第13話

 居住地区に隣接した商業地区は、商品やサービスの販売を主目的とした地区である。料理店から古本屋、小道具店などが軒を連ねている。

 不夜城はその商業地区の中でも、最大の利益を生み出す大型観光施設だった。アルラトで生まれ育った者ならば一度は親に連れられてくるだろうし、深夜も営業しているのは若者の夜遊びにうってつけだ。


 世界にゾンビが蔓延った夜でも、その城は煌々と星の下に輝いていた。まさに地上の星とも言える光量は工業地区の比ではない。

 明かりが点いている施設が、既にこの不夜城しか存在していないというのも一層目立たせる。なのに人々の声が一言も聞こえないのは、不気味であった。


 (あれが不夜城……)


 メイドは、そもそも商業地区自体に足を踏み入れたことがない。メイドとなる前は金を持たず、メイドとなってもこれまで行く機会は無かった。

 金がない訳ではない。給金は貰っている。しかし、一人きりでは買い物もできないのがこのメイドだ。なにしろ、金の使い方を知らない。実際に買い物をしたことがない。

 簡単な計算は老人から教わった。文字は屋敷で習った。簡単な礼儀作法も学んだ。言葉遣いも。水道の使い方も掃除の仕方も風呂の入り方も知ったのだが、まだ一般的な教養を全て身に着けたという段階ではなかった。


 「でかいよな、アレ。俺も働いてた頃は移動が大変だったぜ」


 不夜城の正門前、適当な家屋の屋上で二人は星明りを見下ろした。

 門の向こうは庭のような広場になっており、何か店のような建物やアトラクションのような施設も見える。

 不夜城の外にも中にも、ゾンビが蠢いていた。正門よりずっと奥には城が聳え、月を背景にしたその影は、恐ろしい魔城という風体だ。


 「正面からは城まで遠いし、裏から回って手っ取り早く忍び込むぞ。……それでさ、どうして着替えたんだ?」


 メイドは白い靴下を脱いでいた。代わりに、足首までの短い靴下を履いている。そのために足の素肌が晒されているのだが、長いスカートはそれを殆ど隠す。

 他の服装に一見変化はない。メイド服はこの夜の間に見違えるほどにボロボロになったが、大きな問題は無かった。


 「き、き、気分転換……です!」


 「あっそ。じゃあちゃんと付いて来いよ、遅れてゾンビに捕まったら助けられんからな」


 本当は下着も変わっているが、メイドが口にすることはない。

 コックは鍵縄を使い、屋上から縄を伝って降りた。




 テーマパークの裏は城壁に守られていた。高い壁が侵入者を防ぐ。

 だがそれは対策済みだ。コックは鍵縄を回して壁の上に引っかけると、静かに上り潜入した。

 城壁に昇ってしまえば、城はすぐそこだ。壁から城へは道が続いている。行く手を塞ぐゾンビも、鍵の掛かった扉もない。コックがそういう道を選んだのだ。


 「わあ……」


 城の中は静かだが、外と変わらず明るい。高い天井にはシャンデリアが配置され、蝋燭がぎらぎらと廊下を照らす。壁にかかっている肖像はどこかで見たような顔の男で、床には赤いカーペットが長々と敷かれている。

 壁際には騎士を模した全身鎧が飾られ、その迫力でかつては客を驚かせ、今はメイドを脅していた。メイドは中に誰もいないことを確認し、安堵の息を吐く。


 「何やってんだお前? 厨房はこっちだ、行くぞ」


 目指すのは厨房だ。テーマパーク内の料理を供給する場所だが、土産物の製造も行っている。

 もし城内で団子を製造しているなら、間違いなくそこだろうとコックは推測した。そこには、人を悪意ある方法で変えようとするはっきりとした証拠もあるだろう。それを確認したかった。


 コックにとっては慣れた道だが、メイドにとっては落ち着かぬ場所だ。ゾンビこそいないが、広さに対する静けさが逆に恐ろしい。

 天井から何か物音がする気がした。だが、何も見つけられない。

 メイドはデッキブラシを手に取り、不安に耐えながらコックの後を付いて行った。入って来た廊下は位置的に二階に相当する。厨房は一階だ。幅の広い階段を下って行く。


 「んじゃこりゃ……」


 厨房は、彼の知るものとは大きく異なっていた。

 工場然とした大きな空間には、幾多のゾンビたちが並んで同じように何かを捏ねている。よく見れば団子を丸めているようだ。緑色のそれは木箱に詰められ、厨房の隅に壁を埋め尽くすほど重ねられていた。


