第7話
漆黒のベールが広がる空、煌めく無数の星々が瞬き、そよ風吹く地を照らす。
アルラトで最も大きいとされる工業地区は、相も変わらず工場の煙突から白い煙を噴き出していた。
工場は計画的に建設され、道は工場の間を碁盤の目状に繋がっている。
見渡す限り一面の工場と、そこから伸びる煙突だけがこの地区だ。
工業地区の中には、一際高い建物がある。それもまた工場だが、他とは様子が違う。
三つ編みのメイドはそれを、工業地区と居住地区の狭間、関係者以外立ち入り禁止のフェンスの外から眺めていた。
「ご主人様……」
メイドたる彼女は博士から装備を貰い、いざ死地に赴かんという覚悟を持って立っている。
彼女の左腰にはホルスターに入った銃が、右腰には小物を入れるポーチが、背中にはたすき掛けをした紐からデッキブラシが固定されていた。
夜間に、メイド服の一部である白いエプロンはよく目立つ。だがゾンビの知覚は主に嗅覚と聴覚に頼っていると博士は言った。
ならば、多少目立った格好でも問題はない。ただ音を立てないように移動すればいい。
(ご主人様は、お薬が無くなって苦しんでるかもしれない……。ご主人様が最後にお薬を飲んだのは多分昼前、早く届けないと!)
彼女の仕える屋敷の主人は、特別な薬を飲まねば体調を崩す。
今のメイドの仕事は、その命に代えても薬を渡すことだった。
フェンスに手をかけ足をかけよじ登る。フェンスの上には侵入防止のトゲが付いているが、それは無視して引っかからないように注意し、そっと工業地区へ降り立つ。
「あいてっ!」
フェンスから上手く地上に着地できず、足を滑らせ落下する。
幸い近くにゾンビはおらず、その音と声を聞く者はいなかった。
(危ない危ない、いきなり失敗するとこだった……)
メイド服についた土埃を払い、メイドは近くの工場を覗くことにする。
工場はどれも、壁が半分ない開放的なものであったり、扉に鍵が掛かっていなかったりと潜入自体は容易かった。
工場の中で動き回るのはゾンビだけだ。黄色いヘルメットを被り作業服を着ていることから、元々工業地区で働く者だったのだろう。
しかし彼らは、ゾンビになっても働き続けている。自我があるようには見えずとも、ベルトコンベアから流れてくる物を組み立てたり検品しているように思えるのだ。
(博士の言う通り、ゾンビがまとまって動いてる……。なんでこんなことしてるんだろ。分かんないや)
この工場内部では、機械類の物を取り扱っているようだ。メイドには縁遠く、それが一体何に使われる物なのかは不明だ。
壁には『安全第一 生涯労働』と書かれたポスターが貼ってある。長いこと貼ってあるらしい、茶色いシミで汚れていた。
ゾンビの作業員たちは仕事に夢中で、メイドに気付く様子はない。
この工場には他に誰もいなさそうであるし、メイドも静かに退室し違う工場を探すことにする。
工業地区の中心に進みながら、途中あるいくつかの工場を見て回る。
鍛冶を行うような熱い工場、謎のハンドルを作業員が円形になりひたすら回し続ける工場、石を彫り続ける工場と多種多様な工場がある。
だがそれらのどこにも、目的の人物の姿も気配もない。
ただ無心に仕事を続けるゾンビたちの姿に、メイドは居住地区で感じたものとは別種の恐怖すら覚える。
こんな夜更け、もうとっくに退勤時刻を過ぎているはずだ。彼らは朝からずっと、途中でゾンビと化したままここにいるのだろうか。
(ゾンビだから、疲れとか感じないのかな? ん、あれは────)
遠くの工場の屋根の上に、何か黒い影が動くのが見えた気がした。
彼女は直感的に、あれがご主人様だろうと断定する。その影は工業地区の中央の、大きな建物に向かっていったようだ。
