにも力を与えてくれると約束しました。いずれは、この国に住む全ての住人は不死となることでしょう!」


 一人と一匹の会話に、大蜘蛛がもう一匹混ざってくる。彼らは、不死王に不死を頂くという報酬を元に、かの王に付き従っているようだ。


 「そ、それって、ゾンビになる……ってことです? 死ぬことがないって……でも……」


 生きる者にとって、死とは絶対的な終わりである。

 人間のみならず、犬や猫、家畜に至るまで、死という概念を理解せずとも終わりを恐れている。

 常に生きようと、明日の太陽を拝もうと足掻き続ける。いつかくるその日を、少しでも先延ばしにするために。それが命だ。


 不死を叶わぬ夢と知りながら、空想に描いた者は数多い。だが目の前の大蜘蛛たちは、それがあり得るという話をしている。

 メイドも無論、死は怖い。無為に死んでゆく命を、あの雪の日に飽きるほど見てから、より一層その想いは強まった。


 (そんなの……きっと、間違ってる)


 同時に、こうも考える。命とは死んで当然なのだと。

 強き者も弱き者も、等しく死ぬ。その時間に大きな差はあれど、誰しも同じ結末に辿り着く。

 第二、第三の結末はない。その人生の価値に関わらず、持つ資産の量に左右されず、感じた幸福の多寡にも意味はなく、全ての存在はいずれ終わる。


 命とは、貧民窟で生まれた彼女が見つけた、唯一の平等である。

 何も持たぬ彼女は、月の光も僅かにしか差さぬ暗澹たる地で、静かにそれを悟った。彼女に良くしてくれた老人が死んだ時に。


 懸命に求める生があり、無慈悲な死がある。いや、死があるからこそ人間はその全てを用いて生きようとするのだ。

 この世の全ては畢竟、生と死の営みに過ぎない。故にその繋がりを引き離すことは望めない。


 メイドは死を恐れながら、不滅の生に違和感を抱く。メイドはそのような願いを、一度たりとも持ったことはなかった。


 「おい、ぼさっとしてんじゃない! 次はこれを運べ、向こうにだ!」


 大蜘蛛に怒鳴られ、前肢で指図される。既に盆の上に食器が乗っているが、皿やグラスの数がとても多い。

 単なる重量のみならず、持ち上げた時のバランスの取り方も運搬の難易度を上げる。これは落としたら大変なことになるぞと、メイドは気合を入れて盆を持ち歩く。


 掃除をしていた大蜘蛛が落としたものだろうか。箒が一つ、床に転がっていた。メイドの革靴が、丸い柄を踏みつけそうになる。


 「うおっ……と!」


 最悪の未来は、寸前に回避された。上手く足の着地位置をずらし、バランスを取り直すために、足を広げた体勢のまま少し静止する。

 問題は無い。メイドは安堵の息を吐き、もう一度歩き始めた。


 「何やってんだお前、大丈夫か? それはこの舞踏会の主賓、不死王陛下の席に運ぶんだからな。間違っても落とすんじゃないぞ」


 「は、はいぃ……!」


 少しでも油断をするべきではなかった。足元に警戒し過ぎて、上からの不運にメイドは気付くことができない。

 メイドが返事をした瞬間、その細いうなじから服の中へ、何かが落ちてきて入り込んだ。


 「うにゃっ!?」


 カサカサとメイドの柔肌の上を這いまわるものがいる。背中から腹へ、腹から胸元へ。それが動くたびに、くすぐったさが全身を駆け巡る。


 「あ、ちょっ、駄目っ……!」


 躊躇なく身体をまさぐる何者かを今すぐにでも排除したいのだが、両手は塞がっている。盆をそっと近くのテーブルに置くのが先決だと分かってはいた。

 なのだが、耐えきることができない。肌に食い込む何らかの突起が、メイドの上半身を徹底的に刺激する。慣れない感覚に反応するのは声だけではなかった。


 踏ん張ろうという抵抗は無駄に終わり、メイドは膝を折り前方に倒れ込む。もちろん、盆を持ったまま。

 小皿、大皿、細長いグラス、大きなグラス、肉を切るナイフ、魚を切るナイフ、フォーク、その他多くの食器類は宙を舞う。

 誰にも止めることはできない。メイドは諦観の内に、これから確実に起こることに対して目を閉じた。傍にいた大蜘蛛は前肢を伸ばすも、とうに遅いうえに、その爪では掴めない。


 炸裂する破砕音。嫌な高音が部屋中に響く。舞踏会の準備をしていた大蜘蛛たちは全員、一斉に音の発信源を見た。

 誰もが驚きで口を利けない。静寂の中、メイドもうつ伏せになったまま起き上がらない。


 (やってしまった……。馬鹿だ、私……)


 メイドの耳は、既にこの音を聞きなれている。今日だけで三回目だ。それ以前にも、沢山聞いている。

 三つ編みのメイドが配膳を手伝えばこうなる。それが分かってから、メイド長は彼女に食事の支度を手伝わせようとはしなかった。

 何か仕事はさせなければいけないから、皿洗いを頼んだのが今朝の事。恐らく金髪のメイドは、彼女に二度と皿を触れさせようとはしないだろう。


 「ひんそーな身体だなぁー。もっと食べた方がいいんじゃないのー?」


 (余計なお世話だ……!)


 小さな声と共に、小蜘蛛が一匹、メイドのスカートの中から出て行った。

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