第4話 紅の二人

 さっと後ろに跳ね退いた紅葉くれはは、目の前で爪を立てた鬼娘を見定める。

 右手に持つ篠笛を握り直すと、鬼娘あいてとの間合いをとりながら左に移動する。


「キイイイイ」

 鬼娘が土をけり跳ねた―――。


 奇声を発するといのししの様に爪を立て走り寄る。

 目の前に立つ敵を切り裂こうとブンッブンッと左、右の腕を振るう。 


 紅葉は手に持つ篠笛を掲げると半身で構え、パチンパチンと鋭い爪を打ち払う。

 

 鬼娘の脇をかいくぐった紅葉が、素早く一歩踏み込んだ―――。 


「うっ!」

 ズンッと笛先の一撃が鬼娘の体に命中する。 

 

「うっ……ううううっ……」


 鬼娘がよろめく。

 

 さらに、二人の体が交差する―――。

 

 瞬間。鬼娘の体が宙に舞った。

 

 鬼娘の手首をつかんだ紅葉は手首をスルリと逆手に返し、鬼娘を投げ落とした。


「ドンッ」「ぐはっ」


 背中から落ちた鬼娘の息が一瞬止まり、苦し気な声を発する。


 すかさず紅葉は手首を取ったまま、鬼娘を強引に引き起こす。

 そして腕、肩を固めると地面に引き倒した……。


 後ろ手に締め上げると、ひざで動けない様におさえつけた。


鬼娘あなたっ!」

「おとなしくしなさいっ!」

「……」

降参こうさんですかっ―――!」

「……」

「ぐっ!」「ぐっ!」


 鬼娘は、もがく様に体に力を込め揺り動かした。


 ◆


 地面に引き倒され、後ろ手を取られて身動きができない鬼娘。

 背に乗りかかる紅葉くれはを振り解こうともがく。

 

 鋭い牙をむきき顔をもたげた。


「ぐっ」「ぐっううううっ」


 人間離れした剛力ごうりきが、背に乗る紅葉の体を徐々に浮かす。


「うおおおお―――」


 片膝を立てると一気に紅葉の体を振り払った。


 パッと後ろに跳びさがる紅葉。


 一瞬、体を沈めると、鬼娘のふところに踏み込んだ。

 両手の平を鬼娘の胸にサッと添える。


「ぐはっ!」


 何かが弾けた様に鬼娘の体が弾け飛ぶ。

 勢い余って灯篭とうろうに衝突し、灯篭もろとも地面に転がった。


「がはっ」「がはっ」

 

 地面に転がりながらも苦し気に立ち上がる。


「はあっ」「はあっ」

「……」


 ◆


 紅葉くれはは深く息を吐く。


 そして乱れた襟元と着物のすそをススッと直すと、荒く呼吸をする鬼娘に近寄うとした。


かあさま……かあさま……」


 寝ていたはずの経若丸きょうわかまるが横合いから眠い目を擦りながらひょこひょこと現れた。


「母さまああ……」

 横に居た母親が居ない事に気付き、探しに来たのだ。


 ザンッと鬼娘が跳ねる―――。


 現れた経若きょうわかをガシリッと抱えるとクルリと宙を舞い後ろに着地する。


 そして、先ほどまで戦っていた敵・紅葉の居た場所をにらむ。


 ―――が、鬼娘の体が一瞬硬直する。

 ゾクリッとしたものが背筋を突き抜けた。


経若きょうわかを放しなさい」


 ―――鬼娘の首筋に冷たいやいばが押し当てられている……。


経若きょうわかを放しなさい」

 

 殺気をおびた低く冷徹な言葉が、鬼娘の背後から耳元でささやく……。


「…………」


 紅葉の懐刀を握る手にポツリッポツリッと温かい涙が落ちた。


「こ・ろ・し・て……」


 鬼娘の肩が小刻みに震える……。


「こ・ろ・し・て……」

「お・ね・が・い……」


「…………」

 

 はだけた襟元えりもとから露わになった細い鎖骨さこつ

 弱々しい首筋くびすじ……。


「……」

鬼娘あなたっ……」


 紅葉は思わず涙を流す鬼娘を抱きしめた。


「……」「……」


 その真っ白な細い腕から想像出来ない力で鬼娘を抱きしめた。

 経若を抱えた鬼娘ごと強く抱きしめた。


「母さま……」

「痛い……」


 経若が二人を見上げ苦言くげんを言い放った。


 

 ◇◆◇◆ 鬼娘 紅巴いろは


紅巴いろはっ」「紅巴いろはは何処に居るのっ?」


 鬼娘の名を呼ぶ声が聞える……。


 女主人・紅葉くれはは、鬼娘を屋敷に住まわせ、名を”紅巴いろは”と名付けた。

 

 この鬼娘が物心ついた時には親の姿は既に無く、野山を一人で彷徨さまよっていた。

 人間からうとまれ、身を隠す様に山中で暮していた。

 さいわいにも、その生まれ持った鬼の能力は人間のレベルを遥かに越え、丈夫な体と優れた身体能力は幼い鬼娘を生かした。

 

 時折、村に現れては家畜を襲い農作物を荒す。通りかかる旅人を襲っては生活の糧とする。

 これが鬼娘にとって生きるつねであった。


 あの夜―――。

 襲いかかる鬼娘を完封かんぷなきまで叩き伏せ、足元にも寄せ付けない強さの紅葉。

 腹を空かせた鬼娘に食事を用意し、温泉で汚れを落とす。

 向かいの山頂から顔を出した太陽の朝日は、温泉の湯舟にキラキラと反射していた。


鬼娘あなた……名前は有るの?」

「…………」

「な……名は無い……」

 

 湯殿で鬼娘の頭を洗っていた紅葉が問う。


「名が無いとこれから不便ね」

「……」

「私の”紅”をとって”紅巴いろは”と名乗りましょう」

「そう……この美しい桜色の肌にちょうどお似合いね」

「……」

「それに……この小さなつの素敵すてき

 

 とひたいの上に少しだけ生えた真っ白なつのでる。


「きゃっ」

 

 ピクリッと驚いた鬼娘・紅巴いろはの肩が思わず上がる。


「ふっ」


 紅巴の面白い反応に思わず紅葉が笑いだす。


「さあっ。温泉をあがったら食事にしましょう」


 紅葉は紅巴の髪をい直し、自分が少女の頃に着ていた着物を着せる。

 そして手を引いて食堂に案内した。


 




 

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