第14話

 紅い衣を身に纏った銀髪の青年は、夜の商業地区を駆けていた。

 一度の跳躍で商店の屋根を何軒分も飛び越していく。工業地区と隣接する商業地区、不夜城まで辿り着くのに十分と掛からない。


 『不夜城。このアルラトでウチの工場とあそこぐらいだろうね、まだ比較的まともなのは。……いや、向こうはとっくにおかしいか。何せ、主がアレだ』


 『どういうことだ、工場長。私も不夜城に目星をつけていたが、先に旧友である君の元に話を聞きに来た。この工業地区も、ゾンビに統制を取らせてるじゃないか』


 青年は工場長の部屋でした会話を思い出す。


 『知らんねウチは。ゾンビどもは前と変わらず、ウチの言うことは聞くんだ。とにかく邪魔はしないでおくれ。……暴力を振るわなきゃいけなくなるからねぇ!』


 そうして始まった戦いの末に、青年は片膝をついた。本気で殺し合ったわけではない。青年は剣を抜かなかったし、工場長は素手だった。

 普通であれば青年が勝つ戦いだ。体格差を超越した力の差というものがある。だが薬が無かった。規定の服用時間はとっくに過ぎている。


 『残念だよ、工場長。君なら話が分かるかと思ったんだが』


 弱り切った末に、武器に手を掛ける。青年にとって、屋敷の主人にとって、剣を振るう相手は悪と決まっている。目の前の相手には、なるべく使いたくなかった。

 そんな時、何者かの陽動により隙を得た彼は大工場からの脱出に成功する。一体誰が自分を助けてくれたのか、未だ答えを得ていない。


 「さて、ここが件の城か……」


 不夜城の正門前まで到着する。門は閉じている。開園時刻だが、本日は休業のようだった。

 青年はすぐに中に入ることはしない。休息の時間が必要だ。不夜城から離れ、下水道への扉を開ける。


 下水道にまでゾンビはいない。ここなら、安全に休めるだろう。

 青年は水路脇の壁を背に腰を下ろした。既に手が震え、力が出ない。心臓のあたりが締め付けられるような痛みで、青年の心身を蝕む。


 満足に動けるのも、あとどれぐらいか分からない。何度か全力を振るえば、それきり倒れてしまうことを青年は察している。

 薬を取りに、先に研究所へ向かえば良かったかもしれない。だが研究所が無事である保証も無かった。博士がゾンビと化していれば、薬の在処など分かりようもない。

 もしそうなっていれば、時間を無駄に使うことになる。その分体力も浪費され、ますます動きが制限される。


 何より、一刻も早く事件を解決したかった。このような非道を行った悪人を裁かなければならないと、青年は意気込む。

 怒りと焦りは、自然とこの足を不夜城へと向けた。しかし休息を欲する身体はこの下水道で、動かなくなった。




 目が覚めて、青年は自分が寝ていたことに気付く。どれほど時間が経ったのか気になり、急いで地上への扉を開ける。

 まだ夜は続いていた。星と月がよく見える夜だった。

 月の位置は大きく動いていた。寝る前と比べ、一、二時間ほど経過したらしい。青年は寝過ごした自分に叱責する。


 「何を、やっているんだ私は……! いや、体は少し動くようになった。今すぐにでも城に乗り込み、悪を斬る……!」


 男には信念があった。貴族として生まれた者として、弱き者を助ける責務を負っていた。無辜の人々の平和を守るという意思があった。変わらぬ日常の営みこそ男は重視している。

