第9話 小さな迷子を拾う

 闇夜が静かに辺りを包む真夜中。風が木の葉を揺らす音だけが聞こえる。

 鬱蒼と茂る木々の間を黒い影が素早く動いた。

 緑色にキラリと光る二つの目。

 獲物を狙う足取りで静かに近づいた。


「…………」


 微かな物音に驚いた山鳥がバサバサッと暗闇に飛び発つ。


 しかし逃げ遅れた野鳥の悲痛な声が数鳴……。


 また辺りは静かな闇夜に包まれた……。


 ◇◆◇◆ 山狩り


 村人たちが畑の畦道に集まり、何やら相談をしていた。


 用事を済ませ、通りかかった紅葉くれはが聞き耳を立てる。


「お前の所もやられたかっ!」

「朝方だっ。鶏たちが騒ぐんで駆けつけてみたらさくが破られていてなっ」


「数匹……持って行かれちまったっ!」


「くそっ」

「あの頑丈なさくを喰い破ったんじゃ……」

「狼か?……まさかっ熊?じゃああるめえなっ!」


「……」

 村人たちは怒りをあらわにするが、姿の無い獰猛どうもうな野獣の影に声無く肩をすぼめる。


「……」

「明日は御役人様も出張っての山狩りじゃあ」

「……」

「本当に大丈夫かのう……」


 村人たちはくわを担ぐと、渋い顔をしてその場を立ち去っていった。


 ◆


 次の日。

 代官所から派遣された役人たちと村の男衆が総出で家畜を襲った野獣の山狩りに出かける。

 野獣の足跡や寝ぐらを見つけ、皆で追い立てる算段である。

 この日は父の官兵衛も村人たちに加わり、皆で連れだって出かける。


安曇あずみっ、紅葉くれはっ」

「今日は危ないから……しっかり戸締りを頼むぞっ!」


 と官兵衛は心配そうに二人に声をかけ、家を出ていった。


 代官所の役人と村人たちは、それぞれ数人の組みに別れ、野獣の痕跡を追う為に山の中を分け入って行く。


「ほんとうに俺らだけで大丈夫かいのう?」

「ばかやろっ。その為に御役人様も来ておるんじゃ」


「……山に住む妖怪じゃあるめえなあ」


 村人たちは顔を見合わせ口をつぐんだ。


 ◇


 太陽が西の山に沈もうとしていた頃。

 冷たい風が谷合から吹き抜け、手に持つ松明の火を揺らした。 

 

「おいっ」

「こっちに来てくれっ!」


 一人の村人が声をかける。


「この跡を見てくれ……」

「……」


 大きな家畜を引きずった痕跡が地面に残る。


「これ熊じゃねえのか?」

 

 村人たちは、危険なものを目撃した様に顔を見合わせた。


 その時。


「うわっ!」


 後ろから村人の悲鳴が聞えた。


「どうしたっ」「大丈夫かっ」


「わっわかんねえっ」

「何かが飛んできて……」

「ガツンとぶつかってきた……」


 地面に尻もちをついたまま、男は口を開く。


「これっ見て見ろっ」


 集まった村人たちは振り返る。

 声を出した村人が、思わず放りだした捕獲棒を持ち上げる。

 震える手で、真ん中から折られた捕獲用の棒が差し出された。


「おっ折れた……と言うより」

「噛み砕かれてるじゃねえかよっ」

「……」

「まっ魔物じゃ」

「こりゃあ魔物の仕業じゃあ」

 

 一人の村人が声を震わしながら頭を抱えた。


「間違いねえ」

「魔物が出たんじゃ!」

「……」


 皆、声を失い目を丸く見開いた。

 村人たちは息を殺し、辺りをキョロキョロを見回す。


「やべええっ」

「やべええっぞ」


 そして皆、体を低く下げると足音を発てない様に静かにその場から逃げ出した。


 ◇◆◇◆ 小さな迷い子


 既に陽が沈み、辺りが暗くなってきた頃。

 紅葉くれはは微かなけものの鳴き声を聞いた。

 

 耳を澄ますと家のえんの下から弱々しい獣の鳴き声が聞える。


 紅葉はゆっくりとえんの下を覗くと緑色に光る目玉が二つ。

 暗い縁の下で光っていた。


(狐?イタチ?狸の子供かなっ?)


 その小さな光る瞳は、その場から動かない。


 紅葉は着物のそでにタスキを掛けると頭に布をかぶり、着物のすそを捲し上げ、縁の下に潜っていった。


「怖くないから出ておいでえ・・・」


 と囁きながら潜っていく。

 目の前に光る二つの目玉。


「キュウキュウ」

 と小さな声。


 フワフワした毛並みを震わせ、その獣は小さくうずくまっていた。


「……」

「怖くないから出ておいでええ……」


「……」

 と両方の手の平でゆっくりと獣の体を包むと、静かに抱え上げた。


 縁の下から這い出た紅葉は、手の平の上で震える小さな獣を目を凝らして見る。

(子犬?……狐?……まさかっ狼っ!)


 今まで見たことが無い種の動物。

 

 目の前の獣に首を傾げる。

 体に似合わない大きな手足と鋭い爪、銀色の毛並みと大きな黒い瞳。

 そして大きな口から、可愛いらしくない鋭い牙が覗いていた。

(銀色の狼?……なの?)


「キュウウウ……」


 その銀色の獣は、小さな声で弱々しく鳴いた。


「何かに追われているの?」


 弱々しく鳴く獣を抱き上げ、潤んだ大きな黒い瞳に自分の顔を近づけた。

 その弱々しい鳴き声は……辛くてさびしい声に聞えた。


「……」

 紅葉は思わず銀色の獣を胸に抱きしめた。


「……」

 銀色の獣の小さく脈打つ心臓の鼓動が、自分の早くなった胸の鼓動と同化する……。


「もう大丈夫……」

「もう大丈夫……」


 何故か紅葉の瞳から涙が溢れ出し……ツツッとこぼれ落ちた。

 震えの止まった温かい銀色の獣を更に強く抱きしめた。


 ◆


 山狩りの日以来、村の家畜を襲う被害は出なくなった。

 そして紅葉の家に新しい家族が加わった。

 紅葉は、この不思議な銀色の獣を”こま”と名付けた。


 父や母に聞いてもこの銀色の獣の種族は知らないと言う。


 汚れた体を洗い、毛並みを整えると、いっそう銀色の毛が際立った。

 

 こまは人の言葉を理解しているかの様にかしこかった。

 そして驚くべきはその身体能力である。

 まだ子供であろう小さな体から発する目を見張る様な素早い動き。

 大きな手足から伝わる剛力は大型犬並みである。


 ……そして、ピョコリと立った両耳の間に小さな角が生えているのだ。


(この子……いのししだったの?)


 力強い大きな手足、口から覗く牙。そして角。

 鹿しかでは無い……よね……この短い手足にコロッとした体格……。

 

 母は呑気のんきにこう言う。


「あらあら……銀のいのししなんてすごく縁起えんぎがいいじゃない」

「父さまもいのししの生れ年だから……ふふふ」


 いつも元気に駆けまわるこま

 しかし……。

 時折、人間の様な眼差しで、遥か遠くを悲し気な瞳で見つめる狛が紅葉の心には引っかかる。

 そんな時は、ワシャワシャとお腹と首元をなでで機嫌をとってやる。

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