第1章 第六天の娘

第8話 紅葉 商いを始める

 一人の娘が丘の上から眼下に望むように、帝都の街を見ていた。

 真っ赤に燃え上がる炎が辺り一面に広がり、火柱となって天に昇る。

 その炎は、都を喰らう火龍の様に暴れのたうち、次々と街の建物を呑み込んでいく。


「いやああああっ!」


 娘は泣き崩れた。


「父上様っ!―――父上様っ!」

「わああああっ―――」


 泣き崩れる娘を抱きしめる様に青年がひざをつく。


官兵衛かんべえさまっ」

官兵衛かんべえさまっ!」

「……」 

官兵衛かんべえあにさまっ!」

「こんなのっ!―――いやだっ!」


 娘は声がかれれる程に悲痛な声をあげ、青年の着物のえりを握りしめ泣いた。



「おいっ!」

安曇あずみっ」

安曇あずみっ!―――しっかりしろっ!」


 娘がパッと目を見開いた。

 目の前には心配そうに女の顔をのぞき込む無精髭ぶしょうひげの男。


官兵衛かんべえさまっ!」

 女は無精髭の男に抱きついた……。


「また……怖い夢を見たのか?」

 無精髭の男は、女の頭をでながら優しく言った。


「……」

「……」

「怖い夢を見ない様に……また一緒にいのろう……」

「第六天さまに……」


 女は無精髭の男の胸に顔を押し付け、コクリコクリをうなずいた。



 ◇◆◇◆ 薬売りの娘・紅葉


 とある小さな田舎の村に、一人の娘子が生を受けた。

 父親は飾り細工を生業とする職人で、名を”官兵衛かんべい”という。

 細身な体格にしてはガッシリとした肩幅と無精髭を生やした無骨ぶこつな感じの男だが、官兵衛が作るかざ細工ざいくは繊細で評判が良く、遠く離れた町からも商人が買い付けにやって来るほどである。

 母親は山で採った薬草を加工し調合する薬師やくしで、名を”安曇あずみ”といった。

 雪のように白い肌、瓜実顔に聡明なひたいが、どことなく宮中で働く女官を思わせた。

 安曇あずみの調合する薬も切り傷や腹痛、虫刺されなど良く効くと村で評判であった。


 いつの頃からかこの村に現れた二人は、村外れの山間やまあいに建つ小さな水車が回るわらぶき屋根の家に住んでいた。


 二人の間には長らく子共が授からなかったが、ついに念願の子共が誕生した。

 娘子の名は”紅葉くれは”という。

 たまの様な肌を持つ元気な子であった。


 ◇


とうさまっ。かあさまっ」

「ほらっ」

 

 手習いを始めたばかりの愛娘が、描いた筆字を二人に見せた。


 ……二人は顔を見合わせる。


「おおおっ……上手うまいなあ」


 顔がほころびぶ二人であるが、内心不安が募る。

 この娘は要領が良すぎるのだ。

 何をやらせても直ぐに覚え、大人以上の成果を出す。

 悪い事では無いのだが……。


「まあ……これはこれで……」


(きっと俺の器用さに似たな……)

(私の才能を引き継いだのねっ……)

 と、言いたげに父母の二人はチラリッと目を合わす。


「今日は母さまのお手伝いをして薬草をせんじてみたいっ」


 小さなの手の平を広げ、大きな黒真珠の様な瞳を輝かせながら二人を見上げる。


「よーしっ!」

「母さまに教えてもらって良い薬を沢山頼むぞっ」

「……」


 目を細めながら官兵衛は、紅葉をスッと抱き上げると愛娘の頭をでる。

 紅葉の後ろ髪には、官兵衛はの作った髪留め細工がキラキラと揺れた。


「また三人で一緒に隣町へ商に出かけるとするかっ!」

「おおっ……そうじゃっ!」

「今度は、紅葉くれはが調合した薬も売ってみるかっ!」


 顎髭あごひげでながら、ニヤリと何やら思いをめぐらす父。


「がっはっはは」


 母娘の驚く二人の顔を見た官兵衛は、一人で愉快ゆかいそうに笑った。


 ◇◇◇


 春が巡り―――。

 十三才になった娘・紅葉くれはの髪は腰まで伸び、背も高くなった。

 母親譲りの白い肌と聡明な額。幼い愛らしさが残る潤んだ黒い瞳が印象的な娘。

 後ろ髪を一つに束ねると、動きやすい衣装を着込み、日除けの旅笠をかぶる。

 大きな薬箱を背負った紅葉は、隣町を一人歩いていた。


 夜明け前になると毎日の様に家の裏手にある山に分け入り、薬草を採りに行くのが紅葉の日課である。

 家に帰れば山で採ってきた薬草を加工し調合する。

 作り貯めた薬ができれば、隣町に自ら行商に出かける様になっていた。


 この町は、けっこう賑やかな町である。

 紅葉の住む村とは違い、大通りを歩けば色々な店が左右に建ち並び、人々の往来も多い。

 子供の頃には父と母に連れられ三人でよく来た町並み。

 この町は時間が止まったかの様に昔とあまり変わってはいない。

 

 最近はこうして一人で行商にやって来ることが多くなった。

 忙しく働く町の商人や職人たち。飛び交う人々の声。

 着飾った町の娘たち。

 キレイなかんざしが並ぶ小間物屋。

 いい匂いがする店先……。

 ちょっと休憩する、いつものお茶屋さん。

 自分が調合した薬を買ってくれる、お得意様も増えてきた。

 

 空を見上げれば、真っ青な空に白い大きな雲がゆっくりと流れていく。


(よしっ! 順調っ! 順調っ!)


