第3話 鬼娘と女主人

 帝都・平安京がこの地に遷都せんとされて百五十年あまり。

 皇族を取り巻く公卿や貴族ら朝廷による中央政権によって揺るぎない政治体制が敷かれ、海の向こうにある大陸との貿易によって人や品、文化が行き交い、華やかで独特な平安文化が繁栄を迎えようとしていた。


 帝都から離れた主要な地には朝廷が直轄する国府こくふが置かれ、地方の豪族や貴族たちを朝廷の管理下に置き、長い太平の世を築いていてきた。

 都と地方を結ぶ街道はよく整備され、人や品が行き交う交通の要所でもあり、国府こくふは帝都を護る為の防衛拠点でもあった。

 

 その一つ、帝都から少し離れた東の地に、周囲を険しい山々に囲まれた国があった。

 東国から帝都に通じる街道の玄関口であり、古くから温泉が沸き、湯治場や観光で賑わう風光明媚な町であった。

 

 ◇ 


 町外れの小高い丘の中腹に見事な京造りの御屋敷が一軒建っている。

 最近、やんごとない理由で都よりくだってきた一家が住まうという噂の御屋敷である。

 時折、都の商人らしい人や荷車、公の官吏らし者たちがこの御屋敷に訪れては戻っていく……。

 

 夜になると、その御屋敷から琴や笛の音色が夜風にのって聞えて来る。

 この地方にはない雅な都の風情が、その流れる音の調べの中には漂っていた。


 ◇◆◇◆ 女主人・紅葉くれは


 まわりの山々が緑色から紅や黄色に染まり始めた秋の夜。

 少し開いたすだれの隙間から涼し気な夜風がただよい流れて込んで来る。


 一人の女性が、物憂げにことを爪弾く。


 庭先で飛び交う季節外れの二匹のほたるが照らしては消え、消えては照らし、まるで今にも燃え尽きそうな程に静かな時を刻んでいた。


 バフンッと琴を弾く女性の背に小さなわらべが抱きついた。


「これこれっ。経若きょうわか……」


 怒った様な、困った様な、あきれた様な、しかし優し気な母親の声である。


かあさまっ」


 小さなわらべの手の平が琴を弾く女性の腰に手を回され、ほほをすり寄せる。

 

 女性は琴を弾く手を止め、そのわらべを抱きあげると自分のひざの上にチョコンと座らせた。

 ひざに座らせたわらべの肩越しに琴へ手を伸ばすと、母のほほが童の頬に触れる。


 ……そして母はまた琴を弾き始めた。


 この屋敷に住む女主人・紅葉くれはである。

 歳は二十歳前後であろうか。

 皆が息を呑む程に整った顔立ちと美しい切れ長な目が印象的である。

 明るいひたいは何処となく聡明で知的さを感じる。

 薄衣の背中に沿って流れる細い腰はにしきの帯で絞られ、妖艶さを漂わせていた。


 ”経若丸きょうわかまる”と呼ばれる稚児が一人。


 御屋敷には住み込みの家人が数名、二人の世話をする。

 いずれの家人も都務めを想像させる物腰しである。


 ◇◆◇◆ 真夜中の珍客


 ある真夜中の事。

 家の者は皆、寝静まり風に吹かれる庭の木々の音だけが聞えていた。


 庭先でガサリ、ガサリと物音が聞える。

 

 女主人・紅葉くれはは物音に目を覚ました。


 横でスヤスヤと眠る経若の寝顔を確認すると上着を羽織り物音のする方へ向かう。


 ガサガサと鳴る物音と微かな息使い。


(息が荒い、盗賊のたぐいか……?)

 

 厨房ちゅうぼうの奥で何かを探す物音が聞える。

 紅葉は厨房ちゅうぼうの戸をゆっくり開け、中を覗き見た。

 

「えっ」

(手配書の女?)

 

 先日、役所から届けられた手配書の人相書きにあった。


(押し込み強盗・凶悪と書いてあったが……)

 

 歳の頃は十四、五。ざんばら髪にすりり切れたころも

 微かに見える瞳がギラリと光る。野獣の様な目つきである。


「ガタリッ」


 紅葉くれはの気配に気付いた手配書の娘は、サッと身をひる返と素早い動きで後ろに跳んだ。


 手配書の娘は、身を低くし紅葉を威嚇いかくする様ににらむ。


 片手を口元に当てると、爪を立て。

 ……そしてきばいた。

 

(えっ、鬼の娘っ……!?)

 

 一瞬、目を丸くした紅葉であったが、距離を取りながら移動する。


 鬼の娘は、威嚇する様に耳と目で紅葉を追う。



 紅葉は相手の動きを警戒しながら、めしの入った御櫃おひつふたを開けた。


 そして、御櫃おひつの中のめしを素早く握ると距離を取って対峙する鬼娘の前にそっと置いた。


 一つ、二つ、三つ……。


 紅葉はそのまま静かに後ろにさがる。


 鬼の娘は警戒しながらも匂いに誘われ近ずく。


 置かれた握飯にぎりめしをサッと奪い取ると戸口の外へ消えて行った。



 それから数日―――。

 紅葉は鬼の娘が現れた日から毎夜、握飯にぎりめしを作り厨房に置く。

 

 すると次の日の朝、握飯はきれいに消えている。

 

 ある晩、握飯と一緒に衣服と甘い菓子も置いた。

 次の日の朝、置いた衣服と甘い菓子も消えていた。


◇◆◇◆ 鬼娘


 満月の夜―――。

 珍しく紅く丸い月が闇夜を照らしていた。

 

 紅葉は庭園に設けられた円卓に一人座り月をながめる。

 空いたさかずきに酒を満たし口元に運ぶ……。


 酒に映った自分の顔を見つめると目を細め一気に飲み干すと細い息を吐いた。


 そして腰帯に差した漆塗りのきれいな篠笛しのぶえを取り出し、くつびるに添える……。


 細い腰に薄絹を羽織る姿が、丸い月夜に映える―――。

 夜風が着物のたもとをフワリと揺らした。


 どこか物悲ものがなしい笛の音色は、闇夜に溶けていく……。


 ◆


 秋虫の声がふと止んだ……。 


 ガサリッと庭木をかき分け、毎夜現れる鬼娘が姿を現した。


 先日、くりやに置いておいた衣服を乱雑に着込んでいる……。

 が、辛うじて肌を隠している程度である。


 鬼娘は、だらりと両腕を下げユラユラと歩きながこちらに近づいて来る。


(正気を失っているの……?)


 ユラリと滲み出る鬼娘の殺気が、紅葉の肌に刺さった―――。

 


 鬼娘はふと歩む足を止めた……。


 紅葉の放つに危険を感じたのか……遠い間合いで踏み止まった。


 そして鬼娘は紅葉をにらみ、両方の手の平を広げ鋭利な爪を起てた。


(紅い月の光を浴びた鬼―――)


「ガッサッ」「ガッサッ」「バサッ」

 山鳥が驚いて飛び立つ。

 

 目の前の鬼娘が動いた―――。

 地を蹴り跳躍すると紅葉の首をめがけ、鋭い爪が襲う。

 

「シュッ」 

 体をひねり鬼娘の一撃をかわす。


 そのまま前へ踏み込もうとしたが、体をのけ反らし後ろにさがる。

 

(えっ!)


 袖元そでが切り裂かれている。


(この鬼娘っ!。一瞬のすきに……)

 

 




 

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