君の話③

「琴、おいで〜!」


 母さん?煙がかかったように母さんが僕を呼んでいる。母さんに触れようと手を伸ばすけどその手は届かない。煙は掴めなくて、ずっと、ずっと先に行ってしまう。


「待ってよ!母さん!」


 外で雀が鳴いている。目頭から一粒の涙が頬を伝ってベットに落ちていた。夢か。嫌な夢を見た。

 それもそのはずだ。母さんはもう何年も前に星になってしまった。だから、掴めるはずもなくて喋れるはずもない。当然のことだけど、夢の中だけでも母さんと喋りたかった。

 僕は涙を拭って朝ごはんを作りに行く。父さんが怪我しているので、朝ごはんなどの家事をしているのだが、今リビングでクマ柄のエプロンを付けて朝ごはんを作っている父さんは偽物だろうか。


「……父さん?何してるのかな?」


「あ、あぁ。琴、おはよう」


「おはよう。それで何をしてるのかな?」


「ちょっと、朝ごはんを作ろうかと……」


「足怪我してるのに?なんで?」


「はい、すいませんでした。でも、ご飯出来たので食べましょう」


 問い詰められた父さんは謝ったが、朝ごはんを作り終えてしまっていた。松葉杖をつきながらよく作れたなという関心と、逆に足を悪くしないかという心配が寄せては押し返していた。

 父さんは簡単にパンをトースターで焼き、その上にハムとチーズを乗せた簡単サンドウィッチを作っていた。簡単サンドウィッチを一口。口の中で旨みの濁流が寄せてくる。


 サンドウィッチのお皿を洗っていると、父親が申し訳なさそうな顔でこちらを見ていた。


「……琴、これ」


「作ったんかいな……ゆっくりしておいてって言ってるのに」


「いやあ、癖でなあ。作ってしまうんよな」


 父さんは背中に弁当を隠していた。申し訳なさそうにしていた理由はこれか。怒られた後の犬のような顔をしているので、本当に申し訳ないと思っているのだろう。

 もう何年も弁当を作っているので朝のルーティンとして、父さんの体に染み付いてしまっている。それは、有難く感じられて、申し訳なくも感じる。


「作ってしまったものはしょうがない。ありがとう。今度からは購買で買うか自分で作るからね」


「おう。じゃあ、行ってらっしゃい」


「行ってきます」


 見送られて太陽の下に出る。燦々照りの暑さは皮膚を焼くようだ。焼くような暑さから逃げるために、家の黒く伸びる影に身を寄せてあって暑さを凌いでる。

 彼女は木陰の下の影に身を寄せて、暑さを凌ぎながら僕を待っていた。白いワンピースも麦わら帽子も何も被ってない。夏の風物詩というものを一つも身につけていないのに、彼女の佇まいは夏の風物詩となって道行く人の視線を奪っていた。


「あっ、琴くん〜!」


 彼女が僕に気付いて手をパタパタと振る。久しぶりに見た彼女は元気そうで何も変わっていなかった。


「久しぶり、体調は大丈夫なの?」


「元気、元気ー!お兄さんもお姉さんも元気!」


「それは教育番組の挨拶だね」


 これぐらい冗談を言える元気があれば大丈夫だろう。

 学校へ向かう途中に富澤とその他の女子とすれ違う。面倒臭いので、これからは富澤一派と呼ぶことにしよう。


「あ、月海さん〜!!元気になったのね!良かった!」


「うん、元気になったよ。心配してくれたんだったね、琴くんから聞いてたよ」


「あの男伝いってのが気に食わないけど、本当に心配してたのよ」


「おい、どういうことだよ」


「ちょっと、今二人の空間なの入ってこないで」


「俺は大気汚染扱いか」


 富沢に大気汚染扱いされたせいで蚊帳の外になる。二人が楽しそうに話している後ろを富澤一派の女子と付いていく。

 教室に着くと二人は話すのをやめて、富澤は一派の女子と話に行き、彼女は僕と。

 空白の机が今日は空白ではない。横ではにこやかに笑って楽しそうに話している彼女が座っている。


「ねえ、話聞いてた?」


「ん?あぁ。食パンにはいちごジャムが至高って話でしょ?」


「そんな話してない!聞いてないじゃん、もう」


「ごめん、ごめん。それで何の話だっけ?」


「夏休みどこか遊びに行かないって話だよ」


「あぁ、三人で?」


「違うよ、二人で」


 二人で。耳くそでも詰まっていただろうか。女子と二人きりでどこかへ行く?この僕が?何といやらしい聞き間違えだろうか。モテないからといって、こんな幻聴が聞こえてくるなんて。


「もう一回言って?」


「だから、二人でどっか遊びに行かない?」


「なるほど。なるほど。二人でか」


 ここで断ると男が下がる気がした。だから、僕は平然を装いながらいいよと言う。内心は焦りまくりだったけど。

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