第10話
祖父の入った棺が焼かれ始めた後、彼は母親に手を引かれて2階にある待合室に入った。
中には何人かの親戚が、向かい合わせに置かれた長いソファーに腰かけていた。
彼は両親と共に空いている場所に腰を下ろした。彼が何かを言おうとして母親を見上げると、母は人差し指を口に当てて小さく頷き、彼の肩にそっと手を置いた。
そこにいる誰も、何も言わなかった。
その頃はまだ携帯が普及していない時代だった。人々は皆思い思いに窓の外や中空を見つめて、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
彼の前に座っていた叔父は、時折思い出したように腕時計を見た。
静けさがその部屋を包んでいた。
まるでその部屋にいる全員が、眠りに落ちてしまったかのように。
部屋の隅に置かれた扇風機は、ゆっくりと首を振りながら風を送っていた。
その古ぼけたプロペラの音だけが、やけに大きな音で響き続けていた。
彼はその部屋の時間が、永遠に止まってしまったのではないかと思った。
世界は動き続けているのに、その部屋だけが歩みを止めてしまったのだと。
しばらく経った頃、向かいのソファーに座っていた従姉の夏希が彼の前へ来て
「ねえ、外行かない?」と言った。
彼と夏希はいつも帰省するたびに一緒に遊ぶ仲だった。
彼が父親を見上げると、父は行っておいでという様に軽く頷いた。
2人は外へ出ると、火葬場の前にあった草むらでバッタを捕まえ始めた。
夏の暑い時期だったからか草むらには大量のバッタが潜んでいた。
彼らは飛び跳ねるバッタを捕まえると、夏希の持ってきていたビニール袋にそれを入れていった。
しかしどれだけ捕まえても、バッタは後から後から無尽蔵に飛び出してきた。
気が付くとビニール袋の中はうごめくバッタで一杯になっていた。
そこへ火葬場から叔母が出てきて、
「もう終わったわよ。それ、ちゃんと逃がしなさいね。」と言った。
夏希がビニール袋をアスファルトの地面に向けて開けると、中から大量のバッタが溢れ出てきた。
バッタたちは外へ出ると、我先に草むらへ向かって跳ね始めた。
しかしアスファルトと草むらの間には、幅20cmほどの水路が流れていた。
ほとんどのバッタはその水路を飛び越えることが出来なかった。
水の流れは速く、バッタたちはあっという間に流されて行った。
二人はただそれを呆然と眺めている事しか出来なかった。
そして彼が火葬場に戻った時、祖父は既に骨になっていた。
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