建物は大きい。縦も横も、間違いなく研究所より高い。メイドがこれまでに見た建造物の中で最も大きい存在だった。
夜にも関わらず備え付けられた無数の窓からは光が漏れ、巨大なシリンダーか何かが動き続け、建物全体がまるで生きているように見える。
灰色の、大きな大きな怪物。
なんの根拠もないが、とにかく追いかけようと工場に挟まれた道を歩いて進む。途中、金物が山積みに積まれているのを見つけた。
鍋やらヤカンやらが放置されている。捨てられているのかそうでないのかは分からないが、問題なのはその山の一番下だった。
「え……?」
ひっくり返った小さな鍋の下に、ネズミが挟まっていた。
灰色のネズミは上半身だけを鍋から出し、前足をばたばたさせている。
(可哀想に……。この子、このまま出られなくて死んじゃうかも)
メイドは山を押さえながら、なんとか小さな鍋を持ち上げる。
少しの隙間が空き、ネズミはにょろりと飛び出していった。
「お前、いいやつだな」
「うわ喋った!!」
驚くべきことに、ネズミは二足歩行の人間と同じく立ち上がった。そして人語を流暢に扱う。
メイドはあまりの衝撃に持ち上げていた鍋から手を離し、金物の山がその衝撃によって崩れ始める。
金物同士がぶつかり転がる音が盛大に空気を震わせ、静かな夜に思い切り自己主張をしてしまう。
近くの工場からは作業員ゾンビが次々に顔を覗かせ、あっという間に大勢が集まってくる。
ネズミは一目散に逃げだした。二足歩行のまま、腕を振って走り去っていく。
「そうやって走るの!?」
ゾンビが道を塞ぎメイドの行先は無くなる。このままではメイドも噛まれること必至だろう。だが、そうはならない。
博士はメイドに一丁の銃を渡した。それは人を撃ち殺すものではなく、無力化するためのもの。
メイドは教えられた銃の使い方をよく思い出しながら、左腰のホルスターから銃を引き抜いた。
黒い銃身の拳銃はセミオートマチックの細身だ。安全装置を外し、両手でよくゾンビに狙いを定める。
恐怖で身体が震え、上手くいかない。それでもご主人様のためと気合を入れ、無意識のうちに息を止めて震えを押さえつけた。
撃つのは、前方のゾンビ三体。胴体に照準を合わせ引き金を引く。
空気が抜ける音と共に銃口から飛び出したのは、白い糸の束だった。
それは狙い通りにゾンビの群れを絡めとり、地面とゾンビを接着した。
「やった!」
ゾンビがもがき呻いているうちに、悠々とまたいで進む。銃口から伸びた糸束は自動的に切断され、後には胴体を団子状にしたゾンビとメイドを追いかけるゾンビが残る。
博士が渡した銃は、トリモチを射出する銃だ。糸の束を放つように見えるが、射出した後は糸同士が融合し、モチ状になり強い粘着力を発揮する。
まだ生きているゾンビを相手に、殺さず倒す方法。博士がそれを実現するために急遽考案し開発した試作銃だ。
実銃でないので射撃の反動は少ないが、装弾数は少なく射程も短い。使い過ぎれば、いざという時に頼れなくなる。それでも、強力な武器に違いはない。
メイドは銃をホルスターに仕舞い、スカートの両端を持ち上げて走った。全力で走るだけなら、両手が塞がるもこれが一番速く、また動きやすい。
ゾンビを撒くためにも、工業地区中央の巨大な建物へと向かう。壁に裏口なのか扉が一つ付いていた。
しかもご丁寧に、既に半開きの状態だ。よく見れば、鍵の部分が綺麗に切断されている。もう二度と防犯という役目は果たせないだろう。
どうしてなどと考える暇もなく、メイドは速やかに扉の内側、灰色の怪物の体内へと侵入する。通路の天井の電灯が、古びた通路を映し出していた。
ゾンビたちはしつこく追ってきているようだ。中には警備服を着たゾンビもいる。追い付かれればただでは済むまい。
(ご主人様、どこー!?)
