矛盾した心①

 今日は彼女がいなくて、平穏で静かな一日だった。授業中も集中していれたし、横から聞こえてくる気持ちよさそうな寝息も聞こえなかった。

 でも、なんか少しだけ違う気がして一人だというのが骨身に染み渡って辛かった。前まで普通だった、一人というのが。横に誰かいるというほうがイレギュラーなアクションだったのに、ここ最近は立場が変わりつつある。


 彼女とは会って日は浅い。なのに、昔から一緒にいたような、どこかで会っていたような楽しさと安心感がある。


 明日は来るのかなとからしくもないことを考えていたりしている僕がいたことに驚く。なんで、こんなことを考えているんだ。答えは出ないまま、思考は夜の町の星空に煌めいて消えていく。


 朝、雀がちゅんちゅんと鳴く。階段を慌てて昇ってくる足音が聞こえて僕は目が覚めた。まだ寝ぼけていた頭を起こすかのように父さんが扉を勢いよく開けた。


「琴!起きろぉ!!遅刻だぞ!」


「んあ?」


 血相を変えた父さんが遅刻と叫ぶ。処理が追いつかない僕は時計に目をやると、時刻は八時十分を指していた。見てはいけないものを目に入れた瞬間に頭は一気に電源を稼働させる。


「うあああ!やっべ!遅刻だ!」


「琴!父さんも寝坊したから、購買で今日は飯を買ってくれ!これお金!じゃっ、父さん大事な会議あるからもう出るな!」


 父さんは僕に二千円を手渡してくる。スーツを翻して父さんは慌ててまた階段を降りていく。僕も急いで歯を磨きに行って、いつもは直す寝癖を今日は放置する。制服に腕を通したら、家の鍵を閉めてダッシュする。


 学校に着いたのは、朝のホームルームが始まる五分前だった。滑り込みセーフで遅刻は免れる。

 今日も僕の横の机は空白だった。彼女という文字が机に書き込まれるのは、いつになるかは分からない。富澤もチラチラと彼女の机の方を見ていた。今日もまた一人か。


「音成!」


「は、はい。なんでしょう?」


 昼休みになって屋上に行こうとすると、後ろから富澤が呼び止めてくる。しかも語調が強く、怒っているように聞こえた。富澤の逆鱗に触れた覚えは無いので、ビクつきながら振り返る。


「月海さん最近来ないけど何か知らないの!」


「体調壊したらしいよ。次いつ来るかは知らない」


「そっ!ありがとう!」


 富澤はちゃんとお礼を言って取り巻きの女子の方へ去っていく。謎に礼儀が正しいんだな。

 今日もまた一人の屋上飯。いや、これが普通なんだけど普通じゃない気がする。ひとりぼっちってこんなに辛いものだっけ。前まではひとりぼっちが普通で居心地が良かった。誰かと居ると気を使わないといけないから、一人でいる方が居心地が良かった。

 なのに、今は横に彼女が居た時の方が居心地が良い。


 僕は誰かと仲良くしたいのだろうか。から僕は人と一線を引くようになってしまった。自分の気持ちに蓋をして、人に気を使って、それが疲れたから自分から離れていった。それなのに、今は矛盾した心を持ってる。矛盾した心は鎖のように心臓を縛り付ける。

 小難しく物事を考えているが、結局は簡単な答えなのだろう。今はまだ考えようとしてないだけで、きっと考えたら直ぐに辿り着けるような答え。でも、それを矛盾した心が縛り付けてくる。


 僕はきっとあの時から心が動いていない。まだあの時の心を、母を忘れないために心を昔のままに保存して、自分の気持ちをその時に置いてきて、今の気持ちは追い付けない。


『琴くん〜!元気〜!?』


 スマホが振動する。彼女からのメッセージだ。


『うん、元気だよ』


『今日のご飯は何?』


『購買のクリームパン』


 屋上に行く前にB棟の一階にある購買でクリームパンを二つ買っていた。購買のクリームパンは人気で買えないことが多いのだけど、今日はたまたま二つ残っていたので全部買わせてもらうことにした。

 クリームパンは噂に違わない美味しさで口の中にクリーム特有の甘さが広がっていた。


『お弁当じゃないんだね』


『今日、寝坊して遅刻ギリギリ』


『琴くんでも寝坊するんだね』


『そりゃするよ。人間だもん。あ、そういえば富澤が心配してたよ』


 あれを心配していたと言っていいのか迷ったが、二日休んでいる彼女のことを聞いてきたのできっと心配しているのだろう。そう、勝手に決めつけた僕は富澤のことを伝える。


『あっ、本当?私はバリバリ元気だって言っといて』


『えっ、俺が?』


『当たり前でしょ。琴くん以外に誰がいるっていうのさ』


 彼女からめんどくさい役回りを与えられる。富澤とは仲良くは無いというか、むしろ敵対されているような気がしている。伝言なんてもってのほかで、声をかけようとしただけできっと嫌なそうな顔をするだろうな。


『でも、まあ、うん。いいよ』


『あっ、本当?じゃあ、私寝るから伝言よろしくね!』


 僕はクリームパンのゴミをポケットに突っ込んで、教室に帰る。黒板前で友達と楽しそうに話している富澤を見つけるが、流石に人が多すぎた。僕は声をかけようとするのを辞めた。

 だって、あそこで声をかけたら絶対変なこと言われる。例えば告白だとか。それはちょっと面倒臭いので放課後に伝えることにする。


 そして放課後になるが、富澤はまた友達と一緒にいた。ずっと一人になる瞬間を見計らっていたがずっと誰かといる。どうしたものかと考えていると、富澤が柱の影に隠れている僕に近づいて来る。


「あんた、今日私の事ずっと見てるけど何?」


「あっ、バレてましたか?」


「もろバレよ。んで、なんか用あるんでしょ?どうせ」


 どうやらずっと見ていたことがバレていたらしい。ガン見をしていたのでバレていてもおかしくはなかった。けれど、それが効果を成して僕からではなく、彼女から来てくれたので良しとする。


「まあ、うん。月海さんからさ、私は元気だから心配しないよう伝えるように言われたからさ」


「ふーん、そっ。それだけ?」


「はい、それだけです」


「あっそ。じゃ、バイバイ」


「バイバイ」


 富澤はまた一緒にいた友達の方に戻って行く。


『伝えたよ』


 僕も下靴に履き替えて家に帰る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る