第13話 ブランコ、好きだったんですよ。
「本当に、すみませんでした!」
陽が落ち、街が夜に染まりつつある午後6時半。ヒグラシの鳴き声がうるさい公園の一角にて五十嵐は大きく頭を下げていた。
焦る風見。
「だ、大丈夫…大丈夫だから。顔を上げてくれお願いだ」
ゆっくりと顔を上げた五十嵐の表情とは、実に苦痛に満ちたものであった。さすがに涙は流していないが、泣き顔であるのは確かだ。
…………。
風見は自身の首裏をポリポリと掻いた後にため息混じりでこう言った。
「とりあえず座ろうぜ」
すっかりと傷んでいる木製のベンチへ腰をかけた風見と五十嵐。やけに眩しい白光りの街灯に群がる虫を見て、不快感を覚える。
そんな風見の横で、五十嵐はぽつぽつと語った。
「風見先輩に喋りかけてきた高校生は、恐らくですけれど私の同級生です。 …元陸上部の」
「…元? あいつら全員、辞めているのか」
「あ、いえ! そうではなくて、私が今年の4月に辞めてしまったものですから」
「あぁそういう…」
改めて五十嵐の容姿を見る。ボブの黒髪と色黒の肌、それに礼儀正しい口調……確かに“運動部っぽさ”はあると思えた。
「その…きっとスーパーまで私のことを見に来たんだと思います。お店だけでなく風見先輩にも迷惑をかけてしまって…本当にすみませんでした」
「いや、別に俺のことはどうでもいいけどさ。あー、なんだ」
「あの子たちと何かあったのか?」という言葉を出していいものだろうか、と風見は逡巡する。実際に五十嵐の表情とか言葉を聞いてみて、まぁ“黒”であることは確定したわけで。
…………。
何故かこのとき風見が思い出したのは、自身が英語のクラスで向けられた視線であった。まるでサファリパークに居る珍獣を観るかのような、あの目を。
……最悪、スーパーは辞めればいいか。
風見は恐る恐るの口調にて話す。
「…なぁ五十嵐。なんかさ、困ってたりするのか?」
「…え?」
「いや別に俺の…なんだ。杞憂だったらいいんだ。たださ、メールでも謝ることは出来たろうに、わざわざ公園まで呼び出したことには意味があったんじゃねーのかって。ほら、誰かに喋ることで楽になることもあるだろうし。えぇと……」
続けようとした自身の言葉に、思わず風見は苦笑いを浮かべた。何故ならその言葉とは、当日の昼間に言えるわけないだろう、と切り捨てた言葉だったのだから。
場を和ませる意図が半分、照れ隠しが半分の言葉。風見は自身の唇を一度舐めた後に、このように言ったのだった。
「…どうした? 話聞こうか?」
※※※※※
人には得手不得手がある、という言葉がある。五十嵐はこの言葉を強く信じていた。自身の得手と不得手を自覚していたからだ。五十嵐にとっての得手とは走ることであり、不得手とは人付き合いだった。
五十嵐 霜という女の子は界隈でそこそこに有名な選手だった。幼少の頃よりその才覚を現し、数々の競技会に出場。100m走、200m走、100mハードルなど、短距離走を中心に多くの優秀な記録を修めてきたのだ。終業式の日などには毎回体育館の壇上へと上がり、表彰状を貰うことだって恒例だった。
走ることとは、五十嵐にとっての得手であった。
一方で、五十嵐は同級生との付き合い方が分からなかった。
大人とは容易に言葉を交わせるのに、彼らの前では声の出し方を忘れてしまうのだ。何を言えばいいのか、何を求められているのか。そんなことばかりを考えてしまい、そうすると声が出なくなる。
小学生の頃も、中学生の頃も。友達と呼べる友達は居なかった。ノートを忘れたら借りる人なんて居ないし、休日に遊びに行く人とは母親だった。
しかし、友達がいないこと自体は苦で無かったのだ。別に一人でも五十嵐は平気だった。ドッジボールも、流行りのドラマについて語り合うことも。さして五十嵐は興味を持たなかった。
……ただ、問題だったのは。友達がいない自分自身を見る周りの目だったのだ。
ギコギコギコギコ
雨に打たれすっかりと錆び付いたブランコを五十嵐は漕ぐ。結構勢いよく漕いでいるくせして、その表情とは真顔なのだから、風見はそこに違和感を憶える。
間もなくして、鋭く息を吐き出しつつ五十嵐は飛んだ。短く切りそろえられた黒髪が月明かりに照らされる…なんてこともなく、あっさりと地面へ着地をしてしまった。
「ブランコ、好きだったんですよ。一人用の遊具だから」
振り返ることなく五十嵐は言う。ずいぶんとラフな格好の…おそらくは部屋着なのだが、それにうっすらと土埃が付着してしまっている。なんというか、その事実に風見は妙な現実感を感じてしまった。
「…あの、風見先輩」
小さな、小さな背中だった。今にも壊れてしまいそうな背中越しに、五十嵐はこう問いかけた。
「ただ周りとズレているだけで…なぜ傷つけられないとならないのですか…?」
炎上の夏、風鈴の音。 しんば りょう @redo
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