第12話 愛弟子 小紅

 紅葉が暮す村の山奥、渓流が流れる開けた川岸。

 頭上から流れ落ちる水が、滝壺の水面にぶつかり霧の様に巻き上げる。

 

 岩に腰掛けた『天狗さま』髭の大男はあごに手をやる。


小紅シャオホォンっ」

小紅おまえは、いったい何者だっ!」

 

 紅葉くれはの繰り出す剣先、流れる様な剣技を観ながら大男は問いかけた。


 助けてもらった礼に、護身術の二つ三つも教えてやろうかと思っていたが……。

 この娘が秘めた武の才は常人のレベルを越えている。


 髭の大男が得意とする体術を習得し、貪欲にも武芸十八般、今は剣術の習得中である。


「ふうっ」


 眉間にしわを寄せ細い息を吐く。


(それに……)

(娘の足元をチョロチョロと走り回っている、あのけもの

(練習の相手をしているのか? 邪魔をしているのか?)

(んんん……しかし、あれは……)

(俺も古い書物でしか見た事はないが……)

(あれは……霊山に住むという、唐獅子からじしではないのかっ)

(そもそも人になつくくものなのか……?)

(何故、こんな所に居るのだ……?)


「お師匠さま」

「お腹が空いたでしょう……そろそろ昼食にしましょうか?」

 

 と汗を拭いながら、修練を一息ついた紅葉が平然とした顔で問う。


「あっ。あああっ」 


 不意をつかれ少し慌てる大男。


 紅葉が家から持参した手篭を開け、用意した昼食を取り出し、慣れた手つきで並べ始める。


「……」

「お師匠さまには、これっ」


 水を入れる竹筒を取り出し、竹製の湯飲みを手渡す。

 そして湯飲みに注ぐ。

 地酒の甘い香りが漂う。


「……」

 湯飲みに満たされた酒を一口で飲み干した。

 ほのかに薬草の香りが口の中に広がる。


「ふんっ」

 と鼻で笑う。

(この娘は……酒に薬草を混ぜたか……)


「…………」

 そして給仕をする紅葉の横顔を観ながら、髭の男が言う。


小紅シャオホォンよっ」

「……」

「この剣の中身……やいばを観たかっ?」

 

 と左手に握る剣を差し出す。


「ええっ観ましたよ」

「……」


 平然と言う紅葉の顔を見ながら、髭の大男は眉間にしわを寄せる。


「俺が何者か知っているのか?」

「……」

「いえ」

「そこまでは知りませんが……」

「お師匠さまは……天狗さま?……ですか?」


 とニコリと笑う。


「大陸の剣ですよね。それっ」

「……」

(この娘はっ……)


 言い当てられた師匠は口をとがらせてみせた。


 ◇◆◇◆ 追憶


 『天狗さま』師匠と紅葉、そして側らに狛が寝そべり焚火を囲んでいた。

 パチパチと燃える炎がゆらゆらと揺らめく。

 くべた薪の一つが燃え尽き、ガラリッと崩れ落ち火の粉が舞った。


 紅葉は竹で作った篠笛を手に取り、唇に当てた。

 静かな笛の音が洞窟の空間に反響し響き渡った。


 師匠は笛の音に耳を傾け、ゆっくりと目を閉じる。


小紅おまえの奏でる音色は……澄んでいるな……」

小紅おまえは……大陸の山河を見た事はあるか……」

「…………」

小紅おまえの奏でる音色は、俺の故郷の山々を思い出させる」


 師匠は、をしたなと小首を振った。


「ごめんなさい」

 ふと笛の音を止めた。


「いや……美しい音色だ」

「子供の頃の美しかった故郷を思い出すよ……」


 師匠は盃の酒を一口で飲み干した。

 

 寝そべった体を起こすと、側に置いていた剣を握る。 

 手に持つ剣をスラリと抜いて、刃を焚火にかざした。

 白銀の刃。スラリと伸びた直刃の唐太刀からたちの刃に炎を映し、紅く輝いて見えた。 


「俺は……」

「海の向こうの大陸から亡命して来た渡来人だ」

「……」

「今、大陸は長く続いた大国・唐の国が滅んだ後……十二の国が皇帝の座をめぐって覇権争いをしている」

「……」

「俺はその国で軍を率いて戦っていたんだ……」

 

 焚火たきびを見つめる師匠が拳を硬めひざを打つ。


「……」

「俺たちは民を苦しめる腐敗した大国を倒す為に立ち上がった人民軍だった」

「……」

「俺たちは戦った……」

「決して地位や名誉の為でも無い」

「金や権力が欲しかった訳でも無い」

「……」

「だがな……」

 

 頭をうな垂れた師匠は、過去を振り切る様に顔を左右に振る。


「だが……」

「俺たち人民軍が帝都の陥落かんらくまで後一歩に迫った時……」

みなが狂い始めた」

「私利私欲に大儀を忘れ、野獣の様に皆が狂った」

「……」

「俺は仲間から命をねらわれ、妻や家族を全てを失った……」

「そして……この島国に流れ着いた」


「しかし奴らは俺を追い、この遠く離れた地まで追手を差し向けて来た」

「……」

「全ては、この剣が原因だ―――」


「この剣は……」

皇帝こうていの証し……覇剣」


 師匠は手に持つ剣をうらめしそうに見つめた。


「くそっ」

「この剣の為にっ! 全てを失ったっ!」


 剣を何度かひたいに打ちつけ歯を食いしばる。


「お師匠さま……」


 紅葉は器に酒を注ぐと差し出した。

 器をつかむとゴクゴクと口に流し込む。


「……」

「……」


 師匠の握っていた器が、ポトンッと地面に落ちた。


「ガシャンッ」

 手に抱えていた剣が地面に落ちた。

 

 師匠は眠る様にゆっくりと目を閉じると頭をうな垂れ、体を横たえた。


「……」

「お師匠さま……」

「剣にとらわれたかなしい戦士……」

「今は眠るといい……」

「何もかも忘れて……ゆっくり……ゆっくり……」


 子守唄の様な紅葉の言霊ことだまが耳元でささやかれた。

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