第86話 ローズの願い
「魔族に誇りを売り渡した……?」
ローズの言葉に、アリシアが疑問を返す。
彼女は続けた。
「はい。今やこの街クリミアは、魔族が支配する領域となりました。最初はわたくしも父が魔族の手に堕ちた、洗脳されていると思ってましたが、事実は違った……。我が父は、進んでこの街を魔族に売り渡したのです。自らが富を得るために」
そこまで言うと、ギリリと歯を噛み締める。
相当悔しいのか、ローズの表情には憤怒の色が浮かんでいた。
「だから君は、父の手元から逃げ出し、こんな所に住んでいると」
「そういうことですわ。ただ、どのような場所でも慣れれば悪くない。既に一ヶ月ほどこの家で生活を送ってますが、一人の時間を自由に満喫するというのは、意外と悪くありません。この辺りの人は、貧民ばかりで寂しくはありますがね」
「なるほど、ね。それで? 君はこの街を父や魔族から取り戻したいと」
「ええ。父はともかく魔族さえ倒すことができれば、洗脳にかけられたわたくしの部下や、住民たちが目を覚まします」
「ということは……一部の騎士や住民の目が虚ろだったのは……」
「魔族による洗脳の魔法ですね。彼らが扱う闇の魔法は、そういった精神的な支配も可能らしいので」
その通り。
僕も同じ魔法適正を持つからよく知っている。
闇の魔法には、他者の精神を束縛し支配する魔法などがある。
当然、闇魔法に対する高い適正を持った僕なら同じ魔法を使うことが出来るが、この魔法には欠点があった。
その欠点とは、洗脳の調整が細かくできないこと。
魔力操作とか関係なく、魔法の支配を受けた対象は人形のようになってしまう。
いま思えば、過去に動物で実験した時と今回の住民たちの様子は、どこか似ている気がした。
そこから察するに、魔法の内容は絶対服従とこれまでの通りの生活だろう。
ここへ至るまでの間、どの住民たちも普通に簡単な受け答えくらいは出来たし、料理を作っていたりもした。
ただし、複雑な会話や命令はこなせないとみる。
それが出来るなら、あんな目が虚ろになるわけがないしね。
多分。
「ゆえに、わたくしは打倒魔族を掲げました。身分を隠し、素顔を隠し、仮面を付けて街の調査を繰り返す日々……全ては、我が願いを叶えてくれる協力者を探すために」
「その協力者候補に選ばれたのが、僕たちってわけだ」
「厳密にはノアさん、あなたですね。他の方々の実力は知らなかったので。しかし、全員魔法が使えるとなると、希望はより強まります」
「……けど、君の希望に沿う理由が僕らにはない。この街の領主と争うことになると、僕らのような一介のハンターには荷が重い。しかも相手には魔族がいる」
魔族は強い。
ゲームだと中盤以降、終盤のほうで出てくる敵だ。
設定は、人間を遙かに超える魔法適正を持った個体。
外見こそ人間に近いが、保有する魔力量が桁違いに異なる。
加えて、魔族は全員が魔法を使える。
身体能力が高いのはもちろん、豊富な魔法を駆使して襲ってくる魔族との戦闘は……初見だと非常に苦労した。
それだけ魔族は強いのだ。
ぶっちゃけると、転生特典を持つ僕なら勝つことは容易だろう。
しかし、問題は僕の仲間たちだ。
ハッキリ言って、才能あるアリシア達ですら魔族の相手は難しい。
全員で協力して戦っても、一番弱い魔族一体にすら善戦できるかどうか……。
まともに修行の出来ていない現状では、僕以外の勝ち目が皆無だった。
なら僕が魔族を倒せばいい、——そう考えるだろう。普通は。
だが僕は、少しでも命の危険がある場所へ彼女たちを連れて行きたいとは思えない。
守り切れず、彼女たちが死のう者なら……僕は自分を一生、許せなくなる。
「わかっています。あなた方にメリットがないことは。それでもわたくしに差し出せるものなどごく僅か。英雄としての栄光と、少額の報酬……救えた後でなら、領主の娘としてそれなりの待遇を約束できますが、それもまた単なる口約束。確実性はありません。なので、純粋に、愚直にわたくしは頭を下げます。どうか、わたくしの街を、民を、わたくし自身を救ってほしい、と」
深く、深く頭を下げたローズ。
真摯な眼差しを受けたあと頭を下げられると、どうにも居心地の悪さを感じる。
左右に並ぶアリシア達を見てみると、全員がローズをジッと見つめていた。
浮かぶ表情から読み取れる感情は……同情、だろうね。
気持ちは理解できる。
僕だって可能なら手を貸したいし、手を貸せるほどの実力がある。
けど、問題は簡単じゃない。
仮に協力するとなると、今後の人生を左右する展開になる可能性は大いにあった。
お任せください! とはすぐに言えない。
静寂が場を支配し、誰も口を開かないままただ時間が過ぎた。
そして、10分が経過したあたり。
ゆっくりとアリシアが口を開いた。
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