第46話 少女は奮闘し

「ひっ——!?」


 それは、見覚えのある魔物だった。


 漆黒に隠れるような黒い毛皮。

 鋭く生え揃った牙。

 血のように赤い瞳。


 狼のごとき四足は発達した筋肉をまとい、グルグルと不吉な喉音を鳴らす。


 間違いなく、ダンジョンのような暗闇を好む狼の魔物だった。


 通常の個体とは異なり、多くの魔物がいるダンジョン内でも生存競争を生き抜いた個体は、外で生きる同系統の魔物よりも強い。


 つまり、今のミュリエルではどう足掻いても勝てないほどの強敵だった。


「(どうしよう。どうしよう……! 早く、逃げないと!)」


 本能がけたたましく警鐘を鳴らす。

 逃げろと脳が両足に命令を下し、一にも二にも走った。


 だが、相手は狼。

 俊敏性では当然ながらミュリエルは勝てない。


 一応、≪身体強化の付与≫を自分自身にかけたが、それでも素のスペックの差がある。


 次第に、ミュリエルとの距離は縮まっていった。

 そして、


「きゃ——!?」


 ミュリエルの足がもつれ、右斜め前へ倒れる。


 それは偶然だった。

 数多ある奇跡が絡み合い、ミュリエルにとっての幸運を呼んだ。


 というのも、ミュリエルが倒れた直後、背後から黒い影がミュリエルの体を貫通するように現れたからだ。


 当然、ミュリエルが転ばなければ、後ろから追いかけてきた魔物に襲われていただろう。


 ゆえにこれは偶然だ。

 たまたま転んだおかげで、彼女は助かった。


 すぐに顔を上げると、残念そうにすら見えた魔物の姿が映る。


 魔物は、地面に着地するなり振り返り、牙を剥き出しにミュリエルを眼下に捉えた。


 避けられたことが奇跡だとは思っていない。

 どこか慎重に、ジリジリと距離を詰める。

 確実に、自分の牙が届くように。


「(ダメ……わたしじゃ勝てない。死ぬ。でも、死にたくない……)」


 立つことすら忘れ、ミュリエルは必死に考えた。

 どうすればこの状況を打破できるのかを。


 しかし、支援魔法しか使えぬ彼女に戦闘などできるはずもなく。


 これまで薬草採取やら女性ハンターの手助けばかりしてきたツケが回ってきた。


 もはや、勝算は0に等しい。


 それでも最後まで諦めるという選択肢がないのは、彼女は生きたいと願ったから。


 自分に付与の魔法をかけ、なんとか震える手で杖を握り締める。


 棍棒のようにそれを振り回してでも生き残るという意思がそこにはあった。


「ガウッ!」


 先に動いたのは魔物。

 地面を蹴り飛ばし、素早くミュリエルへと跳躍。


 一撃のもとに決めるつもりなのか、口を開いて噛み付こうとした。


 ミュリエルはそれをギリギリのところでかわす。

 とはいえギリギリだ。

 爪が彼女の手足をかすめ、痛みが激しく脳を刺激する。


「ッ!」


 だが、痛みに呻いてる暇はない。

 即座に杖を構え、彼女もまた攻撃をした。


 ただ杖を振り下ろすだけの単純な攻撃だが、それでも強化された彼女の腕力なら多少のダメージを生み出せる。


 もちろん、当たれば——の話だが。

 魔物は余裕をもってミュリエルの攻撃を回避する。


 外れた杖は地面を叩き、やや大げさにミュリエルは表情を歪ませた。


 次いで、カウンターとばかりに魔物が攻撃する。

 今度は爪だ。


 軽く薙ぐように爪を振るい、それがミュリエルの皮膚を切り裂き、ダメージを与える。


 回避がほとんどできず、それなりの深手を負ってしまった。


 逃げるように距離を取る彼女だが、魔物もまた即座に牙を剥く。


 しばらくの間は、そんな一進一退の攻防が繰り返され、しかし状況はミュリエルにとって最悪な方へと傾いていた。


「はあ……はあ……」


 全身から危険な量の血を流しながら、それでも立っていられるミュリエル。

 呼吸は荒く、体力も底を尽きかけている。


 怪我こそ治癒系の魔法を使って塞いでいるが、それも長くはもたない。


 もはや魔力も欠乏寸前。

 両足は微かに震え、意識も徐々に朧気になってきた。


 勝敗は決したと言える。

 ミュリエルの負けだ。

 むしろよくもったほうだと思える。


 それほど、彼女は戦闘には向かないタイプだった。


「ダメ……もう、限界……」


 ふらふらとその場に倒れる。

 腰が地面につき、杖を握る力すら残ってはいなかった。


 それを見て魔物は喉を鳴らし、鋭い牙を向けて襲いかかる。


 余裕のある足取りだ。

 勝利を確信した余裕だ。


 せめて一矢報いたいと思うミュリエルだが、意識とは裏腹に体は動かない。


 ——終わった。


 そう思った。

 諦め、シャロンに心の中で謝罪をする。

 彼女はきっと、自分を責めると思うから。


 しかし。


 目の前にやってきた魔物は、大きな口をあけてミュリエルへ喰らいつく寸前——煌びやかな光と熱によって……呑み込まれた。

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