第12話
二人の隣にいるのは、灰色のネズミだ。直立し、工場長だけを見つめている。
その姿を見て、工場長はさらに動揺を深めた。
「あ、あんたっ……!」
明らかに様子がおかしい。今にもメイドを喰わんかというような覇気は消え、声量も常人程度まで落ち着いている。
ネズミは、宥めるような口調で続けた。
「その娘は、自分の強さを見せた。こんな場所からは逃がしてやれ。お前の願いにこの娘を付き合わせる必要はないだろう。ゾンビに拘ることもだ」
「でも……! 全部、あんたのためだよっ! ゾンビを使えば船の完成も近づく! 賃金も払わなくて済む分、予算を潤沢に使えるんだ! 労災だってないしぃ!」
「ハナから俺は、そんなこと望んじゃいないんだがな。どうせ何言っても止まらないんだ。ならせめて、人道的な手段で夢を叶えてくれはしないか。そっちの方が、俺も嬉しい」
工場長は膝を折り、四つん這いの状態でネズミと話している。それでもネズミとの距離は埋まりきらない。
そんな二人は、メイドそっちのけで言い合う。旧知の間柄のように見えるが、ネズミと怪物が友達というのは奇妙な話だ。
(え、何これは……?)
メイドは困惑して立ち尽くす。構えていた銃もデッキブラシも、既にその先を地面に向けていた。
ネズミはそれを察してか、一人離れた彼女に声をかける。
「説明が必要だな。俺はコイツの旦那なんだ。黙っててすまない」
「旦那ぁ!?」
「工業地区の繁栄を願って悪魔と契約したが、騙されてこんな姿にされちまった。元は人間だよ」
「悪魔と契約ぅ!?」
説明されても突飛な経緯は、上手く腑に落ちない。しかし目の前の光景は真実だ。
怪物は涙を流し、ネズミを大事そうに持ち上げている。ネズミもまた、女房の太い指に身体を預けていた。
「ウチは……。ウチは、旦那の呪いを解くために色々したんだよ。取り寄せられる限りの解呪の道具を探したさ」
「お前が持ってる聖なる油瓶、それも俺にとコイツが三本用意したものだ。だが無意味だった。だから残りの二本、コイツの部屋から勝手に拝借してお前にやることにした。許してくれアイシャ」
「どうせ邪魔なもんだったんだ、好きにしなよ。はぁ、ウチはてっきり、このガキが勝手にウチの部屋に忍び込んだのかと……」
あれほど暴れて豪快だった工場長が萎れている。身体全体が小さくなったようにも錯覚してしまう。
残りの瓶は一本。大切にしようとメイドは思った。
残る疑問は話しやすいネズミに聞くことにする。
「えっと、ネズミさん。それで夢とか船とかって一体……?」
「ん? ああ、それは飛行船のことだ。コイツ、飛行船を造ってこの街から出ようとしてたんだ。俺の呪いを解く方法を探しに行くために、な」
まさか工場長にそんな他人想いの夢があるとは思わず、メイドはつい女の顔を見てしまう。
流れる涙を拭おうともせず、ただ静かに微笑んでいた。怪物はもう、そこにはいない。
「これは俺の望みじゃない。俺がこうなってしまったのは、身勝手な欲望を叶えようとした代償だ。欲に目が眩んだ者には当然の末路さ。だから呪いを解く必要はないと、何度もコイツに話したんだが……」
「馬鹿、放置なんてできるわけないさね! あんたは身勝手なんかじゃないよ。ウチに少しでもいい暮らしをさせようと、自分の身体を張ったんだろ!」
ネズミは何も言い返さない。どうやら、図星であるようだ。
先ほどから予想外の連続であるが、驚きとは別に、メイドはこの二人に言いようのない感情を抱いた。
二人の間にある信頼、優しさ、温かいもの、そういった繋がりを言葉にできないながらも感じる。伝播してくるものがある。この心を、感情を一体何と言うのだろう。
ごく短い言葉でそれは表せる。だが、メイドには分からない。
