第11話

 メイドの身体は無造作に放り投げられ、三秒ほど滞空した後に土の上を転がった。痛みに耐え、息を吐き出しながら曇天の夜空を見る。

 周囲には工場の壁が、正面奥には大工場が。ここは、メイドが大工場に潜入した場所と同じ所だった。大工場の壁際に、半開きの扉が確認できる。


 地下への出入り口からメイドを引っ張り出した工場長はそのまま、地に倒れ伏すメイドに向かって歩いて来る。

 メイドは仰向けのまま両腕で必死に後ずさりするも、足に力が入らない。震えて立ち上がれなかった。


 (し、死んだ、これ)


 全身からどっと汗が噴き出る。心臓がまた高鳴り始める。メイドは今にも気を失ってしまいそうなほどの緊張の最中にあった。

 対して工場長は平然としている。追いかけられた時ほどの圧はない。時間を置き、怒りは徐々に収まっていった。


 「あんた────」


 「ひいっ!?」


 工場長が声を出すだけで、メイドの身体が怯えて跳ねた。

 死刑宣告でもされるのだろうと身構え、恐怖のあまりに目を瞑る。


 「見込みあるねぇ!」


 あっはっはっはと、女は声を上げて笑う。その豪快な笑いっぷりに、もう殺意の含みは消えていた。

 メイドは瞬きをすることしかできない。何が起こっているのか、理解できなかった。


 「まあ、そう怯えんなさんなって。ウチはね、もうあんたを殺すつもりは無い。あんたが焼却場から出てきたことに心底驚いてんのさ。いやまったく、気に入ったよあんた。ここで一生働いて行きな!」


 「そ、それも嫌ですっ!」


 ヘッドハンティングは即座に断られる。メイドにとって、今の主人以外に仕える選択肢は欠片もない。主人への裏切りは死より疎ましいことだ。


 「わ、わた、私はっ! ご主人様について行きます! 例えそこに、どんなにゾンビがいたとしても! 私はご主人様のメイドなのでっ!」


 工場長は目を細めにんまりと笑った。まるでその答えに、さらに満足したように。

 そして、急にその場に座り込むと、懐から小さな升を取り出し地面に置いた。


 「じゃあ、勝負をしよう! あんたの忠義に敬意を表して、力づくでない、公平な勝負さ。座りな!」


 逃げることはできない。この声を無視して走り出しても、捕まるのは一瞬だ。

 メイドは意を決し、工場長の前に升を挟んで座る。


 「いいかい、あんた。あんたの主人について行くってこたぁね、それはこの事件の解決を目指すってこった。きっと、単純な実力だけじゃ困難な道のりさね。何事にも運ってのは必要だ。どんなに強くて立派でも、不運で死ぬことはある」


 工場長は胡坐をかきながら、目の前のメイドを睨みつけた。何かを見定めるような、舐めまわす目つきだった。


 「だからこれは、単純な力づくで決まる勝負じゃあない。あんたは弱くて細くてすぐ漏らすガキだけど、根性はある。それは認めるよ。で、問題は次だ。あんたがこの事件を解決するに相応しい幸運の持ち主かどうか、今決めてみようじゃないか!」


 工場長の手に握るものは、三つのサイコロだった。

 メイドは絶望した。これから何を行うのか想像がつく。そして、それは自分にとって最も分の悪い勝負だと理解した。


 「ルールは簡単。互いに三つのサイコロを交互に振って、出目の多い方が勝ちだ! ウチが負ければ、あんたをここから逃がしてやる。あんたが負ければ、ここで働いて貰う! 人生懸かってんだ、しゃっきりしな!」


 そうは言われても、メイドは汗しかかけない。今更勝負のルールを変更したり、逃げ出したりもできず、喉を鳴らした。

 作業員のゾンビたちが現れ、二人を囲み始める。メイドが負ければ、彼女を捕まえてゾンビにするためだ。


 「おおっと、そんな大勝負の前なのに自己紹介もまだだったね。ウチはここの工場長をやってるモンだ。声で人を動かす不思議な力があってね……。工場の作業員の奴らに言うことを聞かせてたんだが、今はゾンビどもの支配に一役買ってるっつーわけ。安心しな、あんたが負けたらあんたにも使ってやる。今の主人の事なんてすっかり忘れちまうさ」


 次はお前の番だと言うように、工場長はメイドに目くばせした。

 メイドは声が震えそうになるのを必死に抑えながら、自らの素性を改めて明らかにする。


 「わ、私は、お屋敷のご主人様のメイドです。ええと、ご主人様のためなら何でもしますっ! 他のメイドと区分するなら、その……。メ、メイドちゃんとお呼びください……」


 博士に付けられた仇名であったが、自分から名乗ると恥ずかしい。メイドは全て言い切ると顔を赤くして伏せた。

 工場長の反応はその声でしか窺えないが、再び大きな声で笑っている。上機嫌であることは疑いようがない。


 「いいね、あんた! メイドちゃん! ちゃんだって、自分で! ぎゃはははは! ていうか、自己紹介の内容薄すぎだろ! 他に言うこと無いのかよお前! あっはっはっはっは!」


 (やっぱり後半部分は言わなきゃよかったー!)


