第10話 マジかよ
約束の2時間も前にやってくる奴というのは至極真面目な者などではなく、単なる常識知らずだ。
風見はどちらでもない自覚があったので、近所の公園のベンチに座り込んでいた。
缶コーヒーを飲む。
「はいタッチー! ケンにエキス移ったぞーーー! 逃げろぉぉぉぉぉ」
ベンチに隣する広場にて子供の一人がそのようなことを叫んだ。その声に呼応して、友達と思われる子供数人が散り散りに逃げてゆく。
「…子供ってマジで残酷だな」
無邪気な笑顔に見合わない道徳0発言を連発しながら野を駆け回る子供たちを見ていると、なぜ自身がこんなところで時間を潰しているのかすら忘れてしまいそうになる。 ……いや、実際に忘れている訳ではないが。ただ、多少は気分が良くなったことは確かだった。
青空を仰ぎ見る。深緑の木々がさわさわと揺れていた。
…………。
(家帰る前に、風鈴になんか買ってくか)
そのようなことを考えながら缶コーヒーを傾けた時だった。
「風見先輩」
「え、うわ!?」
反射的に身体を仰け反らせると共に、風見は奇声にほど近い叫声を上げたのだった。周りの人間からの視線を感じる。
「また変なところでお会いしましたね」
「五十嵐……あぁそうだな。マジでびびったよ」
「隣、よろしいですか?」
風見が頷くと、五十嵐はペコリと頭を下げた後に風見の隣に腰をかけた。その隣には背負っていたリュックを下ろす。そこそこの重さがあるようで、ベンチを通じてズンと重い振動が伝わってきた。
「高校生って、もう夏休みじゃなかったか?」
制服姿の五十嵐の姿を見て、風見は不思議そうに尋ねた。
「夏休みですよ?」
「あぁ部活か」
「違います。補習で」
そう言いつつ五十嵐はリュックのチャックを開く。中から取り出したのは筆記用具と数学Ⅱの教科書、ノートだった。
「期末テストの結果があまり良くなかったんです。赤点ではありませんでしたが、任意で補習に参加をしていまして」
「そ、っか。頑張ってんだな」
「頑張ってる人は、もっと良い成績を取っていると思うんですけどね」
苦笑いを浮かべつつそのように返した五十嵐は、教科書をベンチの傍に置き、ノートを手に持つとそこにペンを走らせ始めた。
「…こんなところで勉強をするのか?」
「家と学校は居心地が悪くて。図書館とかも同級生が居るかもしれないので。ここは落ち着くんです。 …あ、すみません風見先輩が居らっしゃるのに」
「いや、俺のことは気にしなくていいけどよ。 …そうか居心地か」
風見の呟きに五十嵐は不思議そうな顔をしたが、すぐに目下の教科書へと目を移したのだった。ノートにペンを走らせてゆく。
そのような五十嵐の姿を目の端に捉えつつ、風見が思い出したのは数日前の風鈴の発言であった。
『うん。風見ほどは強くないけど、でも同じ種類のニオイだったかな? 焦げ臭いというか……そんなの』
先日、五十嵐が真夜中に散歩していたこと。先ほどの居心地が悪いという発言からしても、やはり五十嵐には何か事情があるのは確かそうであった。
(…まぁだからどうだ、って話だがな)
心の中で呟くに留め、風見はその場に立ち上がった。軽く伸びをする。
「あ、もうお帰りになりますか?」
「おう。シフトまではちょい早いけど、もう出勤するわ。五十嵐は勉強頑張れな」
「はい。えっと…お疲れ様です」
「お疲れ」
先日の夜道と同様に、片手を上げて挨拶をし別れる。
結局のところ大した話はしなかった。いや、大した話をするつもりなんてもともと無かった訳だが。風見と五十嵐はしょせんバイト先の同僚だ。それ以上でも以下でもない。悩みがあろうがなかろうが、その事情に土足で踏み入ることなど許されないのだ。
これからも五十嵐とは、適当な世間話をするだけの関係なのだろう…なんて淡い予感が脳裏を過ぎったところで、こちらへと近づいてくる大きな足音に気がついた。
「……? どした、五十嵐」
「すみません、あの…一つだけ言いそびれていたことを思い出しまして」
「なんだ?」
軽い息切れと共にこちらへと駆けてきた五十嵐。彼女は呼吸を整えた後に、このようなことを言ってみせたのだ。
「先日の夜中の時に言っておくべきだったと反省しているんですけれど、あの…風見さんから伝えてもらってよろしいですか? 『先日は五十嵐が邪魔をする形となってしまってすみません』と」
………………ん?
何を言ってるんだろうこいつ、と風見は思った。言葉の意味がよく分からない。
「えっと、先日ってのは深夜にお前と会ったときのことか?」
「はい、そうです」
「それで…俺が誰かに…伝える?」
「……? 風見先輩、一人じゃ無かったですよね?」
………………んんん???
脳がバグる。
「え、あ、いや…誰がいたんだ?」
「あれ? 私の勘違いでしたかね? 風見先輩、黒の長い髪の女の人と一緒にいましたよね? てっきり私、風見先輩の彼女さんだと思ってたんですけれど」
「…マジで」
「“マジで”?」
「マジかよ」
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