本来は当たり前のように得られるもの、幼いうちから与えられ、感じられるもの。悲しいことに、歪な生まれの彼女には無縁だった。
「…………?」
気が付けば、涙が一筋流れていた。
メイドはそれを疑問に思いつつ、軽く手で払った。
心がどうしてか温い。
「とにかく迷惑をかけたな、メイド。俺の女房は、目的のためには手段を選ばない大馬鹿なんだ。もう行ってくれ。振り返らず、お前の為すべきことをしろ」
「大馬鹿ってなんだい、もう。……悪かったねメイドちゃん。勝負にはウチが勝ったけど、あんたは行っていい。精々祈っておくよ、あんたたちがこの事件を解決できることをね」
二人は優しくメイドに語り掛ける。
メイドはスカートの両端をつまみ、深く礼をした。
「ありがとうございます……。私、行きます。どうかお二人とも、お元気で」
この場にもう用は無い。メイドは踵を返し、出口へと向かう。
工場のゾンビたちはメイドを見送り、工場長もまた肩にネズミを乗せたまま大工場へ歩いていった。
ずいぶんと散らかってしまった。工場の壁はいくつも大穴が開き、地面には陶片やら鉄片やらのゴミがまきびしのような罠の如く撒かれている。
石像も倒れ、腕が根元から砕けて折れていた。全身にヒビも入っており、もう修復どころの話ではなさそうだ。
道の脇でろくろを回す老人ゾンビを余所に、工場長は月を見上げた。
今宵はいつになく月がよく見える。
「…………あ」
「どうした?」
何かを思い出した工場長に、ネズミが問いかける。
工場長は軽く頭を掻く。
「不夜城が怪しいって話するの、すっかり忘れてたわ。ま、いっか」
ポーチの中で何かがノイズを出す。通信機が反応している。
確かこのボタンを押せばいいんだったっけと、メイドが教わった操作を思い出す。
「あー、聞こえるか? メイドちゃん」
「はい、聞こえます!」
遠く離れた人とも会話ができる。メイドは、通信機械というものに感動した。
「結構。そちらはどうだ?」
「工業地区にご主人様がいたんですけど、この騒動は工業地区と関係ないみたいで……。またどこかに行っちゃいました」
行き先は分からない。これからどうすればいいのか、どうやって薬を届けるべきか、彼女は困っていた。
「そうか。では、早急に研究所まで戻って来てくれ。かなりヤバいんだ。ゾンビ化を解除する試作品も完成したから渡したい」
博士の声に焦りを感じる。どうやら切羽詰まっているらしい。
メイドは了承し、駆け足で研究所へ向かった。
大きな椀を乗せた建物は、既にゾンビの大群に扉を叩かれていた。
ガラス扉は見た目以上に強固なのか、凶暴な群衆の攻撃を寄せ付けない。だが正面入り口は完全に塞がれている。
メイドは彼らに気付かれぬよう、こっそりと裏手へ回った。
裏口にゾンビはいなかった。しかし、裏口の扉は既に破壊されている。メイドは慌てて研究所内へ飛び込んだ。
研究所の中は相も変わらず静寂を保っている。扉を破壊した存在は発見できない。奥へ行ったのなら、博士と鉢合わせることになる。
メイドは銃とデッキブラシを握った。いつでも戦えるように。
通信機は無言のままだ。メイドが博士の研究室に辿り着くと、ここの扉もひしゃげて取れていた。中には二人分の人影が見える。
「博士っ!」
倒れていたのは、橙色の髪をした白衣の女性と、黒髪で給仕服を着た男だった。男の方は健全な肌色をしていたが、博士の方は手遅れだったようだ。
首筋が緑色に変色している。メイドが容態を調べている間にも、どんどんと色が全身へ拡大する。
「メイド、ちゃん……。これだ、これを、首に……」
掠れた声で、博士がメイドに、その手の中にある物を渡す。
細く短い金の針。裁縫道具か何かのようにも見えるが、糸を通す穴はなく、他に装飾などもされていない。