 ゾンビたちは調理に集中しており、部外者の侵入に気付いていない。コックがその調理過程を覗くと、一部以外は普通の団子の作り方だった。そう、緑色の薬液を生地に混ぜていること以外は。

 この薬液が怪しいと睨んだコックは、メイドを手招きで呼ぶ。中の様子がいくら変わろうと、厨房の間取りは同じだ。薬液が保管されているなら、厨房から繋がっている備蓄倉庫に置いてあるだろう。

 その予測は当たっていた。薄暗い部屋には、見たことのない樽がぎっしり並んでいる。


 「うわ……」


 傍に置いてあった樽の蓋を開けると、メイドは顔をしかめた。樽の中身は、緑色の液体がなみなみと詰まっている。例の薬液だろう。

 試しに、デッキブラシの柄を中に突っ込んでみた。樽の奥で何かが引っかかる。持ち上げてみるとそれは、何らかの骨だった。


 「きゃあっ!?」


 予想外の物体に驚き腰を抜かし、それを床に落とす。白い骨は緑色の薬液に濡れて変形しており、人の頭蓋骨のようにも見える。


 「こんなものを……!」


 コックは静かに憤った。このような呪法から作られた薬液を混ぜ、団子として街中の人間に食わせたのかと。罪も無き人々を自我無き肉塊にしたのかと。

 料理とは、人に幸せを与える行為である。選べる限り安全で綺麗な食品を使い、食べる者のことを想いながら美味を作るのだ。

 それは決して、このようなものではない。この薬液は、人々への悪意と料理への不遜で満ちたものだった。許すことなどできない。


 メイドの悲鳴に気付いてか、コックコートを着たゾンビが一人、備蓄倉庫に入って来た。

 メイドは慌ててデッキブラシでゾンビの頭をどつくと、床に倒したゾンビにのしかかり、金の針を首筋に刺す。ゾンビは動きを止め、肌の色が変わっていく。


 「なんだ、滅茶苦茶手慣れてるな……」


 「あ、え、ええと……。つい?」


 恐怖のあまり、つい敵を先に倒す方向に身体が動いた。

 人間へと戻って行くゾンビを、備蓄倉庫の樽の影に隠す。そして二人は厨房から離れることにした。


 「こんなことを始めた黒幕がどこかにいるはずだ。この城の中を一緒に探すぞ」


 来た道を戻り、二階へと帰って来た。途中見た客向けの城内見取り図によれば、三階に王の間とやらがあるらしい。

 まずはそこへ行ってみようかというコックの言葉は、口から出る前に物音によって遮られた。


 どこから慌ただしい音がする。足音と呻き声、ゾンビたちが徒党を成し獲物に襲い掛かる、荒波のような音だ。

 二人は、自分たちが見つかったのかと身構える。しかしそうではなかった。大波は窓の外だ。

 暗い深夜だが、月明かりと過剰なまでの火の灯りが城の外の広場を映し出す。ゾンビたちは広場に入って来た何者かを迎撃しに出て行ったらしい。一つ、広場の建物の上を跳ねまわる人影がある。


 「ご主人様……!」


 「え?」


 メイドには遠くからでも分かる。あの身のこなしと赤い装束は間違いなく、ご主人様だ。いやそもそも、このアルラトでゾンビでない人間など数えるほどだ。


 「助けなきゃ!」


 駆け出そうとするメイドの腕を、コックが掴む。


 「待て、出て行くつもりか!? 金の針があろうと無謀過ぎる。お前もゾンビになるだけだ」


 コックはメイドに、少し冷静になるよう促す。敵とは数が違い過ぎる。こちらはメイドとコック、屋敷の主人を入れても三人。対してゾンビは、見えている数でも百は下らないだろう。


 「そ、そう……ですね。でもあの数、今のご主人様一人じゃ……」


 窓の外の主人は、迫りくるゾンビの群れにも動じていない。軽やかに建物の上を走りながら城を目指しているようだ。だが門は固く閉じられている。

 時間をかければかけるほど不利だ。病は刻一刻と青年の身体を蝕む。いずれは動けなくなり、波に飲まれる。


 「お前、自分の主人が好きか?」


 「当然です! ご主人様は私の命で、ご主人様より大切な物は存在しません!」


 コックの問いかけにメイドは即答する。これまでのメイド生活も、この長い夜の抵抗も、全て全て自らの主人のため他ならない。

 ここでご主人様を助けないという選択は、始めから存在しないのだ。


 「じゃあ、命賭けられるか? お前のご主人様とやらを、この城の中に入れる。お前には危険な役目を任せることになるんだが」


 「ご主人様を助けられるなら、何でもします。命を使ってご主人様を救えるなら、喜んで使いましょう。何をすればいいんですか?」


 「もう一度、城壁に出てくれ。銅鑼が置いてあるはずだ。本来は催し物などで使うものだが、今使えばきっと、ゾンビどもを残らず引き寄せられる! 俺は一階に下りて城門を開く。これは俺にしかできない、だからお前に危険を押し付けることになる。すまん!」