 そのための力もあった。剣の才があった。財の量があった。ただ一つなかったのは、一族に続く病に抵抗する力だった。


 男は悔やむ。気付いた時には、全てが後手に回っていた。ゾンビ化は一夜のうちに行われた。止めることはできなかった。

 ゾンビと化した人々が元に戻るのかは分からない。それでも、元凶を倒さんと震える身体を無理やり動かす。決して許しておけるものか。


 「数が多いな……!」


 不夜城の正面から、門を越え広場に突入する。ゾンビが津波の如く男を襲いに来た。その服装は、一般客のようなものから従業員のようなものまで様々だ。

 広場に配置されている店舗の屋根などを飛び回りつつ、不夜城への侵入方法を探す。地上一階の扉は閉じられている。二階に侵入できそうな道は無い。

 選択肢は、三階の王の間のテラスまで一気に飛び上がるか、城壁の上に登るかだろう。だがその行く手を阻むかのように、ゾンビが蠢き、青年の足を掴もうと手を伸ばす。


 「本日は閉園! 関係者以外立ち入り禁止だというのに、いけませんなぁ」


 「何者だ!」


 青年の頭上、教会を模した建物の屋根から声がする。

 そこに立っていたのは、シルクハットを被った初老の男だった。

 男は黒い燕尾服に黒いマントをたなびかせている。モノクルの奥の瞳は青年を見据え、少しだけ生えている髭の下の口は不敵に笑う。


 「我は不死王が配下の一人、先導のドクタス! 貴公はかの白銀の主ではありませぬか? 我が王の意向に逆らおうとは、不敬なり!」


 ドクタスがその手に握ったステッキを振るうと、ゾンビたちが従うように動きを変える。

 ゾンビがゾンビの上に乗り上げ、どんどんと合体し高所の敵へ襲い掛かる。肩車に肩車を重ねたそれは不安定だが、ゾンビの並外れた筋力により固く結合しているようだ。


 まるで触手のように伸びるゾンビの攻撃を、青年は紙一重で躱していく。すると今度は全方位から、青年を囲うようにゾンビの触手が陣形を組んで攻撃を始める。

 今度こそ逃げ場のない絶体絶命だ。青年は屋根の上で好機を窺った。一瞬の隙を見極め突破するために。


 突如、爆発的な金属音が鳴り響く。

 青年もドクタスも、思わず耳を押さえた。ゾンビたちはその合体を崩壊させ、指令を無視して音源の方へ一斉に駆け出す。


 「ば、馬鹿なっ!? ええい、言うことを聞けゾンビども! 不死王の寵愛を賜りながら、その恩を仇で返すかっ!」


 ドクタスがいくらステッキを振るっても、ゾンビは反応しない。城壁へその大群をぶつけると、またゾンビの上にゾンビが乗り上げる形で、今度は階段のようなものができ上がった。

 ゾンビで組まれた階段の上を、ゾンビが走って誰かを追いかけている。完全に、先ほどまで戦っていた相手のことは眼中にないようだ。


 「どうしたんだこれは……? うん?」


 困惑する青年だったが、不夜城の扉が開いて行くことに気付くと、その身を素早く移動させた。

 彼が城内に入ると同時に扉は閉まり始めるが、後に続いて人影がもう一つ入った。


 「待て、白銀! 貴公、仲間がいたか!」


 「何のことだ!」


 不夜城一階、広間にて二人が相対する。外の広場への門は完全に閉じられ、ゾンビが入ってくることはない。

 青年は剣を引き抜いた。細い剣身が揺らめく燭台の炎に照らされ、鋭く光る。


 「ゾンビという手足を削ったところで、果たして貴公一人でこの私に勝てるかな!? 貴公を捕らえ、仲間諸共王へ献上してくれるわ!」


 ドクタスが宙返りをすると同時に、広間に風を切る音が響いた。青年は素早く剣を振るい、三つ飛んできた投げナイフを正確に弾く。

 ナイフには、緑色の薬液が塗られていた。それが何かを知らずとも、青年は触れてはならぬものだと直感する。


 「やるな! では、これはどうだ!」


 燕尾服の懐から同じナイフを何本も取り出し、左手だけで連続で投擲する。ドクタスは続けて、右手のステッキを振るった。

 投げられたナイフは、一度に三本を三回の計九本。青年はこれも正確に、その全てを剣で弾き一気に前進する。敵を殺そうということではない。ただ少し痛めつけて、動けなくなって貰うだけだ。