「博士……!」
「が、ぐぅ……!」
苦しそうに呻いたかと思えば、博士の顔が全て緑色に染まる。目が血走り、尖った犬歯が妖しく光った。
自我を失くした博士は、目の前にいた少女に噛みつこうとした。咄嗟に、メイドは彼女の口にデッキブラシの柄を挟み込んだ。
柄も噛み砕いてしまいそうな咬合力だが、なんとか攻撃を防いでいる。
「これは、えっと……つまり!」
メイドは、手中の金の針を見る。ゾンビ化を解除する試作品ができたという博士の言は、このことなのだろうか。
ゾンビ化する直前、彼女は首に対しての使用を示唆した。このまま針を首に刺せばいいのか、迷っている暇もない。メイドは博士の首に、恐る恐る金の針を押し込んだ。
博士の身体がびくんと跳ねると、金の針はするりと抜けた。そして緑色の体色は、刺した箇所から波紋が広がるように元の色に戻って行く。
ほどなくして、博士は目覚めた。意識を取り戻し、身体を起こす。
「……成功ってところか。やったなメイドちゃん、助かったよ」
「博士、これは……」
完全にゾンビと化していた人間は、またかつての姿を取り戻した。この金の針は、その役割を過たず果たしたのだ。
「その針は、ゾンビと化す呪いを除去する道具だ。何者かが企んだこのふざけた事態に対抗する、唯一の光。間違いなく君の役に立つ」
「うぅ……」
メイドの背後で、男が起き上がる。意識を取り戻したらしい。
彼は自分がどうしてここにいるかも分からないといった顔で、不思議そうに辺りを見回している。
「彼は、ここに入り込んで来たゾンビだ。完成したばかりのその針を打ち込んだのはいいんだが、私も噛まれてしまってね。自分に針を刺す前に、力尽きてしまった」
「……あれ?」
そのコックコートの男に、メイドは見覚えがあった。向こうも思い出したのか、距離を詰めてくる。
「お前……あの時のメイドか!? 無事だったのか!」
「あなたは、私を庇った……!」
居住地区でメイドを救い、ゾンビ化に苦しみながらも最後まで囮となった。男はゾンビとなり、近場であったこの研究所を襲ったのだ。
ここで再び出会うのも、偶然ではない。
「博士、ですか? 俺を助けてくれたんですね。ありがとうございます」
男は長い調理帽を取り、博士にお辞儀した。礼儀正しいが、彼女はお礼などに興味はないようだ。
「私は博士、この研究所の主だよ。君はどこぞのコックか?」
「はい。以前まで不夜城で働いてました。独立して店を構える予定だったんですけどね……」
「商業地区の不夜城! それは都合がいいな!」
博士は頷く。何が都合がいいというのか、メイドたちは首を傾げる。
彼女は研究室の奥へと姿を消すと、すぐに戻って来た。携えた木箱を来客用テーブルの上に乗せる。
「メイドちゃん。その金の針を作るにあたって、人間をゾンビ化させる呪術というものを調べる必要があった。ゾンビそのものを捕まえられればいいのだが、私一人ではそれもリスクだ」
であればどうしたのか。答えは、木箱の中に。
「話を一度変えよう。メイドちゃんは屋敷で、メイドたちがひとりでにゾンビ化したと語ったな。ゾンビ化の現象は、このアルラトで同時多発的な発生が確認できている。ゾンビ化には、ゾンビに噛まれる以外の条件があるんだ」
博士は辿り着いた結論の蓋を開ける。小さな木箱の中には緑色の団子が入っていた。
周りに集まったメイドとコックも、その中身に注視する。
「これ、私が貰ったお菓子ですよね? 博士、まだ持ってたんですね」
「……ああ、都合がいいってそういうことか。確かにこりゃ、あの不夜城が配ってた試供品の菓子に他ならない」
コックは合点がいったという顔をする。メイドにはどういうことか分からない。
