第2話 鬼娘の寝夜話し

 暗闇が視界をさえぎる。聞えてくるのは耳障りな不協和音ふきょうわおんと不気味な獣の声。

 魑魅魍魎ちみもうりょうの類が体中にからみ付き、まるで鎖に縛られた様に身動きができない。


 光る小さなかたまり……。

「早くっ」「早くっ。こちらにおいで……」


 深い暗闇からやさし気な声が聞こえ、白い両の手が差し伸べられた。

 

 目の前に浮かんだ小さな光は少しずつ大きくなり、人の輪郭に変化する。

 ああっ……光に包まれた女性が笑顔を浮かべ両手を広げる。

 

 その手に触れた瞬間……。

 閃光せんこうが走った―――。


 暗闇は一瞬で払われ、体中をめぐる無限の血液が一斉に脈打つ。

 

(ああっ……)

 

「うっあああっ!」

 左腕にはしった焼ける様な激しい痛みに少年が目を覚ます。


「はあっ」「はあっ」

 少年は飛び起きると、反射的に痛む左腕を押さえる。


「ぐわあああっ!」

 少年は叫ぶ。

 痛みで再び意識がうすれ遠のいていった……。


 ◆


 次に少年が目覚めたのは、パチパチと燃える焚火たひびの温かい熱であった。

 目覚めた少年は、夢の様な面持ちで混乱する頭を振り払った。

 

(あれは……夢であったのか?)


「ふううう」

 息を吐きながら、恐る恐る確かめる様に自分の左手を触る。


(左腕は……ある……)

(ああ、夢であったのか……)

 

 少年は、自分の左手に目をやる。

 

 驚きで自分の目を疑い、大きな目を見開いた。

 感情を押し殺し、息荒く、無言のまま自分の変わり果てた腕を見る。

 

 赤黒く変色した左腕―――。

 腕には深く盛り上がったきんすじが浮き上がっている。

 拳を握ると力が湧く様に強く熱い。

 指先の感覚は……ある。

 

 少年はゆっくりと指を動かしながらを左手を見つめた。


「げ、現実であったのか……?」

「まるで長い長い夢を見ている様であった……」


 と独り言が漏れた。


「気が付いたか小僧っ―――」


 少年はビクリッと驚き、慌てて声の主を探す。


 焚火たきびの向こうで一人の娘が笑いかけた。


 褐色の赤い肌に整った顔立ち。

 二十歳ぐらいの年齢であろうか。

 白銀色の髪を肩口で束ね、胸元に垂らしている。

 そして黒真珠の様な大きな瞳が少年を真っ直ぐに見ていた。

 

(夢なのか? 現実なのか?)

 

 少年の頭の中は混乱し、頭を抱え込んだ。


「小僧よっ」

 目の前の娘が鈴の様な声で話しかけた。


契約けいやくどおり……」

「これからわれが貴様の願いに合力ごうりきする」


「…………」


 娘は少年の瞳を見つめると瞳を輝かせニヤリと口元を上げた。


「ふっふふっ」

「一緒にひと暴れしようぞっ」

「あっはっはっはっ―――」

 

 と目の前の娘は豪快ごうかいに笑う。

 笑った口元に鋭利な白いきばが二本、のぞいていた。


◇◆◇◆ 鬼娘の寝夜話し


 洞窟の中で燃える焚火を前に、少年と鬼娘が座っていた。


 鬼娘がまきをくべ、返す手で燃える焚火の中にあったつつみを取り出した。


 大きな葉にくるまれたつつみを開けると、鼻と胃袋を刺激するいい香りが漂う。


はらが減っておるじゃろっ」

「これを喰うといい」

 

 口を開けたつつみを少年の前に差し出す。

 

 少年は思わず体を乗り出した。

 山菜が敷き詰めれたつつみの真ん中に、鳥肉の切り身がドサリッと広がる。

 み出した鳥の油が山菜に絡み、いい香りと一緒にグツグツと揺れてる。


 思わず包みに手を伸ばした。

 少年は熱さを忘れ、両手でつかむと口に頬張ほうばった。

 

 幾日いくにちぶりの食べ物だろうか?。


「グフッ、グフッ―――」


「そうあわてんでもええっ」


 と欠けた器に満たした水を差し出す。

 

 少年は咳込む様に胃袋に流し込む。


「さっき狩ったばかりの山鳥じゃあ……美味うまかろう……」


 と少年のガッツク姿を目を細めながら鬼娘が目を細める。

 

 と、鬼娘は側らに置いていた徳利とっくりを持ち上げると口元に運ぶ。

 そして、グイっと流し込んだ。

 さけの甘い香りが漂う……。


 ◇


 少年は満された腹と温かく揺れる焚火の炎で、うつらうつらとまぶを閉じはじめる。


 薄れゆく意識の中、目の前には酒をあおる鬼娘の美しい顔と、片膝を立てた着物から見え隠れする肌が妖艶に映った。


 鬼娘はうつらうつらと薄目を閉じる少年に寝夜ねや話しをする様に語りかけた。

 ―――遠く遠く過ぎし日の昔しをなつかしむ様に語り始めた。


「……」

紅葉くれはあねさま……」


 数百年前……この地方に伝わる伝説……。

 

 連なる山河さんがを風の様にける二人の娘。

 付き従う屈強な盗賊たち。

 剣と剣が激しく交差し響き合う音。

 きしむ骨と筋肉。

 幾度となく交わした命を賭けた闘い。

 

 そして朝廷軍との激しい戦い……。


 洞窟の天井を見上げる鬼娘―――。


 遥か遠いときを超え、なつかしむ様な瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。



―――――――――

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