 「甘い!」


 走る青年の後ろで、弾かれ床に転がったナイフが再び動き始める。まるで糸に吊られたかのような動きで、真っすぐに青年の無防備な背を襲う。

 だがそれは、失敗に終わった。真後ろから飛んでくるナイフを、青年はジャンプ一つで避けきった。跳躍はドクタスを越え、真後ろへ着地する。

 今度は青年の直線状にいたドクタスにナイフが襲い掛かるが、ナイフは寸前でドクタスを逸れ、背後の壁へ刺さった。


 「何ぃ!?」


 青年は一度も振り返っていない。目の前の敵すらも見ていなかった。

 彼が見ていたモノは、ドクタスの背後にある姿見だ。そこにははっきりと、自分に向かってくるナイフが映っていた。

 自分とドクタスの姿で、全てのナイフが映っているわけではない。だが、背後から飛んでくると分かっているのならいくらでも避けようはある。


 「その杖か────!」


 白銀の剣は目にも止まらぬ速度で振るわれ、ドクタスの持っていたステッキの上半分を切り落とした。それだけに留まらず、流れるような剣筋は初老の男の背を、急所を外し切りつける。

 ゾンビを操るのも、ナイフを操作したのもこのステッキの力だった。呪法の力で編まれた見えぬ糸を用い、支配下の物体を先導していた。


 「は、速い……! これが、白銀か……!」


 先導のドクタスは広間の床にうつ伏せに倒れ込む。青年は剣を収め、男の顔の横に膝をついた。


 「聞きたいことがある。不死王とは何者だ? 全ての元凶で間違いないか?」


 「不死王とは、この不夜城の主……! 人類史に残るこの一夜を計画した、張本人であらせられる……!」


 不夜城はテーマパークである。つまり、最高責任者が存在する。

 青年は頷いた。今度こそ間違いはなさそうだ。


 「場所はどこだ! どこにいる?」


 「お、王の間だ! これより後の世の王となる御方、王の間に座するのは当然のこと……。しかし白銀! いくら貴公でも、不死王には勝てぬぞ……!」


 それきり、ドクタスは意識を失った。

 青年は一人、広間の階段を上ろうとする。


 「テーマパークの経営者が、王を僭称するとはな。民をこのようにしておいて、どの口が王を名乗る……!」


 屋敷の主人は独り言ちた。アルラトの街の発展と繁栄に寄与してきた身として、王を名乗る無法者の振る舞いは到底容認できない。

 その時、階段の先、二階において先ほどまでは無かった気配が降り立った。


 二人組の男女がいた。

 男の方は大柄で、袈裟を着ている。女の方は褐色で、踊り子のような服を着ている。二人はそれぞれ、階段を上る青年の顔を見ていた。


 「……不死王が配下の一人、真言の無道。人の行く末を、見せてやろう」


 「不死王が配下の一人、烈火のサタトよぉ。アタシの情熱、受け止めてくれる?」


 真言の無道は、数珠を前に突き出した。物静かな雰囲気は、庭にそっと佇む巌のようだ。固く、大きく、重い。

 周囲に光の玉を浮かせている。光弾は深い夜のような、暗い中にも色とりどりな輝きを内包していた。


 烈火のサタトは、煽情的に四肢を躍らせ、その手のひらから炎を噴き出した。

 舞いは美しいものであったが、近づけば容赦なく焼かれるだろう。ベールの下で、女は妖美に舌を出して唇を舐める。


 「揃いも揃って呪法使いか。次はどんな芸を見せてくれるんだ? ……もっとも、ゆっくりと見ている暇はない。すぐにそこを退いてもらうぞ」


 白銀の髪を靡かせ、青年は剣を抜いた。求道者の言葉も、舞踏家の火炎も、全てこの剣で切り伏せ道を拓くのみだ。

 階段を上り切り、前へ進む。不死王とやらに、その罪を償わせるために。

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