第27話

お寺で暮らし始めてから5日目の夜、彼が部屋でひとり本を読んでいた時、遠くの方でドンっという音が鳴り響いた。彼が窓を開けてみると、海辺の夜空に次々に花火が打ち上がっているのが見えた。山の方にある寺からは小さくしか見えなかったが、色とりどりの花火は夜空に鮮明に浮かび上がっていた。それを見た彼は思わず、

「たまや~!」と声をあげた。彼は毎年ビル群の中から東京の花火を見上げていたので、田舎で見る花火は久しぶりだった。


「良かったら一緒にここで見ませんか?」という声が聞こえて下を見ると、庭から荒木さんが彼を見上げて笑っていた。彼は自分の声を聞かれていたことを知って少し恥ずかしくなったが、

「そっち行きますね!」と答えて階段を降りた。


彼が下に降りると、荒木さんが二人分のお茶を沸かして入れてくれた。彼は縁側に荒木さんと並んで座り、お茶を飲みながら夜空に咲く花火を眺めた。屋台で買うような焼きそばやたこ焼きは寺にはなかったので、代わりに二人でぼりぼりとせんべいを食べた。せんべいは醤油の味がよくしみていて美味しく、これはこれで悪くないな、と彼は思った。荒木さんは花火を眺めている時、昔を懐かしむような穏やかな表情をしていた。


「綺麗ですね~!」と彼が言うと、荒木さんは、

「そうですね。花火はいつ見ても良い物ですね。」と答えた。

花火大会が中盤の盛り上がりに差し掛かってきたのか、打ち上がる花火の数が次第に多くなって来た。ドドドっという音と共に、遠くの方で歓声があがるのが聞こえた。


「花火って、どうしてあんなに美しく見えるのかな。」と彼はふとつぶやいた。

口に出してから、馬鹿なことを言ってしまったと思い彼は荒木さんの方を見た。

「難しい質問ですね。」と荒木さんは言うと、お茶をずずっと飲んだ。

「人は花火を見て美しいと思う。それはもしかしたら、人が自分の存在の儚さを知っているからかも知れませんね。」


「儚さ、ですか?」と彼は荒木さんに尋ねた。荒木さんはふっと彼に笑いかけて、

「そう、はかなさです。」と答えた。

「人間が生きていられる期間なんて、地球とか自然の営みに比べたら一瞬に過ぎません。夏の夜空に花のように咲いて消える花火を見ると、人はその儚さに自分自身を重ねてしまう。だからこそ、特別に美しく見えるのではないでしょうか?」

荒木さんの髪には白髪が混じり、目じりには数本のしわが寄っていた。その言葉は年月を重ねた人にだけ言える、重みのある言葉だった。


彼は荒木さんの考えに驚かされると同時に、この初老の男性が田舎の寺へやって来た理由が気になった。

「あの、荒木さんてどうしてここで座禅を組もうと思ったんですか?」


すると荒木さんは苦笑いを浮かべて少しの間何かを考えていた。

やがて荒木さんは口を開くと、

「実は、最近離婚してひとりになってしまいまして。仕事も少し前に辞めて時間が出来たのでここへ来てみたんです。」と言った。

彼は不味いことを聞いてしまったかと思い顔をしかめたが、荒木さんはそれを見ると

「いや、いいんです。私が招いてしまった事ですから。」と言ってお茶をひと口飲んだ。


時間が経つにつれ、打ち上げられる花火の種類も変化してきた。中には、ヤシの木やハート型をした花火もあった。

「私は30年近く妻と暮らしていたんですが、その間いつも、自分の意見が家内にとっても良い事だと信じていたんです。だから意見が合わない時は声を荒げることもありました。それが正しい事だと思って。でも今よく考えてみるとそれは愛情ではなくて、単なるエゴの押し付けだったんでしょうね。今ひとりになってみると、そんな風に感じます。」


荒木さんは、自分の行動を悔いているというよりは、過ぎ去った時間がもう戻らないのだという事実を理解しようとしているように彼には見えた。

「そうだったんですね。」と彼は花火の方を見上げながら言った。

「でも荒木さんが今そんな風に感じるのなら、それは荒木さん自身がここへ来て変わってきたって事ですよね?それって凄く意味のあることだと僕は思いますよ。」


荒木さんはそれを聞いて、ほんの少し嬉しそうな表情になった。

「ありがとうございます。荒木さんのような若い方に励ましてもらえると、私も元気が出ます。」

花火大会は、丁度その盛り上がりのピークを迎えようとしている所だった。二人は遠くの夜空に咲く小さな花々を見つめながら、縁側でのひと時を楽しんでいた。


この寺を出たら、この人に会う事はきっともう二度とないだろうな、と彼は思った。だけど今は二人で、同じ花火を見上げている。ほんの一瞬でも心が通じ合うということ、それは素敵な体験だった。

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