 そこまで笑われるとは思っておらず、メイドの顔は更に赤くなる。本人的には真面目に自己紹介したつもりなのが、ますます工場長の笑いを誘っている。

 貧民窟の生まれであるとか、ご主人様に命を救われた身であるとか、自己紹介のしようはあった。だが、彼女はでき得る限り影でありたいと思っていた。印象付けをしたくないのだ。


 自分はあくまでメイドである。同じ主人に尽くす駒の一つである。屋敷のメイドという群体の中の一つに過ぎない。だから個性は要らない。

 元より、自分は親も分からぬ捨て子の身分。そのような者がメイドとあっては、主人の格も誤解されかねないだろう。だからなるべく、自分という存在を主張すべきではない。


 名前を名乗ろうとは思わない。主人から受け賜わった、自分を定義するもの。それを口にすれば、メイドと認識されなくなる。

 本当に大切な物は誰にも見せないように。彼女にとって一番大切なものは、彼女の胸の内にのみある。他の誰かにとっては、名無しの自分でいい。

 などと、この三つ編みのメイドはそのように考えていた。


 そんな彼女の、一番大きな誤解。それは、自分が既にただのメイドでないということだ。

 工場長からすれば、彼女の持つ主人への忠義は、これまで他のメイドに見たことがないほど厚く思える。強靭で固く、建材にめり込むほど深く打ち込まれた杭のように。

 強い意志を持つ者。それは、工場長の好みだった。


 「はじめよう、メイドちゃん! あんたの人生賭けたゲームをさぁ!」


 工場長の右手から、三つのサイコロが零れる。木の升はそれを受け止め、中で運命が廻る。結果はすぐに出る。

 サイコロの目はそれぞれ、四、四、五。全体的に高めと言える。


 「四が二つ、五が一つ、合わせて十三! しっかり見たね? あんたは次、十三以上の出目を出さなきゃいけない。ほら、やってみな!」


 出目を二人で確認した後、升からサイコロを取り出す。今度はそれらを、メイドが握った。

 メイドは三つの正六面体を、手のひらに食い込むほどに力強く、両手で祈るように包む。運だけが決める戦いに、介入の仕様は無い。だからただ懇願した。

 どうか、六が出ますように。両手を解いた時、右手に乗ったサイコロは全て、メイドの手汗でぐっしょりと濡れていた。


 「でええぇぇい!」


 彼女の運命は投げられた。小さな升の中で互いにぶつかり合い、三つのサイコロは揃って評決を告げる。

 それは残酷に、あるいは既に定まったものをなぞったか、綺麗にゾロ目を見せた。最も最悪な形で。


 「一、一、一! ピンゾロォ! あっはっはっはっはっはっは!!」


 メイドの視界が暗転しそうになる。遠のきかける意識を、すんでのところで現実に引き戻す。こうなることは、始める前から察していた。

 それでも、少しは期待した。ただの運なのだから、六が三つ揃う可能性もあると。夢は儚く散り行き、期待は裏切り絶望へと転化する。


 「すっごい運だねぇ! あんたはここまで! 大業を成すには、運が悪すぎだ!」


 工場長はメイドに指を差し、ゾンビたちに命令する。

 二人を囲んでいたゾンビの群れは、一気にメイドに向かって殺到した。


 (準備はもう、済んでる!)


 メイドは自分の運の悪さを信頼している。どうやってこの場を切り抜けるか、ずっとそれを思案していた。

 左腰から銃を引き抜き、背中からデッキブラシを取り外す。狙うは自分の真後ろにいるゾンビたち。


 放たれたトリモチはゾンビの勢いを削ぎ、そこにデッキブラシで突撃する。ゾンビの包囲網は、一瞬の電撃的な行動で穴が開いた。

 目の前の道をまっすぐ走れば、工業地区の境、自分が来た場所から帰れる。だがそう上手くは行かないものだ。道中の工場から、また新たなゾンビが出てきて行く手を遮る。

 後ろからは、ゾンビの大群が狭い道にぎゅうぎゅうに詰まる勢いで追って来ていた。工場長もゾンビが邪魔で動けず、後方からの指示のみに留まっている。


 (追い付かれる……! なら、これしか!)


