バイバイ②

 観音様から降りた僕と彼女はその場で解散する。


「じゃあ、琴くんまた明日学校でね。バイバイー!」


「うん、また明日。バイバイ」


 ハブから逃げるために酷使した足は悲鳴をあげており、足に二トンの重りを付けているように重かった。重りをつけられた足を引きづりながら、家へ帰るのは億劫だった。

 観音様から家までは約三十分かかる。三十分間この足を引きづりながら帰れないといけないのかと、落胆していたら胸ポケットに入れていたスマホが振動する。

 胸ポケットからスマホを取り出すと、月海紅葉と書かれていた。彼女からの電話だ。僕は、彼女からの電話に出る。


「もしもし?どうした?」


「あっ、もしもーし。いやあさ、足が重たくて一人で帰るの辛いからさ、琴くんと喋りながら帰ろうかなと思ってさ」


「重り付けてるみたいに足重たいよね」


「そうそう。そうなんだよ〜、あのハブのせいで足パンパンだよ」


 スマホ越しから聞こえる彼女の声は弾んで聞こえる。今どんな表情をして、どんな行動をして喋っているかは分からないけど、声色だけは伝わってくる。夕暮れ時に母親と帰る時のような安心感を通話越しに感じる。

 空はすっかり橙色に染っている。ほんの少しだけ見える月がこれから訪れる夜を知らせる。


「あ、見て!月が薄らと見えるよ!」


「もう夜になるもんな。夕日も直ぐに勤務交代だよ」


「夕日ってさズルくない?」


「急に何の話?」


「琴くんさ、今勤務交代って言ったじゃん?」


「言ったよ」


「そう考えたらさ、太陽は夕方まで働くでしょ?んでさ、月はさ朝まで働くでしょ?でも、夕日はさ、大体四時から七時ちょっとまでじゃん?」


「最後だけ、やけに具体的だね。でも、そうだね。そう考えたら夕日だけ働く時間少なくてズルいね」


「でしょ〜?」


 よく分からない説明だが、言ってることは理解出来る。月と太陽に比べたら夕日が出る時間は短い。

 でも、それ故に神秘さを醸し出している気がする。少しの間しか現れなくて、気付いたら月になっている夕日。太陽と月は色を持たないのに、夕日だけは橙色を持っている。少しだけ、特別な存在。


「あ、もう家に着く!」


「僕も、あと少ししたら着く」


「早いね〜。やっぱり誰かと話していたらすぐだね」


「そうだね」


「じゃあ、さっきも言ったけどまた明日学校でね!」


「うん、また明日学校で」


 二回目の別れの挨拶の後に電話は切れる。

 次の日、僕はいつも通り父さんと朝の会話をして学校に向かう。昨日は、木陰で彼女が待っていたのだが今日は姿がなかった。スマホを取りだして時間を確認すると、少しだけ余裕があったので来るかも分からない彼女を待ってみることにした。

 しかし、五分が経っても彼女が姿を見せることは無かった。僕はこれ以上待つと学校に遅刻するため、学校へ向かうことにした。


 そもそも、昨日はたまたま待っていただけで、今日も待っている保証なんてどこにもなかった。僕は自惚れていた。

 学校へ着いて、教室に行くと机の横は空白だった。窓から射し込む木漏れ日が、彼女の机を照らしているだけだった。僕は椅子に座って小説を読み始める。


 朝のホームルームが始まる少し前になっても、彼女の姿は見えなかった。そのまま朝のホームルームが始まった。


 一限目が終わっても、二限目が終わっても彼女の姿は一向に見える気配がなかった。どうやら、彼女は休みのようだ。昨日の走りが体に空く影響を及ぼしたのかもしれない。


 昼休みになって、僕は一人で屋上に行く。フェンスに腰をかけて、弁当を食べながら彼女にメッセージを送る。


『体調どう?』


 いや、なんか違うな。と思い打った文字を消す。それを何回も何回も繰り返して、結局打ちかけたままスマホを胸ポケットに入れる。

 二日ぶりの静かな屋上はどこか寂しく感じれた。青く澄渡る空に白の雲が優雅に泳いでいる。風が頬を撫でながら、水平線の方へと流れていく。美しい空とは反対に屋上には哀愁が漂っていた。


 やっぱり、もう一度彼女にメッセージを送ろうとスマホを付けると、先にあっちの方からメッセージが来る。


『今日、私が居なくて静かでしょ?』


 僕の心を見透かしたような文が一つ。


『うん、静かだね』


『そこは静かじゃないよって言わないと〜。私がうるさいって言ってるようなものだよ?』


『一人なのに静かじゃなかったら、僕は一体何をしてることになるんだ?』


『……叫んでる?』


『なんで君が言っておいて疑問形なんだ。学校の屋上で叫べるはずがないだろう。バレたら退学になるかもしれないんだから』


『それもそっか!』


『そういえば、今日学校来なかったけど体調でも悪くなった?』


『そんな所かな。昨日の走りのせいかもしれない』


『やっぱり。安静にね』


『うん。ありがと。じゃっ、体調悪いから寝るね〜。学校頑張ってね。バイバイ』


 彼女は昨日の無理が祟って体調を壊してしまったらしい。スマホを胸ポケットにしまい、空を呆然と眺める。

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