矛盾した心②

 僕は天井のシミを呆然と数えていた。一、二、三。果てしないシミの数は数えさせるのを途方に感じさせる。

 しかし、よく見てみると天井というのは無機質なものなんだな。木なので無機質なのは当たり前なんだけど、こう違う無機質さを感じる。

 なんというのだろうか、木は触ったり見てたら暖かさを感じる無機質をしているが、天井は暖かさも何も感じない冷酷な無機質という感じだ。


 そんな無駄なことを考えていると、スマホが音楽を部屋に再生する。ディスコのように音楽が爆音で流れる。


「はい、もしもし?」


 部屋がデイスコになった原因は彼女からの電話だった。天井のシミを数えていた目をスマホの方に移す。


「元気〜?」


「暇すぎて天井のシミを数えてしまうぐらいには元気だよ」


「かなり元気だね。どこまで数えた?」


「百数えたぐらいで数えるのをやめて眺めることに専念してたよ」


「要するに飽きたって事ね」


「物は言いようだね」


 飽きたとは言っていない。ただ数えるのが疲れただけだ。だって、そうだろう。天井のシミは自然的に出来る人間のシミとは違って、果てしなくある。その果てしなさは宇宙より解明されいない海のようだ。


「一週間後には学校行けるよ」


「夏休みに入る直前だね。体調そんなに悪いの?」


「ううん。悪くは無いんだけどね、大事をとって」


 一週間も学校に来られないということは、かなり深刻なのではないだろうか。声は元気でハツラツとしているけど、いくらでも取り繕えてしまうものなんだ。僕はそれをよく知っている。

 病気を患っていても、どんなに体を蝕んでいく大病を患っていようと人間は明るく振る舞うことを、体の細胞は覚えている。


「そう、無理しないでね」


 精一杯の言葉。湧き出る言葉の水からすくい上げたやっとの言葉。


「それでさ、文化祭で出し物」


「却下。それは絶対にしない」


 文化祭での出し物は全霊で拒否する。絶対にしたくないことランキング堂々の一位に君臨する。

 三年間ずっと見てきた。地獄のような空気と出し物を。身内でしか盛り上がれない出し物を。あういう場所では、身内ではなくお客側に立たなければ面白いものは絶対的に出来上がらない。


 小説家だった母さんがよく言っていた。物語は私達の独りよがりじゃ駄目なの、と。文化祭の出し物はその最たるものだった。


「やるからには面白くするしさ」


「それでもしない」


「もう頭でっかち!絶対させる気にさせてやるからね!」


「受けて立つよ。この頭でっかちを頑張って説得してみな」


「いいんだね?私もなりふり構わないよ!」


「いいよ」


「色気仕掛けするよ。ちなみに」


 色気仕掛けという言葉を聞いた瞬間、白旗をあげかけたけどすぐさま降ろす。ここで引いてしまったら、あの地獄に自分が足を踏み入れることになる。蜘蛛の糸も垂れない地獄に足を踏み入れる勇気なんて僕にはなかった。


 そこから四時間半通話した後に、お風呂入るという理由で僕の方から切った。


 スマホのメッセージ画面に四時間半という文字が表示された時は驚いた。二時間半しか通話していないと思っていたのに、その二倍話していたとは。時間の流れは早い時もあれば遅い時もあるんだな。


 お風呂の準備をして僕は湯船に浸かろうとした時家の固定電話が鳴る。慌てて下半身にタオルを巻いて脱衣所から出る。固定電話が鳴る時は非常時の時のみ。今鳴っているという事は父さんの身に何が起こったことを教えていた。

 冷や汗がふきでる。体が冷えての震えじゃない。これは分からない恐怖への震えだ。

 父さんが亡くなったかもしれない。父さんが大怪我をして動けなくなった。父さんが、父さんが、父さんが、父さんが、父さんが。

 溢れ出る嫌な予感が的中しないでと願いながら固定電話に出る。


「あっ、もしもし?音成先輩の家ですか?私は部下の成瀬綾美なるせあやみって言います」


「はい、もしもし。音成琴です。父は大丈夫ですか?」


「大丈夫だよ。音成先輩、君のお父さんが今日階段から転げ落ちてね。息子が心配だから電話してくれって。先輩、 階段から落ちた時にスマホ壊しちゃったみたいでさ」


 言葉が詰まる。震えていた体は止まる。

 良かった、良かった、と心の底から思う。父が亡くなってしまったら僕はどうしたら良かったのだろう。今は嬉しい知らせに心を躍らせよう。


「はい。ありがとうございます。父が大丈夫そうなら良かったです」


「それでね。怪我の方はそんな悪くないんだけどね、経過観察的な感じで三日ぐらい入院することになったんだ。だから、明日ぐらいに着替えの服持ってきてもらえるかな?」


「はい、分かりました」


「あ、それとね。今日の夜ご飯は音成先輩の部屋にある非常用の財布からお金を取って食べなさいだって。分かる?」


「はい、分かります」


 非常用の財布。父が何かあった時用にいつも机の上に置いている財布。新緑の色をしていて目に優しくて綺麗な財布。


「じゃ、伝えること伝えたし。うん、大丈夫だね。あ、そうそう。何かあったら私に電話かけてね」


 成瀬さんの電話番号を教えてもらう。そのあと電話は切れる。

 強ばっていた身体が緩くなって体にもたれかかる。よろよろよ立ち上がって冷めてしまった体を湯船につける。

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