建物の中を歩き、階段を上り、いくつかの部屋の扉を開け中を確認する。
音を立ててはここのゾンビにも悟られる。声すら出せないのは、メイドにとってもどかしかった。
何階分か階段を上った先の通路を歩いていると、視界の開けたひときわ大きな空間に出た。一階からもっと上の階まで吹き抜けになっている、巨大な格納庫とも呼べる場所だった。
中央に座するのはこれまた巨大な石像。メイドの通路からは石像の背中に当たる部分しか見えず、それが具体的に何を象っている像なのかはよく分からない。
だがそれは上半身が裸の人間、王冠を付けているということは分かった。肘を曲げた右腕を天に指さし、左腕は腰に置いている。
手すりの下、一階にいるゾンビたちはせっせと働いていた。
石像の下に何か木の板のようなものを敷き、石像の底と固定しようと試みているようだ。
丁度、そばにあった小棚の上に石像に関する書類が置いてある。メイドはそれを持ちあげ読んでみた。
「王の像……? 搬入先、商業地区不夜城。中を空洞にすることで軽量化、経費の削減と工期の短縮に成功?」
メイドの後方から足音が聞こえる。どうやら未だにゾンビが追ってきている。
彼女は慌てて通路を前進し、通路脇の小部屋に身を隠そうと飛び込む。
「……うわ!」
部屋の中は皿や壺の乱雑した窮屈な空間だった。老人のようなゾンビが一人、ろくろを回している。
いきなりゾンビと鉢合わせ、思わず声をあげてしまったメイドだが、どうやら目の前のゾンビは意に介していない。
血走った目でただろくろだけを見つめ、土を美しい陶器へと昇華させている。
金属製の床を走るカンカンという音がすぐ後ろまで来た。時間がない。
メイドは最後の手段として銃を握りしめながら、身を隠す場所を探した。
警備服を着たゾンビの一団が、小部屋へ押し入る。彼らの仕事は、不法に侵入した者を捕まえてゾンビとすること。
しかし部屋には人間の姿がない。ただ老人のゾンビだけが、静かにろくろを回していた。
確かに人間がここに逃げてきたニオイを追跡してきたのだが、見失った。警備ゾンビたちは、唯一部屋にいたゾンビに小さい呻きで問いかける。
老人は何度問いかけられても何も言わず、ろくろを回す以外で動かなかった。外の事には興味ないとでも言うかのような、無言の拒絶だ。
警備員はこれ以上の意思疎通の試みは無駄だと判断し、部屋を出て行った。この建物は大きい。見回りを増やす必要があると、仲間を呼びに行く。
しばらくして、部屋の隅に置いてあった大きな甕の蓋が持ち上げられた。メイドが内側から押しているのだ。
まず頭の半分、目だけで周囲の様子を確認する。部屋には老人しかいないし他に足音も聞こえない。安全と判断できる。
メイドは丸めた全身を甕から出そうとする。だがバランスを崩し、甕は横倒しになった。
「あだっ」
床にぶつかっても、甕は壊れることなく転がる。ベキャベキャと何かを轢いて割る音がした。
回転する甕からなんとか身を這い出すと、メイドは何事かと甕を見た。
床に置いてあった無数の小さな陶器が、潰されて粉々になっている。陶器の破片が無残にも残され、もののあわれを語る。
(し、しまった……!)
陶器の破片を拾い上げ、それが修復不可能の域に達していることを確認。メイドは恐る恐る老人の方を振り向いた。
老人は相変わらずろくろを回している。甕が倒れて作品を轢き潰していようとお構いなしだ。もちろん、メイドの視線にも気づいていない。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
メイドは小声で謝りながら老人に頭を下げる。できれば掃除をしたいところだったが、そんな時間は無いし、自分が手を出すとさらに割ってしまいそうだと考え自制する。
老人は何も言わない。
「あ、あと、ありがとうございます。私、追われてるのに匿ってくれて」
やはり老人は何も言わない。ろくろが回る音だけが部屋に響く。
「あなたの作品、壊しちゃってごめんなさい……。後で、ええと、ちゃんと掃除しますから。私はこれで失礼します!」
最後に一礼をして、メイドは部屋を出て行った。
その後、老人はろくろを止め壺の原型を持ち上げる。
そしてそれを部屋の奥の炉に入れると、満足そうに顔を腕で拭った。
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