 メイドは頷き、そしてわき目もふらず走り出した。

 かつて命を救われたのなら。その恩を返すものもまた命だ。どれほど危険であり恐ろしい任務であろうと、命を賭して果たすのが忠義であるならば。


 城壁に出てすぐ隣に、銅鑼が置いてあった。大きな円形の金属の板は、木の枠にぶら下げられている。押して場所を変えられるようだ。

 メイドは銅鑼というものを知らない。見たことがないが、音を出すものならきっとこれだろうと推測した。銅鑼を囲う枠組みに、そのバチも備え付けられている。


 急いで銅鑼を、城から広場に向かって城壁の道沿いに移動させる。その音を、より響かせるために。

 広場に近づくにつれ、そのゾンビの多さが感じ取れる。地上はゾンビで埋め尽くされた、地獄絵図だ。ゾンビたちは城壁の上のメイドに気付いていない。


 「ご主人様……」


 呟きは虚空へ消える。メイドの意識もまた、ゾンビたちには向いていなかった。見ているものは自らの主人だけだ。

 月光の下に、踊るように跳ねる銀髪の青年。城へ入る経路を探しているのだろう。まだ距離もあり、彼の目はメイドを捉えない。

 腰に下げた剣は、そのままだった。ゾンビを相手に剣では殺すことができない。しかし抵抗にも使わないのは、彼の誰も傷つけまいとする心根だろうか。メイドはより敬意を深めた。


 深呼吸をする。夜の冷たい空気が肺に充満する。眼下の緑色の海を見る。

 この銅鑼を鳴らせば、ゾンビたちは一斉に自分に寄ってくるだろう。メイドは恐怖する。彼らはこの城壁を登ってこれないかもしれないが、もし可能だとしたら。一瞬にして波に飲まれるかもしれない。


 三つ編みのメイドはただの人間だ。彼女の主人のような、超人的な強さを持っていない。正しさを求める心も、恐怖を捻じ伏せる精神もない。

 それどころか持ち前の不運は、じっとりとメイドの首に手を掛けようとする。特に今日は厄日らしい。

 だから恐れる。ゾンビの群れに追われることを、噛まれることを、自分の意識が消えてしまうことを。悪い考えは止めどなく溢れる。嫌な未来はきりがなく想像される。


 唯一、メイドは自分の主人のことを考えている間だけは違った。

 恐怖する心を、固く食いしばった歯で耐えられる。痛みを、疲れを、逃げ出したくなる気持ちを無視できる。少しだけ、強くなれる。


 降り積もる雪の中、差し出された手を覚えている。優しく語り掛けてくれた言葉の一つ一つを覚えている。頂いた大切なものは、今でも心の中で温かさを伝える。

 多くのものを貰った。返しきれないほどの恩を抱いた。示さなければ。私のような塵芥を拾い教育してくれた、ご主人様の選択が間違いでないことを。

 メイドの身体は、この世界でちっぽけなものだ。それでも決意は、輝く星のように。


 彼女はずっと気に病んでいた。メイド業がろくにできない自分は何も主人に貢献していないのに、のうのうと生き続けている。

 同僚のメイドたちは訝しむ。自分たちの主人は何を考えて、あのような汚いネズミを拾って来たのかと。

 その声は三つ編みのメイド自身を追い詰める。主人の考えは自分には知れないことだが、決して主人のことを愚かだとは言わせたくない。いくら頑張っても空回りする毎日のうちに、メイドはこんな瞬間を待っていたのかもしれない。


 「今、お助けします!」


 この銅鑼の音は、号砲である。

 主人を守らんとする、メイドの心である。

 己の不出来を許せぬ、少女の意地である。


 メイドはバチを大きく振りかぶると、その銅板に全身の力を以て叩きつけた。鼓膜を破壊するような爆音が商業地区中にまで響き渡る。

 少女の叫びは間違いなく、主人の耳にまで届いた。

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