 メイドは後方に向け、青い瓶を放り投げた。ネズミから貰った聖なる油だ。

 それは放物線を描き、列の先頭から少し後ろ辺りに着弾。瞬きをする間にも、青い聖炎がゾンビの群れに燃え広がった。

 ゾンビたちは炎に巻かれ、苦しそうに呻き出す。列の中央から後方のゾンビはその炎に怯え、メイドを追うという命も忘れて真逆、大工場の方へと逃げ出した。


 「おい、何だよこりゃ! それ、ウチのもんだろ! いつの間にあんたが持ち出したんだい!?」


 メイドに向かって流れていたゾンビの列は今や逆流、工場長は流れに逆らにながら一人メイドに対して詰め寄って行く。

 聖なる青い炎に包まれ、地面を転がっているゾンビたちを跨いでいく。炎は、人間である工場長を焼くことはない。痛みも熱も感じることはないのだ。


 「お前たち、逃げるんじゃないよゾンビのクセに! ウチの言うことが聞けないのかい!? ああクソ、自分でやりゃいいんだろ!」


 ゾンビたちは、自らを焼く炎を見て動揺し統率を失った。問題はここからだ。

 メイドはこの怪物に対する対抗策を持たない。どう足掻いても、力で勝ち目はない。


 それでも、諦めることだけはしなかった。銃とデッキブラシを構え、逃げ切るチャンスを図る。倒す必要は無い。逃げきれれば勝ちなのだ。

 恐怖はある。手足は震えている。汗は流れている。緊張で今にも吐きそうだ。

 結果なんて分かっていた。逃げ切ることはできない。自分はここでゾンビにされると。それでも。それでも、彼女は抵抗する道を選んだ。




 三つ編みのメイドは、不運である。

 しかしそれは時に、彼女の味方をする。


 大工場の方へと駆け出したゾンビの大群は、偶然そこを通りすがった一団とぶつかった。

 その一団は、大工場の中で建造していた巨大な像を運んでいる。像の台座の下にそりのような木の構造物が敷かれ、滑るようにして運べるようになっている。

 そりの両端にはゾンビたちが配置され、その力で像を引きずっていた。そのゾンビたちが、突如として統制を失い、わき目もふらず逃げ出したゾンビの大群と接触。


 像の中身が空洞であり、そのサイズの割に軽かったこともまた一因だ。引手が押し倒され、そりが揺れ、そりと固定された像もまた大きく揺らぐ。

 バランスを失った像は倒れ始めた。肘を曲げた右腕を前方に突き出していたポーズだったが、その右手が大工場の壁を抉り始める。

 勢いがついて止まらない。大きな裂け目からは、像の手により様々な中身が溢れ出す。下方の道に、ボルトやナット、作業棚やそこで作業していたゾンビそのものが吹き飛んでいく。


 像は最後に、ある一室を抉りぬいて倒れた。その部屋とは、以前メイドが身を隠した、陶器だらけの部屋だ。

 指先に引っかけられた陶芸ゾンビ、ろくろを回す老人はその姿勢のまま綺麗に、メイドと工場長の緊迫した間に文字通り割って入る。


 「え?」


 突如として現れた乱入者により、メイドは工場長以外に意識を向ける。工場長の後方で、巨大な像がゆっくりとその身を伏せていた。

 地響きと像が砕ける音に、工場長も何事かと真後ろを向く。


 「あだっ!?」


 空から落ちてきた、小さな壺がメイドの頭にぶつかって割れた。像が吹っ飛ばした陶器の山が、そのまま陶器の雨あられとなり二人に降り注ぐ。


 「あっはっはっは! 痛そうなの当たってんなぁ!」


 メイドが頭を押さえうずくまる姿を、工場長は笑って見ていた。小さな陶器程度、工場長の巨体にぶつかってもまるで効いていない。

 だが最後に降って来るものは、メイドを殴りつけた壺とは比にならないほど大きい。


 「ははは、あっはっはっは────もがぁっ!?」


 メイドがその身をすっぽりと収められた大きさの甕。それが工場長の頭にぶつかり、あろうことか頭を丸ごと覆ってしまった。

 衝撃でさしもの工場長もふらふらと揺れる。しかし倒れることはなく、もがもがと反響して意味の分からない言葉を叫ぶ。


 「んごがぁーっ! もごもがぁ!」


 「だ、大丈夫ですか……?」


 互いに敵同士であり、工場長が行動できていないうちに逃げてしまえばいい。メイドはそれを理解していながら、つい声をかけてしまう。

 メイドの声など、甕の中には届かない。工場長は仁王立ちで体勢を立て直し、そして思い切り地面に頭をぶつけた。


 「悪運もっ! 突き抜ければ強みだねぇ!」


 甕は、まるで卵の殻が砕けるようにその破片を飛び散らせる。

 額から血を流しながら、工場長は大きな口で不敵に笑った。流血と相まった顔は、怒りの形相よりも恐ろしく見える。


 「だが……駄目だ。決めごとは絶対だよ。あんたはここで働くんだ!」


 工場長は歩き出す。血などお構いなしに、メイドに手を伸ばす。

 ろくろを回していた老人は脇道にどついて飛ばされた。

 工業地区がどうなろうと、決して目の前のメイドを逃がさないという執念。それほどまでに怪物は、この少女が欲しくなった。


 「……そこまでにしておけ、アイシャ。もう十分だろう」


 すぐ傍から、声がした。怪物の名前を知っている。

 この場で唯一、工場長を止められる声だった。

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