第32話 はいあーん
「……ん、んん」
暗闇の中に、一縷の光が見えた。
光が見えはじめると、面白いことに意識が覚醒していく。
まるで水中から引っ張られるように、僕は瞼を開けた。
「あ、起きましたか。おはようございます、ノア様」
「シャロン……?」
視界に真っ先に入ったのは、人懐っこい笑みを浮かべた彼女だった。
ボーッとする僕の頭を、なぜか優しく撫でてくれる。
「おはよう、シャロン。先に起きてたんだ」
「いえ、わたしとアリシアさんも先ほど起きたばかりですよ」
「なるほど。僕だけ遅れたわけじゃないのか。よかった」
寝顔をずっと見られ続けたわけじゃないと知り、ホッと胸を撫で下ろす。
シャロンには悪いが、上体を起こして現状の確認を図った。
「あれ? アリシアは?」
部屋を見渡すと、狭い室内には彼女の姿がなかった。
ベッドに倒れる僕と、座るシャロンしかいない。
「アリシアさんは一度、自分の部屋に戻りました。着替えてくるって言ってましたよ」
「ああ、そっか」
そういや僕たち服を脱いでたわ。
寝る前に僕だけ服を着たからなんの違和感もなかった。
シャロンも着てるし。
「今日はどうします? もう昼すぎなので、今から外に魔物狩り——とはいきませんが」
「当然、休みにするよ。まだ昨日の疲れも残ってるだろ?」
「ええ、まあ。大変でしたから、ダンジョンは」
「あと勇者ね」
僕の言葉にシャロンが苦笑する。
否定しないあたり、同じ感想だろう。
「シャロンも自室に戻っていいよ。今日は好きに時間を潰すといい」
「自由な時間ですか……では、もう少しだけ、このままでいさせてください」
「このまま?」
そう言ってシャロンは、またしても僕の頭に手を添える。
優しく手を動かし、母性あふれる撫で方をした。
「これのなにが面白いの……?」
「ノア様が近くにいるだけで、ノア様に触れてるだけで……わたしは幸せです」
「あ、そう」
なんとも言えない気持ちになった。
シャロンは昨日? 今日? 僕と一線を越えてから、少したくましくなった気がする。
精神的に余裕ができたのか、これまで以上に積極的なスキンシップだ。
別に嫌でもないので僕は彼女の好意を受け入れる。
今さら急ぐ用事もないしね。
「——お待たせ、シャロン……って、起きたのね、ノア様」
「アリシア。おはよう」
シャロンに撫でられ続ける僕。
そこへ、着替えを済ませたアリシアが部屋に入ってきた。
少々の羞恥を抱えながら手をあげる。
「おはよう。起床直後からいいご身分ね。素敵な趣味だわ」
「これ、僕の趣味だと思われてるの? 酷いなあ」
「ひ、酷い……? 嫌でしたか、ノア様!?」
「あ、いや、そんなことないよ? すごく嬉しいよ。ありがとうシャロン」
だ、ダメだ。余計なことを言うとシャロンにダメージを与えかねない。
ここは甘んじて自らの恥を受け入れよう。
どうせアリシアはわかってて言ってるだろうし。
「ふふ、仲良きことはなんとやら。イチャイチャするのもいいけど、先にご飯を食べない? 朝食と昼食を抜いて、わたしお腹すいたわ」
「あー、たしかに」
「実はわたしも……ちょっと」
といいながら、彼女と距離が近いからわかる。
さっきからシャロンのお腹がくーくー鳴ってることが。
「ね? みんな同じなら、食堂に行きましょう。たくさん動いて消費した分のカロリーを補給しないと」
「まさか、今日の夜のために、なんて言わないよね」
「さあ、どうかしら」
「……」
まさか、ね。
不安を抱えたまま、僕は二人とともに一階へ降りるのだった。
▼
一階の食堂につくと、アリシアとシャロンはおかしなことに、なぜか僕の隣をキープした。
向かいには三人ほどが座れるスペースの席がある。
そちらへ行かないのかと訊いたが、今日はここがいいと揃って言った。
どういうことだ……?
