第2話

 六年生に進級したころ、母さんは男の子を出産した。母さんと継父の子だ。それと入れ替わるようにして、継父にガンが見つかった。直接話してくれたわけじゃない。母さんと継父との会話で知った。

 継父はガンにもかかわらず入院しなかったし、病院に通っている様子もなかった。僕や母さんが飲み食いしている健康食品の力で、ガンはすっきりさっぱり治ってしまうらしい。むしろ医者になんか行ったら余計に悪くなると、継父は吐き捨てていた。

 そんな継父の周りを、サメは付きまとうように回っていた。ぐるぐるぐるぐる泳ぎ回って、ときおり頭からかぶりつくようなしぐさを見せた。もちろん、サメは僕にしか見えていないから、それで継父が血を流したりするようなことはなかったのだけれど。


 数か月して、継父はサメに食われるまでもなくガンで亡くなった。苦しんで苦しんで苦しんだ挙句、最後はほとんど幽霊みたいな顔になって、ベッドの上で息をひきとった。

 父さんが死んだときと違って、継父が死んでも悲しくなかった。母さんは泣いてたけど、僕の目からは一粒の涙も流れなかった。

 継父は背が高くてイケメンだけど、それだけだった。父さんみたいに水族館に連れていってくれたり、車でラーメン屋やファミレスに連れていってくれることもなかった。そもそもあんまり家にいなかったから、話をした記憶もあんまりない。

 

 継父が死んでも、母さんは変わらなかった。いや、弟が生まれたことで、子育てと仕事で疲れを見せることが多くなった。前はあれこれ文句をいうこともあった僕だけど、このころから母さんは前にもましてピリピリするようになって、ちょっとでも口ごたえしようものなら「こっちは忙しいのにあんたのこと考えてやってるんだから!」と、すごい剣幕で叱られるようになった。僕は兄になったんだから、いろいろなことを我慢しないといけないのかも……そう思った僕は、母さんの言うことに黙って従うようになった。


 母さんは毎日、本当に頑張っていたと思う。母子家庭で、下の子は小さくて、他の家事は僕が色々とやっていたけれど、食事だけは全部母さんが作っていた。忙しいにもかかわらず、冷凍やインスタント、出来合いのお惣菜を食卓に出すことなく、手づくりにこだわり続けた。理由は尋ねなくてもわかる。冷凍やインスタント食品や出来合いのお惣菜には添加物が入っていて、それは人体に有毒だからということだろう。


 中学二年の夏休みが終わったころのこと。家に帰ると、珍しく母さんが家にいた。いつものように風呂掃除をしようとすると、浴槽にはこげ茶色に濁ったお湯が張ってあった。


 ――また何か、健康のためのものかもしれない。


 健康マニア……というには度が過ぎていた母さんの思考を、僕は読めるようになっていた。


りょうくん、お風呂にマコモの粉入れたから、今度からお湯抜かないでそのままにしてね」


 濁ったお湯の正体は、こっちから尋ねなくても、母さんの方から教えてくれた。


「え……お湯換えなきゃ汚くなっちゃうんじゃないの?」


 そう疑問を投げかけた僕に対して、母さんは、


「マコモはねぇ、体の毒を排出してくれる効能があるの。それにマコモは絶対腐らないし、なんなら水質をきれいに保ってくれるから、お湯を換えなくても大丈夫なのよ。むしろ換えたらだめなんだって」


 と解説してくれた。


 最初のうちは、浴槽掃除の手間が省けて楽だった。けれど三日四日ぐらいすると、お湯はあからさまに不快なニオイを放つようになって、表面にも透明のヘンな膜を張るようになった。あまりにニオイがひどいので、僕は湯船に浸からずシャワーだけで風呂を済ませるようになった。

 僕は目立った反抗こそしなかったけれど、母さんが世間一般とはズレていて、おかしくなっていることは察していた。僕は中学生だから、そういうことを理解できるアタマがある。けれどまだヨチヨチ歩きの二歳児に過ぎない弟の健児けんじは、一切の抵抗ができない。母さんによってあの異様な湯船に浸けられた弟の肌は、見るも無残に荒れていった。一日中ボリボリ体をかいている弟を見た僕は心配になって、「ケンちゃん、大丈夫なの?」と尋ねてみた。すると母さんは、


「これは好転反応って言ってね、体が毒を出してるからこうなってるの。もう少し我慢すれば、毒が抜けきって健康になれるのよ」


 と答えてくれた。答えた母さんの肌もガサガサで、腕にもかきこわした痕があった。赤くなった首元は粉をふいている。そんな母さんの周りを、サメはぐるぐる回っていた。

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