「この団子が、新製品の試供品として街中に配られたのが今日の……いや、もう昨日か? とにかく今朝から昼にかけてのことだ。このゾンビ騒動も同日の、昼から夕方にかけて大規模に発生した。メイドちゃん、コック君、この団子を食べたかい?」
「た、食べてません……。せっかく頂いたのに、落っことしちゃいましたぁ」
「俺も食べてませんよ。甘い菓子は好きじゃない」
メイドは夕方のことを思い出す。団子を落としそれを追いかけ、裏路地の壁に激突してしまった。皿を割った次の不運だった。
不運だらけの毎日に嫌気がさす。特に今日は、身体中が痛くてこれまでにないほどの疲労を感じる上に、何度も命の危機に晒されている。
「だろうね。食べていたらメイドちゃんの肌はとっくに緑色だ。コック君の方は他のゾンビに噛まれたのかな? うん、はっきり言おう。この団子には、食べた人間をゾンビ化させる効果がある。実に悪辣だよ」
その言葉に、メイドの背筋がぞっと震える。危うく食べてしまうところだった。そして、一つのひらめきが落ちてくる。
「あ……! そっか、皆これを……」
メイドは皿を割った。皿洗いの代わりに庭の清掃を命じられ、メイドたちと同じ休憩時間を過ごすことはなかった。
昼下がりの休憩には、菓子を食べることがある。今日の菓子は、屋敷に直接送られてきた試供品だ。それが団子のことだとしたら。
「その反応、屋敷のメイドたちはこれを食べたかもって感じだね。私も解析によりこの団子に呪術の細工がされていることを確認した。それを元に、呪術の逆式……呪術を打ち消す式を組み立てて退魔の針に内蔵。それが機能したということは、全て正しいってことだろう」
博士もまた団子を食べていない。昼はメイドが持ってきたカステラを食べたため、団子は明日食べようと思っていた。メイドに分けたのは一部だ。
だがそれが結果的に、呪術の解明と対抗策の誕生に繋がった。博士は心の中で、昼にタイミングよく訪れてくれたメイドに感謝する。
「黒幕を倒せ、メイドちゃん! ゾンビ化の呪術の中心となっている人物がいるはずなんだ。それさえどうにかしてしまえば、街中のゾンビは人間に戻れる!」
博士は顔をメイドに近づけ、若干食い気味に喋る。
「この団子を製造しているのは、コック君の言う通り不夜城だ。商業地区にある、城を模したテーマパーク。メイドちゃん、行ったことある?」
「ありません! そういうのがあるっていうのも初めて知りました!」
「有名どころなんだがな……。知らないっていう奴は初めて見たぞ」
不夜城というのがテーマパークの名だ。その名の通り、夕方の開園から深夜を通し朝まで営業しているのが特徴で、園の最奥に鎮座する大きな城は本物ではなく客向けのレプリカだ。
「正真正銘、この悪夢の夜の黒幕だ。そこのコックを連れて行くといい。事件の解決は君のご主人サマの手助けになる。きっと会えるさ」
「俺を……? ああ、恩はある。じゃあやるしかないか。不夜城までの道から中の従業員用の通用口の場所まで、俺が案内してやるよ」
メイドは頷いた。ご主人様が現れるとしたら、間違いなくそこだ。
こんな夜を終わらせに行こう。もううんざりだ。自分はただご主人様に会えればいい。
「私も後から行こう。その金の針に次ぐ、ゾンビに対する強力な武器を開発中だ。少し時間が掛かるかもしれんがね」
部屋を出ようとする二人だったが、メイドは突如として動きを止めた。博士の元へ、そっと歩き出した。
そしてコックに聞こえないよう、そっと耳打ちする。
「す、すいません……。新しい下着と靴下、貸してもらえませんか……? えっと、理由はその、あまり聞かないでもらえると……」
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