 今にも叫び出しそうな瞳で、小さな拳を力強く握った。


 ◆


 大きな薬箱を背負った行商人姿の娘・紅葉はキョロキョロと町を散策し、人々の様子を観ながら歩いていく。

 

 前から来る若い男女とすれ違った。

 通り過ぎた女は何やら辺りを見回すと、すれ違った娘を振り返る。


「あらっ……花のいい香り……」


 薬箱に吊るした自作の匂い袋が風に揺れ、鼻先に香る。

 女は連れの男のそでをクイックイッと引っ張ると物欲しそうに顔を近付けた。


 ◇


 暫く通りを歩いて行くと、路上に店を出している八百屋のおばさんが元気な声で話しかけてくる。


「おばさんっ! こんにちはっ」


 八百屋のおばさんが、野菜片手に手招きをする。


「紅葉ちゃん」「紅葉ちゃん」

「この前もらった薬っ!」

「良く効いたよおっ」


「こんな商売だろっ。声の出し過ぎで時々、のどが痛くてねえ」

「あの薬を飲んだら、スーッとのどの通りが良くなったよ」

「もう一袋、売ってもらえるかいっ!」


 ニコリッと笑うと、背負った薬箱を降ろし、ゴソゴソと薬箱の中を探る。


「うちの旦那の酒癖さけぐせを直す薬もあると、いいんだけどねえ」

「がっはははは」


 と大笑いする八百屋のおばさん。


「ぷっ」


 元気なおばさんの大笑いにつられて紅葉も笑ってしまう。

 

 ポンポンとひたいに指を当て本気で考える仕草をする。


「考えてみるわっ……すごく苦い薬……が良いのかな?」

「……」


「紅葉ちゃん。また、をやっておくれ」

 と八百屋のおばさんが、拝む様に両の手の平を擦り合わせ目を細める。


「それじゃあ……一曲だけ……」

 紅葉は、背負った大きな薬箱を地面に置くと、手書きの昇り旗を掲げる。

 

 準備が終わると、腰帯に挿した篠笛を取り出し、唇に添えた。

 そして、目を閉じるとゆっくりと息を吹き込んだ。


 篠笛の高い音色が空に舞う。

 美しい笛の音色が風に乗って道行く人々の頬を撫でた。


 道行く人が足を止める。


 笛の音に導かれる様に一人、二人と町人が集まって来る。

  

「あれっ。薬売りの娘よっ」

 と最近、噂を聞いた耳の速い町娘が声をあげる。

 


 その音色は不思議な音色であった―――。

 まるで過去の幼い自分に戻った様な感覚を想わせる。

 体がフワフワと軽くなり、涼やかで甘酸っぱい温かな想いが体を包む。


 曲が流れるにつれ、目の前で篠笛を奏でいるはずの小さな薬売り娘の姿は、集まった観客たちの瞳には映らなくなっていた。

 ただただ観客は、目を閉じ、その場で風の様に肩を揺らした。


「…………」


「パンッパンッ! はい、はい皆さあん」

「お代は、この娘の売っている薬を買ってあげなっ」

「良く効く薬だよっ!」「私の保証つきだあ」


 と八百屋のおばさんが、夢見心地の観客相手に薬を売り込む。


「うちの新鮮な野菜もっ買っとくれ。安くしとくよっ!」


 商売上手なおばさんである。

 あっという間に残った薬が売れ、紅葉とおばさんが合いの手を打つ。

 

「おばさんっ。ありがとう」

「紅葉ちゃん。またおいでっ!」


 と腕まくりをすると、呉葉の小さな背中をポンッと叩いて見送った。 

 

 ◆媚薬


 陽も暮れようとする夕刻。

 お得意様を数件回り、用意していた薬を全部売り切った紅葉くれはは家路を急ぐ。


 実家の横のカラカラと回る水車が段々と近づいてくのが見えてきた。


「あらっ」「佐吉さん」


「……くっ紅葉くれはっ……!」


 家をのぞく少年が驚いた様に振り返る。

 同じ村に住む庄屋しょうやの息子・佐吉である。

 歳は三つ上の体格のいい利発な男の子である。


「こっこれ……」

「川で獲れたあゆじゃ」

「くっ、喰ってくれ」


 と魚籠びくに入った鮎を紅葉に差し出す。


「佐吉さんっ」

「いつもありがとうっ」


 礼を言う紅葉の笑顔にドギマギした様子で目をそむける。


「あらっ」

「怪我してる?」

 

 魚籠を差し出した手の甲に漁で拵えた引っ掻き傷があり血が滲んでいる。


 紅葉は佐吉の手をサッと取ると、傷を調べる様に目を凝らす。


「こんな傷っなめていれば大丈夫じゃ」


 慌てて手を引っ込めようとする佐吉。


「ダメっ」

「病気にでもなったら大変っ……」

 

 紅葉はふところから布に包まれた二枚に合わさった貝殻を取り出すと、貝の殻を開く。


「これっ私が作った軟膏薬なんこうやく……良く効くよ」


 人差し指を自分のくちびるに当て、舌でペロリとなめめると、佐吉の傷口を拭う様になででる。

 そして薬指で軟膏をチョンチョンとすくい取ると傷口に優しく塗り込んだ。


「はいっ」

「これで良しっ!」


 と自慢気に佐吉の顔をのぞき込む。


「んっ、んんんっ……」


 照れて咳払せきばらいをする佐吉に紅葉の白い歯がのぞく。


「まっ、またなっ」


 と言うと、佐吉は一度つまずきながらも慌てて走り去っていった。


 紅葉は首を傾げ、不思議そな顔で佐吉の去っていく後ろ姿をながめていた。

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