第9話

その日の夜は、いつにも増して蒸し暑い夜だった。彼は夜中に何度も目を覚まし、そしてつかの間の眠りについた。眠る度に、彼はぼんやりとした夢を見ていた。


最後に見た夢の中で、彼は昼間と同じ様に、喫茶店の中で松岡さんと向かい合っていた。

彼女が母親の死を彼に告げた時、彼は昼間の時よりもずっと深く心が乱れるのを感じた。呼吸が荒くなり、手足の震えが止まらなくなった。それはまるで肉親の死を突然告げられた時のような感覚だった。


彼はしばらくの間、下を向いてパニックが通り過ぎるのをじっと待っていた。

ようやく少し落ち着いて顔を上げると、松岡さんはもうそこには居なかった。

彼はぽつんと喫茶店に取り残されていた。


明け方に目を覚ました時、彼は全身に汗をかいていた。

時計を見るとまだ5時を過ぎたばかりだったが、外は薄らと明るくなり始めていた。


彼は喉の渇きを潤すためにキッチンへ向かった。そしてグラスに水を注ぎ、一気に飲み干した。

流しに空のグラスを置いた時、彼の中にある光景が蘇ってきた。それは、子供の頃の、遠い昔の記憶だった。



祖父が亡くなったのは、彼がまだ小学校に上がる前の夏のことだった。

彼は両親に連れられて列車に乗り、福井へと向かった。

祖父は煙草好きな人で、最後は癌になって亡くなったという話だったが、当時の彼にはもちろんそんな事は分からなかった。彼が覚えていたのは、遊んでいる子供たちを見ている祖父の姿だった。祖父はいつもニコニコとして楽しそうだった。


田舎の家に着くと、祖父は棺の中に横たわっていた。

その姿は彼の目には、死んでいるというよりもただ疲れて横になっている様に見えた。彼が死んだ人を見たのはそれが初めてで、悲しいというよりは、祖父がなぜ動かないのかがただ不思議に思えた。


お通夜や告別式が行われている間も、それらの儀式が何のために行われているのか彼にはあまり理解出来なかった。時折周りに座っている親戚の人から、すすり泣くような音が聞こえた。そして祖父が入った棺は霊柩車に乗せられて、街のはずれにある火葬場へと運ばれた。


火葬場の中へ入ったとき、彼は鋼鉄の箱が壁からゆっくりと引き出されるのを目にした。その箱は彼の目には信じられないほど冷たく、そして重く見えた。彼は突然、底知れない恐怖を感じて隣にいた父親にしがみついた。

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