わけもわからぬまま料理を注文。
従業員の人に、生暖かい視線を向けられた。
「さすがに三人も並ぶときつくない? 僕としては、もっと広々としたところで食べたいんだけど」
「ダメよ。今日は記念すべき日だもの。ちょっとの窮屈くらい我慢してちょうだい」
「すみませんノア様……どうしても、わたしはやりたいことがあるのです!」
「やりたいこと?」
なんだそれ。
わざわざ何かがしたくて僕の隣へ座ったのか。
ということは……僕に何かをするつもりなのは明白。
まだ、彼女たちはなにかを企んでいた。
僕が寝ている間に、おそらく話し合ったのだろう。
僕を挟んでチラチラと目配せをしあう。
しばらくそんな二人を横目に料理を待っていると、注文した料理が届いた。
テーブルにところ狭しと並ぶ。
「取り合えず、食事にしようか。二人が何を考えてるのか知らないけど、あんまり派手なことはしないでくれよ」
そう言って僕は、フォークを手にサラダを食べようと腕を伸ばした。
しかし、
「お待ちください、ノア様」
「え?」
伸ばした直後に、右隣のシャロンが待ったをかける。
ぴたりと手を止めて彼女の方を見た。
「なに、急に。どうかしたの?」
「ノア様はサラダをご所望ですか?」
「うん」
「でしたら、わたしがお取りしますね」
「はい?」
僕の疑問を無視してシャロンがフォークでサラダの一部をぐさりとぶっ刺した。
貫かれた野菜たちは重なり合い、かけられたドレッシングをまといながら僕の口元へ運ばれる。
こ、これは——!?
「どうぞノア様。はい、あーん」
「……なるほどね」
これがしたかったのか、アリシア達は。
前世でも恋人同士がする定番の行い、はいあーん。
その魅力は測りしれない。
彼女がいなかった僕にはとてもじゃないが理解すらできない。
だが、彼女たちはそれを望む。
甘く恥ずかしいそれを、強く求めていた。
「あ、あーん……」
たまらず僕は口を開けた。
ジッと不安そうな瞳で見つめてくるシャロンの哀しみに、心が耐えきれなかった。
あっけなく敗北した僕の口内に、野菜を刺したフォークの先端が入る。
ぱくりと口を閉じて、貫かれた野菜を食べた。
「はあ……なんと、胸が熱くなる行いでしょう。不思議と、嬉しさが込み上げてきます! アリシアさんの言うとおりですね」
もぐもぐ。
シャロンをけしかけて来たのは、お前かアリシアよ。
薄々そうじゃないかとは思っていたが、左隣へ視線を向けると彼女はクスクス笑っていた。
そして、その手に持ったフォークには小さな肉が。
「はい次はこっちよ、ノア様。あーん」
「!?」
咀嚼した野菜。
今度こそ自分の意思で料理を食べようとした僕に、無惨な言葉がかかる。
アリシアが伸ばした手、それはもう目の前にあった。
妖艶な笑みで彼女は言う。
「まさか、わたしのは食べられない——なんてこと、ないわよね?」
と。
そんな言い方されたら……。
「あーん……」
食べるしかないだろう。
再度、口を開いて肉を頬張る。
うん、味はすごく美味しい。
空腹にカロリーが染み渡り、なんとも心地良い香りが鼻腔を抜ける。
最高だ。最高すぎる。
……ここが、宿の食堂でなければ。
「おいおい、こんな時間から楽しそうだぜ」
「嫌になるな。俺たち独り身をバカにしてんのか?」
「見せつけてくれるぜ」
「いいなあ……」
ああ、ああ!
ほら、見たことか。
周りの席に座る男性客が、皆、僕らのことを見てる。
ひそひそと交わす声が丸聞こえだ。
「ささ、お次はスープをどうぞ、ノア様」
「もっと肉を食べなさい、ノア様」
「うぐぐぐ……」
周りの視線を知ってか知らずか、二人はなおもフォークやスプーンを駆使して僕に料理を運んでくる。
逃げたい。今すぐに逃げたかった。
だがそれは認められない。
両方を彼女たちに挟まれた僕の退路なんて——はじめから存在しなかった。
諦め、彼女たちの遊びに付き合うほか、選択肢はない。
がっくりと項垂れたあと、僕は心を擦り減らして、
「あーん」
する。
——————————
一読ありがとうございます。
本日は間違えて33話も同時に投稿してしまいました。
まことに勝手ではありますが、すぐに下書きへ戻し、
後日、再投稿いたします。
既に内容をご覧になさった方々には、謝罪申し上げます!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます